拾壱

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ー「知らなかった……ずいぶんバチあたりなことをしてたなあ」 「お前の貧困はこのせいかもしれんな」 たまにはバイトを休めと言われ、西 幸四郎は人に化けたゲーテに連れられ、都内某所の墓地にやって来た。一日分の給料のことが少し気にかかるが、晴れの日曜日に自由な時間を過ごせるのはいつ以来であろう。墓地ではあるが気分は良かった。 「……とは言え、墓には骨しかないけどな」 「それでも、東京にいながらずっと来てあげられなかったのは、やっぱり少し悪い気がしますね」 【西 平八】と縦に彫られた古い墓石と、幸四郎は初めて対面した。八人兄弟の長男であった高祖父の末の弟……という、当然だがまったく見ず知らずの、名前すらも知らなかった血縁者の墓。兄弟の中で唯一東京に出てきて生涯を過ごしたそうで、子供はいなかったが、最期まで共に暮らしていた者があったという。 「うちの一族の墓でもないし、たった一人きりでずっとここに居たんですね。彼の家族は誰も知らなかったのかな」 「平八が自らの意志でふるさとを捨て、家族を忘れて生きたのだ。報せたところで弔いにいってやる筋合いもない。奴がそういう人生を選んだんだからな」 「そうですか……平八さんはどんな人でした?」 昨晩の強風のせいか、古ぼけた墓石は薄く砂や塵にまみれていた。それを拭き取ってやり、汲んできた水をかけ、買ってきた花を挿してやる。そうするとまるでつい最近葬られたかのような新しさがよみがえった。キセルをいつも吹かしていたそうだが当然持っていないので、線香の代わりにタバコに火をつけて置いてやり、ついでにゲーテはそこで一服することにした。 「……つかみどころのない生意気なガキじゃ。ませてたせいか、田舎から出てきたわりに垢抜けてて、一応は男前の部類じゃな。口もうまいし遊びもよく知ってるから、女にはそれなりにモテてた。フーテンのくせに運だけはあって、立松百貨店の前身である立松呉服店の旦那に拾われ、十年ほど仕えておってな。三十すぎまではそこに落ち着いておった。」 「え……そんなすごい人だったんですか?」 「立松の旦那に気っ風を買われてたらしく、妙に気に入られてたからなあ。あいつがそのまんま立松家に残ってりゃあ、創業者一族として立松や柿本の中にその名を連ねていたかもしれん。だが奴もどっかひねくれててな、俺のように定住を好まんし、人間のくせに名声やら名誉やらに無関心な男だ。立松の使用人をやめる際に旦那からまとまった金をもらって、それを元手に人を雇って商売をしながら、自分はあんまり仕事に縛られず自由に生きていた。まあ、当時だから出来た生き方さ」 「へえ……俺とは正反対だ。ずいぶん身軽だし、粋な人だったんですね。でも、うちの家系にそんなすごい人がいたとは驚きましたよ」 「兄弟の中でも異端児だったんだろ。だから田舎じゃ水が合わず、ガキのうちにさっさと出奔したのさ。……この男が添い遂げたのが、明日の"キツネ会"に誘ってきた男だ」 「添い遂げたということは、ただの友達じゃないですよね?」 「勿論」 「平八さんは同性愛者だったんですね。この時代にはずいぶん生きづらかったんじゃないですか」 「その前に人間とキツネのつがいだ。性別の問題など余裕で超越しとるわ。だが平八は男色家などではない。ないが、このキツネの方が奴にぞっこんでなあ。どこに行くにも何をするにも飼い犬のごとくそばに居るんだ。何だってしてやれると言わんばかりさ。だから平八の方でも捨てるに捨てられなかったんだろ」 「ずいぶん愛されたんですね。……お墓だってこんなにきれいにしてもらって、とても何十年とあるようには見えない」 「いまだに月に一回は来てるそうだからな。骨だけでも奴にとってはまだ大事なのだろう。花と線香は回収が面倒だっつって挿さなくなったが、あったかいうちは周りの草も毎月むしって、石もぴかぴかに磨いていくんじゃ」 「ホントなら俺がやるべきだったのに……ありがたいことです。