1/6
68人が本棚に入れています
本棚に追加
/60ページ

「こんなところに捨てられちまって、かあいそうに………なんまんだぶなんまんだぶ………」 よしとくれ、そりゃあ死人に唱えるまじないだろう? 私はまだ死んじゃいない。カラダもないが、確かにこうして生きているのだ。 神様、仏様、あとエンマ様?なんでもいい、意識がまもなく途切れてしまう。その前にどうにか、どうにか助けちゃくれまいか。 死んでもいいんだ、でもね、ひとりぼっちはいやなんだよ。 女郎屋は嫌いだよ。見世物小屋も嫌いだよ。だけど此処以外の場所ならなんでもいいから……寂しい暗闇はもう嫌なんだ。 ここは東京。それだけは知ってる。あとはなんにもわからない。莫迦な私にはとんとわからないのです………… ー 何を言っとるんだ………私は私じゃないか。 目を覚ましてすぐにわかった。自分はクロであることを。変な夢を見たから頭がやられてるのかと思ったが、意識も記憶もしっかりしている。 私はクロ。 生まれは知らないが、赤子のころに梅水神社の柿の木の下で、取っ手のついたカゴに入れられて泣いていたそうだ。泣いてたのは落ちた柿が頭にごつんと当たったから。 私を見つけたのはシロ。 幕末からこの梅水神社に棲みつきはじめたそうだが、その自分のなわばりで赤子の私があんまりにもやかましいから、ノドに噛みついて喰い殺そうとしたという。だがそれを見ていた「社長」に制されて、どうにかとどまり喰われずに済んだのだ。 社長というのはシロよりも上位のあやかしで、ここら一帯の社の総統だ。梅水神社は商売繁盛のご利益で売ってるのもあるが、社長は昔から人間のように商売をしてきたから、みな、いつからか彼を本来の"梅岡"でなく"社長"と呼ぶようになった。これが私の養父である。 私が捨てられていたのはこの神社であったわけだが、近所にはかつて死んだ女郎が投げ込まれ、供養されていたワケありの寺がある。おそらくこの町で働いていたであろう母は、赤子の私を棄て置いておきながらも、不吉な投げ込み寺ではなく、吉兆のキツネのほうに託したというわけだ。弱って死ぬ間際、最後の灯火のように泣きわめく私に、梅岡社長が狐火を吹き込んだ。すなわち私の命は半分がキツネ、もう半分が人間となる。 私もシロも社長も、人間として生きている。キツネの姿形なんかしちゃいない。目つきは多少悪いかもしれないが、ちゃんとヒトのかたちをしているのだから。 梅水神社はかつての根城であったが、今あの中に私たちは宿っていない。 それじゃあどこに居るかって?そりゃあ、この町で生きている。この町で生きるとは、つまり仕事をして暮らしているのだ。 生まれは日本一の花街。社長はクラブやキャバレーを何軒も持ついわゆる実業家であり、かつては妓楼も持っていた。私とシロも社長に付き従うかたわら、店の雑用を手伝って賃金をもらい、賃金に相応の水準で暮らしている。 昔の遊女はキツネが好きだった。なんせ商売繁盛でも五穀豊穣でも厄除けでも魔除けでも、キツネはなんでも景気の良さそうなモノを好きに当てはめて拝めるのだから。私たちは人間にとって吉兆というわけだ。そしてこと遊女や商売人には、招き猫よりもありがたがられる。 とはいえ、そのキツネの社長が人を売り買いする見世をやってるわけだが……こういうのを狸親父というのだろうか。キツネ共はみな、かつては真っ白な本来の姿で暮らしていたようだが、いまはヒトと何ら変わらぬ姿をして、ヒトの町で生きている。だが周りにいる"キツネっぽい奴"は、全部まがうことなきキツネだ。"真の姿"を見たことは、私ですらこの長い人生のあいだに数回ほどしかない。 だがやっぱりキツネなわけだから、稲荷の精神を受け継ぎ、キツネとしての仕事を持っている。自分の町にどれほどのキツネどもがいるか知っているだろうか。街角にひっそりと祀られてるものも含めれば、この国全土に三万ほどがちらばっている。 みな、人間を見張っている。 とくに神聖な土地をけがすもの、神の御前で悪さをはたらく者、私たちの縄張りの中にいれば、すべて見られているぞ。それらを罰するのが仕事だ。手に負えない者はとっとと憑り殺して冥界の王のもとに送る。王とは……まあ、八大を信じる日本人なら誰しもが恐れるあの方さ。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!