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この子はノエルって名前なんだ。自分のことを自分の名前で呼ぶの、ちょっと可愛い。手を引かれながら辺りを見回す。保護者らしき人は見当たらない。彼に握られた右手にむずがゆさを覚えながら、彼の後ろをぎこちなく歩いていった。手を引く小さな手には遠慮がなくて、たった今初めて会った僕をめいっぱい信用している力強さがある。
流されるままに公園の中に入っていった。困ったなあって思いながらも、裏腹にノエルのこの強引さは嫌いではないなと思った。懐かしさすら感じる。僕は自分が先頭に立って物事を進めることがあまり得意ではないから……よく誰かに引っ張られてしまう。それを後ろめたいと思う時もあれば、こんな風に、心地いいなと思う時もあった。
マダムが言ってた。自分がされたみたいに、困っている人がいたらできる範囲で助けてあげなさい、人に思いがけない喜びを与えられる人になりなさい、小さな幸せを贈れる人になりなさい……って。
僕にもできることならいいんだけど。
ちょっと不安だけど、僕に助けを求めたこの子の手を振りほどくことはできない。やるしかない。できるかな。
ノエルの三歩がようやく僕の一歩だった。せわしなく歩く度に、彼の小さな背中にぴったりの小さなリュックがカタカタ鳴りながら跳ねる。
そのリュックの中にうさぎのぬいぐるみが入ってる。入りきらなくて顔だけが飛び出ていた。黒うさぎだ。お気に入りのぬいぐるみなのかな。少しノエルに似ていた。
よく誰かに話しかけられたなと感心する。仮にもし僕がこの子くらいの年頃だったら販売機の前で泣くだけだと思う。
自動販売機の前に立つと、彼は僕の手を離した。ちょっとほっとする。寂しくもなった。ぽかぽかの熱が外の空気に一瞬で蒸発していく。彼と手を繋いでいたという感覚はあっけなく消えていった。
なにをするんだろう、と思っていたら、ノエルはリュックを下ろして黒うさぎのぬいぐるみと向き合うと抱きかかえた。黒うさぎは彼のリボン帯と同じ色の小さいポシェットを斜めがけしている。ノエルはそのポシェットから五百円玉を取り出して、さっきと同じように黒うさぎを背負った。なるほど、財布係の黒うさぎか、すいぶん目立つな。ノエルは取り出した五百円玉を、背伸びをしてなんとか自動販売機に投入した。なんてしっかりしてるんだ、とため息が出そうになる。自分が後ろめたくなるくらいすごい。
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