第一話 my girl

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「颯くん、ケチャップついてるよ」  食べ終わった俺の顔を見て、しょうがないなぁという表情をしてほほえみ、夏帆が口周りをナプキンで優しく拭ってくれる。  子供扱いされたような気になるかもしれないけれど、こういうことをしあわせと呼ぶのかもしれない。 「ありがとう」  駄目だ。  涙がこぼれそうだ。 「どういたしまして」 「そろそろ時間でしょ?」  夏帆を前にしていたら、俺はいつ顔を崩してしまうか自信がないので、水を向けることにした。 「……そうだね」  一瞬、夏帆が答えるまでに間があったような気がした。 「どうかした?」 「ううん、なんでもないよ。行こうか」 「そうだね」  通常ならば支払いの際は学生証を提示しなければならない。けれど常連の俺達はマスターから顔パスでいいと許可が出ている。  今日も通常の料金から学割と恋人割を合わせて、6割引の価格での支払いだった。  店をあとにすると、夏帆はマスターに話があると再び中へ戻った。  軒先(のきさき)からガラス越しに中を見遣ると、夏帆がマスターにペコリと頭を下げていた。  いままでお世話になりました、ということなのだろうか。 「何の用だったの?」  出てきた夏帆に尋ねてみた。 「引っ越すから、いままでお世話になりましたって」  夏帆は少し顔を伏せ、(つぶや)くようにそう言った。  引っ越しは嫌だと、以前夏帆は言った。  当然、俺も夏帆と離れたくはない。  でも、まだ14歳の俺には、それに抗う方法も資格も無く、ただ海を漂流する(いかだ)のように、流れに身体を預けることしかないとわかっていた。  風と潮に任せて、ただ漂う。  でもオールを持って、少しでも流れに抗うべきだと、いまの俺はそう思っている。 「マスターはなんて言ってたの?」 「元気でね……って」 「そっか」 「ねえ颯くん」 「なに?」 「恋人割の由来って知ってる?」 「由来?単にお隣さん同士でお客さんを呼び合おうってことじゃないの」 「ブーっ。違います。未来のマスターと恋坂のオーナーは、むかし恋人同士だったんだって」 「そんなの初めて聞いたよ」 「この前、一人で未来に行ったときにマスターに聞いたんだ」 「一人で行ったの?」 「ああ……うん。引っ越す前にもう一度ね。でも颯くんは、その時部活だったから」 「でも、また来たね」 「そうだね」 「よくそんなこと教えてくれたね」 「……うん。もう昔の話だからって。学生の頃、二人は恋人同士だったけど。オーナー達の時代は親同士が結婚を決めるのも当たり前だったんだって。いまなら考えられないよね」 「そうだね。それで二人は別れたの?」 「うん。でもお互い結婚生活はうまくいかなかったんだって。オーナーは家が経営してた恋坂を継いで、マスターはその隣の土地を買って喫茶店を建てたんだって」 「それで恋人割を始めたの?」 「うん。お互い結婚はもうできないけど、せめて自分達の店に来てくれる恋人達を応援しようって。だから『恋人割』なんだって」 「なんか、いい話だね」 「うん。すごくいい話。私、これ聞いて、ますます未来と恋坂が好きになったよ」  恋坂の入り口で俺達はそんな話をした。  券売所の中にいるオーナーに、そんな過去があったのは驚きだったけれど、今の俺には夏帆との未来の方がずっと重要だった。
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