平八さんもきっと、彼のこととても愛していたでしょうね。でなきゃ一生なんて暮らせない」 「さあ、どーだろーな。そんな重たい愛情など向けられて、俺だったら逃げ出す」 「俺はそんな人と出会えたらいいなと思ってますけどね。かすかにでも血のつながった俺がそう思うんですから、平八さんもしあわせだったに決まってます。ゲーテさんはネコの中でも薄情の部類ですから、仕方ない」 「お前が鬱陶しいだけじゃ」 「気まぐれに甘えてくるときは、ずーっとぴったりくっついて離れないのに……あれはどういう心境の変化なんですか」 「そういう気分になるときもある、というだけさ。発作的なものだ。夜に突然暴れたくなるのとおんなじ心境よ」 「けどあれをまさか、その姿でなおかつ電車の中でやられるとは思いませんでしたよ」 「何かまずかったか?」 「そうですね、あれが家なら悪い気はしませんが、公共の場で男同士でベタベタしてる光景はさすがにまずいです」 ここにやって来る前。やや空いているがそれなりに人が乗車している地下鉄の車内に二人は並んで座り、ゲーテもしばらくはおとなしく揺られていた。だがいきなり"発作"を起こして、座ったままとなりの西に横からまとわりつくように抱きついてきた。そして膝の上に乗りかからんばかりの勢いで、肩に頬をすりよせながら「腹が減った」やら「早く降りよう」などとうるさく訴えはじめたのだ。 若い男の二人連れが突然恋人のように振る舞いだし、当然周囲の乗客らはぎょっとして彼らを見やった。すぐに気まずそうに目をそらしても、チラチラと様子をうかがっている。その好奇の眼差しに耐え切れず、西は顔を赤くしてうつむいた。だがネコのゲーテは人の視線などおかまいなしでまとわりついてくる。 「あと四駅なんでじっとしててください」 「いやじゃ、いますぐ飯を食いたい」 「降りたらすぐにどっかに入りましょう。あと十分もかかりませんよ」 「そんなに待てん。だいたいここはさっきから臭い。そこの女の香水と、こいつの体臭がキツすぎ……うぐっ」 隣に座る男を指さしながら、声をひそめもせずにそう言ってきた口をガバッとふさぎ、ちょうど停車したのでゲーテをひっぱるようにしてあわてて途中下車した。 「人に対してあんな不躾なことを言ってはいけません。指までさしたりして。おっかない人だったら殴られますよ」 そう言いながら西は、ぴたりと密着しゲーテの腰を抱くようにして歩いていることにも、またそれを周囲から奇異な目で見られていることにも気付かぬまま、次の車両は待たずに改札まで向かっていった。 「俺が人間ごときにやられるとでも思っとるのか。殺ろうと思えばあそこに居た奴らひとり残らず、一分とかからず八つ裂きよ」 「絶対ダメです」 「なあ、昨日墓参りに行くと言ったらな、明日の集会を主催するキツネから小遣いをもらったんだ。だから肉を食いに行こうぜ。いますぐ電話で肉を出す店を探せ」 「……そうですか。それは良かったですね。ちょっと待ってください」 「金持ちの社長だから、お前も明日仲良くなっておくといい。なんなら仕事も斡旋してもらえ。もう少し時給をもらえて、休みを増やせる仕事だ。そいつにお前のことを話したら、今度新しくやる店のスタッフにどうかと言ってたぞ。そいつに、月に必要な金の相談をしろ。そうすりゃ生活に余裕が出るじゃろ」 レストランを検索しながら西は、眉根を寄せつつ笑った。いつも自分本位に生きている男だが、それなりにこの身を気遣ってくれているのかと思うと、やはり妙なかわいらしさを感じて愛情が湧く。無意識なのだろうが、うまいやり口だと思った。 そうして駅から少し歩いたところのチェーンのステーキハウスに入り、添えられた野菜はすべて西の皿に移してから、血のしたたるような肉だけを食い満足したゲーテは、残りの四駅では発作を起こさずじっと耐えて地下鉄に乗り、こうしてどうにか墓場までやって来た。
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