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 カウンターの向こうに座っているマダムは、僕に淹れさせた紅茶の香りを楽しみながら僕にメモと財布を差し出して「お使いに行ってきて欲しいの」と言った。  店内のBGMは昼下がりの午後にぴったりな、ゆったりとしたコントラバスのJAZZ。優雅なまどろみを人のいない店内でマダムだけが味わっている。 「『秋のお菓子屋さん』へ行ってきて頂戴」  月に一度は絶対にこの言葉を聞く。 「大きいアップルパイを一つ買ってきて」  マダムはにこやかに言った。初老の彼女はふくよかで、ふわふわした白髪混じりのボブが可愛い。笑うとできるえくぼと一緒に、ほうれい線の皺が浮きでる。それを見るとどう言うわけかこれが食べたいとか、あれをして欲しいとかいう無理難題を急に押し付けられても、まあいっかって気分になるんだった。  この人は魔女だ。 「だけどマダム、間も無く雨が降りそうですよ」  僕は差し出されたメモと財布を受け取りながらため息混じりに言う。 「そんなことないわ。あんなに晴れてるじゃない」  マダムは彼女の背中越しにある大きな窓を指差して言った。  ゴシック調の大きい窓から見える景色は確かに晴れだった。春を迎えかけた外の街並みは日差しを浴びて輝いていたし、石畳の道に照り返っている空の色は碧い。  もう直ぐ本当に春だなあって思う。  でも僕には分かる。絶対に雨が降る。空気の香りがそう教えてくれている。  季節外れの夕立が来る。 「急げば間に合うわよ」  マダムがウィンクして笑う。  その笑顔を見ていたら、うーんまあいっかって思った。  不思議だなあ。  僕は結構、人見知りな方だと思う。でもなんだろう、マダムには心を許せてしまう。本当の気持ちを相談できるような気もしてる。この人は僕がどれだけ変なことを言っても受け止めてくれると思う。日々を重ねるごとに培われてきた安心感なのかもしれないけれど……。  この人なら大丈夫って、心の底で思える。  だからなにを言われてもいいよ、って気持ちになるのかもしれない。  エプロンを脱ぎながら店の裏の物置場の方へまわった。エプロンの代わりに黒のピーコートを羽織る。  表へ出る前に鏡の前を通り過ぎた。僕は一瞬だけ、と自分の顔を覗き込む。
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