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夏帆のことを考えてぼんやりとしていたから、映画の内容は半分も覚えていない。けれど、ラストでの主人公の少女の号泣シーンは不覚にも涙を誘われた。
親友とも初恋ともいえる少年の死に、少女は自責の念に駆られたけど、きちんと己と向きあって立ち直った。
知らない映画だったけれど、観てよかったといまでは思っている。
ただ夏帆は俺以上に涙を流し、しばらく席から立つことができなかった。
恋坂を出てからも、夏帆はしばらく入り口前でしゃがみこんで泣き続けた。周りから見ると、いたいけな少女を泣かせる、鬼のような恋人に俺は見えたことだろう。
夏帆が落ち着きを取り戻したのは、もう陽が暮れる間際のことだった。
「大丈夫?」
「うん。ごめんね。颯くん」
「そんなに感動したの?」
「……うん」
「そっか、じゃあ仕方ないよ。夏帆があやまることない」
そろそろ陽が落ちる。夏帆は門限が決まっている。今日はこれ以上は話ができないかもしれない。
夏帆が引っ越すまでに、もう一度会えるだろうか。
夏帆と未来について俺は話したい。
「颯くん……」
「なに?」
「キスして……」
それを聞いて、俺はどんな顔をしていたんだろう。
とても間が抜けた顔をしていたのでは、ないだろうか。
汗が大量にしたたった。
目も丸くなっていただろう。
動悸が激しくなって、とにかく冷静に努めることはできなかった。
去年の夏に夏帆から告白されて、俺達は付き合い始めたけれど、ずっと中学生らしい健全な交際を心掛けてきた。
手は触れ合う、だけど不純な行為は一切しなかった。
もちろん、そういう気分に駆られたこともある。
だけど、俺の感情だけで動いたら、夏帆の心をないがしろにしてしまう。
それだけは絶対にいやだった。
俺はなにより夏帆が大切だから。
「夏帆……」
「颯くん……」
陽が傾くこの時刻は、世界が赤色に染まる。決して、この情熱的でドラマチックな色彩に背中を押されたわけではない。
けれど、気づけば俺は夏帆の望むままに、初めて夏帆と唇を重ねあっていた。
夏帆は大粒の涙を滴らせていたからか、唇から少ししょっぱい味がした。だけど、そういうくだらない味覚を霧散させる程、夏帆の温もりと香りと柔らかさと優しさと穏やかさを身体と心でたくさん感じた。
きっと、これが人の真実ではないかと思うほど、俺は愛という感情を昂らせていた。
斜陽のきらびやかな輝きを浴び、赤く染まった恋坂の前で、俺は夏帆に永遠を誓おうと、そう思った。
時間にしてどの程度だろう。でも一分もない、三十秒もなかっただろう。長い永遠と思える刹那の間、俺達は感覚を共有した。
唇をゆっくりと離し、俺達は目を交わす。
夏帆の瞳は潤み、頬は夕陽のせいもあったかもしれないけれど、とても真っ赤に染まっていた。
言うなら、このタイミングしかない。
「か、夏帆……あ、あの」
「颯くん」
夏帆は俺の言葉をさえぎった。
「なに?」
「今日までありがとう……」
「どういうこと?」
「今日でお別れしよう」
急に世界が黒に染まった。
どうして。
いま俺達は永遠とも思える愛を確かめられたと、そう思ったのに。
「どうして?」
「だって、離れちゃうんだよ。遠いんだよ」
「そんなの!そんなの関係ない。俺は夏帆と別れたくない」
「ダメだよ。東京と九州じゃ距離がありすぎるよ……」
「俺はそれでもかまわない!いつか、いつか一緒になれるかもしれないじゃないか!」
夏帆はゆっくりとかぶりを振った。
「私は自信がない。それに颯くんに待っててなんて、無責任なことも言えない」
「それでも……!」
俺は必死にくらいつく。
「颯くん。ごめんね」
また夏帆は涙を流す。
落陽の光が夏帆の目からこぼれる雫に反射して、否応なしに俺の決意をくじく。
「私なんか忘れて、しあわせになって」
「夏帆……俺のしあわせは夏帆と一緒にいることだよ」
「ごめんね。ほんとうにごめんなさい」
「夏帆……手紙も駄目なのか?」
「……ごめんなさい」
「夏帆……」
俺がなにを言っても夏帆の涙を止めることはできないのか。俺はもうそれ以上、夏帆に言葉を紡ぐことができなかった。
「いつか……」
「いつか?」
「きっとどこかで、また──」
「夏帆……」
夏帆は自らの手で乱暴に涙を拭い踵をかえして、赤に染まる街の中に消えていった。
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