5人が本棚に入れています
本棚に追加
出会い
時計を見ると8:02だった。
「やばい。遅刻する!」
急いでパンの耳だけ食べ、黒いパンは台所のゴミ箱に捨てた。
私は世の中で大手企業と呼ばれる会社に事務職で働いている。
こんな都心のオフィス街のビルの一室に自分のための席がある。
もっと可愛くてスタイルが良い女の子じゃなくていいのだろうか。
もっと仕事ができて愛想がよくて会話上手な女の子じゃなくていいのだろうか。
私なんかでいいのだろうか。
私にここにいる価値なんてあるのだろうか。そんな疑問がふつふつと湧いてくる場所だった。
でも恵まれた環境で働けて、人並みにお給料をいただけているのは、1人で大変だったろうけどしっかり育ててくれた母のおかげだから、
感謝してちゃんと働こう。そう思って、どんなに眠くても、つらくても会社に来て一生懸命に働いている。
「眠い。」
デスクにすわりながら呟き、目をつぶった。
「緑川さん」
課長が席の後ろに立っていた。
私は、びっくりして振り向いた。
「これ、この前作ってもらったデータ。集計方法変わったから、やり直して。」
「はい。」
「あ、あとこの前作ってもらった企画書3つあったじゃん?あれ3つとも企画なくなったから、あれもうポイしちゃって。」
「はい…。」
うちの会社は、事務職でも完全個人主義。職場温度0℃の冷たい世界だ。
私は、なんとかデータをまとめ終えて退社し、駅へと急足で歩いていた。
時計を見ると9:53だった。
「眠気が殺気に変わったわ。全然眠くない。」
つぶやいた。
「報われないなぁ。」
後ろから声が聞こえてきた。
振り返ると、後ろを歩いていた男と目が合った。
「あ、すみません。独り言です…。」
男が申し訳なさそうに会釈した。
「あ、いえ…。私も今同じようなこと思ってたので。」
私は微笑んだ。
それから私たちは身の上話をしながら駅の方まで一緒に歩いた。
彼の名前は皆本翔平。
私より2つ年下だということ、私の職場近くの調剤薬局で薬剤師をしていると言うこと、家は私とは逆方面で会社の駅から2駅のところで、駅から家は歩いて10分ということ、今日は、お客さんが多い中、大量の薬を処方される人がいたが、頑張ってスピーディーに薬を集め対応していたが、客からは、最後に、「待たせやがって。」と一撃で罵倒されたようだった。
「それは、報われないですね。」
「そうでしょ。頑張っても頑張っても頑張ってもって、感じです。」
皆本くんは、年下とは感じないほど温厚で、何か喋らなきゃ、と言う焦燥感がないのか、駅まで10分くらいだったが沈黙もあり口数が多くはなかったが、それが私には落ち着いていて品がある男の子に見えた。そしてたまにでる本音にやはり年下だなと思わされ、可愛らしいなぁと感じた。
その内面とは裏腹に背は180cmは超えていそうで、体も鍛えているのか着ている分厚めのカーディガンの腕の部分が今にも張り裂けそうだった。
「じゃぁ、また。今度会社のお昼休憩で報われない会しましょう。」
皆本くんはやっぱり言うことが可愛かった。
「いいよ。またね。会社の近くに知り合いができてよかった。」
私は初めて仕事付近で、ホッとした気持ちになれた気がした。
皆本くんは反対側のホームに駆け足で走って行った。
「なんか眠くなってきた。帰ろう。」
私は、家路を急いだ。
最初のコメントを投稿しよう!