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嫌な予感が拭えない今、ちゃんと引き止めるべきだと思った。 「ひかるっ!」 そう呼んでみても、相手は歩き続け遠のいていく。 崚は咄嗟に、その腕を掴んだ。 慌ててはいたけれど、思い切り掴んだつもりは無い。 振り払われたら離れてしまえるくらい。 その程度の握力だった。 なのに。 「痛い……っ!」 悲鳴によく似た声が叫ぶ。 演技ではないことなど、相手の複雑な表情を見れば一目瞭然だった。 発した言葉を悔いるように、下唇を噛み締めて。 何かを恐れているかのように、その瞳は揺れている。 崚と目が合っていると気づいたひかるは、何も言わずに顔を逸らした。 折角立ち去ろうとしたのに、自ら墓穴を掘ってしまうなんて。 「……っ」 痛みの衝撃に身震いする体を必死に抑え、できるだけ自然な振る舞いで腕時計を見る。 指定されている集合時間まで、残り2分を切っていた。 このまま話していては遅れてしまう。 そしたらもっと蹴られ殴られて、今度こそ気を失うかもしれない。 ただでさえ、身体中痛くて走れないのに。 「見せて」 落ち着いたようでいて、明らかに怒りを含んだ抑揚のない崚の言葉。 気づかなくてよかったのに。 知らなくてよかったのに。 「……嫌だ、嫌っ!」 ひかるの抵抗も虚しく、手首の長袖のボタンが外され捲り上げられる。 現れたのは、細く白い腕に夥しい数の紫の痣。 「何だ、これ……」 戸惑いと怒りの入り混じった声音に、ひかるはゆっくりと俯いた。 崚は優しい。
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