第2話 

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第2話 

 車のヘッドライトが、庭の前の駐車場を照らした。  「パパが帰ってきた! もう7時なんだ!」  現実に意識が移行すると、「羞恥心」みたいな感情が一気に湧き上がり、さっきまでの美しい優しい空気を消してしまった。私は、急いでブランコからおりて玄関のドアへ走った。ドアを開けて靴を脱いでからきちんと揃えた。なんだか外にいたのを知られたくなかった。走ってリビングのソファーへダイブ。いつもの定位置で無駄にだらっと座る。  今日は、ママが仕事で夜が遅いから、パパがお弁当を買ってくる日。  パパがゆっくりとリビングに入って来る気配を、ついていない黒いテレビ画面を見ながら、じっと黙ってソファーの上から感じ取る。 「ただいま……」  背後から諦めているようなパパの声。返事ができない。だって、「お前はダメな奴だ」ってそう言ってる気がするんだもの。パパは無言で私の後ろを通って、ダイニングへ。テーブルの上に弁当をビニール袋から取り出し並べえている。  カシャ……カシャカシャカシャ。  パパは疲れたような、諦めたような、そんな雰囲気を出しながら、ゆっくりとリビングを出ていく。その後ろ姿を横目で追って、パパがドアを閉めると同時にさっと立って好きなお弁当を取った。小走りでリビングを出て、階段を一気に駆け上がる。自分の部屋に入って、ドアをなるべく静かに閉めた。  こんな風なおかしな行動を学校へ行かなくなってから、ずっと取っている。  なぜ自分がそんな態度を取っているか。なぜ、素直になれないのか。なぜ、少しだけ感じる“パパが帰ってきた!”という喜びを恥ずかしいと感じるのか。いまいちわからない、と思う。ぐちゃぐちゃになってしまった感情をどう扱っていいかわからない。そんな感情を抱えたまま、弁当を持ってベッドに腰掛けた。   「でも……。あの人は悩みはそのうちに消えるって……」  呟いた途端、一気にあの美しい優しいエネルギーに包まれ、体が座ったきり、お弁当を持ったきり、動かなかなくなった。  脳裏によみがえる芝生の上を歩く音。  見たことがない自信と愛に満ちた柔らかい笑顔。  聞いたことのない優しい声。 「悩みはそのうちに消えるって……」  涙が溢れた。お弁当の蓋の上に、ポトっ、ポトっ、と落ちていく。と、同時に言いたいことが溢れてきた。 「私にとっては長い2週間だった。反抗期だからこんな態度をとってしまうのか? なぜ自分はこうして家に引きこもっているのか? いつまで私はこうして、ただただ家にいる生活を送るのか? パパやママの本音はなんなのか? 何もかもわからなくて……。でも甘えているんだって分かっている。戦争で家がない人や貧しくてご飯を食べれない人がいる。そうやって学校でも教わったし、テレビで難民キャンプの映像も見た。お弁当持って自分の部屋のベッドの上で泣いてる私はバカなんだと思う。自分がダメなバカな奴だって、分かってる。でも、もしかしたら悩みは消えるかもしれない……。あの人が私を見た時に、あなたは大丈夫って言ってくれた気がした……」  長い独り言を言い終えると、急激にお腹がすいた。涙を拭いて、お弁当の蓋を開け、小さく「頂きます」を言ってから食べた。  *  その晩、ベッドの中で目を閉じると、あの人の優しさが部屋に流れ落ちてくるようだった。安心に包まれ、私は久しぶりにすぐに眠りに落ちた。  *     朝、ぼんやりと意識が光を捉えた。ドアをノックする音が2回。そして、ドン! と大きく三回目のノックの音。ママの声。 「いつまで寝てんの! いい加減にしなさいよ!」  現実。すぐになにが起きたのか意識が捉えると、なんとも言えない怒りと悲しさがこみ上げてきた。 「あれからずっと、「好きなようにしたらいい」って言ってたくせに、急にこれだ……。厳しく言えばきっと学校に行くだろう。そろそろ2週間経ってるから試しに脅してみよう。今日は金曜日だから。ダメならまた2日休めるから。きっとそう思ってるんだ!」  怒りは私を動かした。ガバっと布団を持ち上げ、ベッドからおりて、制服に手を伸ばした。  *  制服を着た私が2階からカバンを肩にかけて降りていくと、ママは少しほっとした顔をした。そのほっとした表情を見て、私はまた頭に来る。  学校に行って欲しい。  普通にして欲しい。  私の気持ちよりもどうせそういう世間体が大事。  玄関にカバンを置いて、洗面所に向かう。洗顔をして歯を磨いてヘアーアイロンで前髪を整える。心の中では、とにかく行かなきゃ!と繰り返している。  行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃダメ。  鏡の中の私の髪の毛はボブ。中学入学前にずっと長くしていた髪を肩につかないくらいの長さに切った。それも嫌。  緊張と怒りが体をどんどん動かす。身支度を終えて、玄関に向かう。心臓がドキドキとうるさい。どうしよう? 大丈夫かな? と思いながら半ばやけくそになりつつ靴を履くと、それを見ていたママが私が本気で行くことを確認したからか、「今日は送れるよ」と言った。  こんなに頭に来ているのに、私は結局ママに甘える。    無言で教科書やワークが入っている重たいカバンをドンっと玄関に置いて、靴を脱いで、一度キッチンに行った。ママが毎朝用意してくれるおにぎりをテーブルの上から乱暴に取り、リビングに移動。ソファーの定位置について、リモコンを手に取っった。別に見たいわけではないけど、どうしていいかわからないから、テレビを付ける。音がうるさい。  悩み始めてから、色々な音がうるさく聞こえる。ママの声も……。  おにぎりをほおばりながら、見たくもないテレビを見てる振りをしながら、10分ほど時間を過ごした。  *       学校まで車で15分の道のり。ママと二人きりの車内の微妙な空気。私は助手席の窓から景色を見てる振りをしていた。ママは、怒り出しそうなのをこらえながら私に訊いた。 「ねえ。今日はどうして行く気になったの?」  あんな感じで言われたら行かなきゃと思うでしょ、普通。それに……。「それに」のあとに続く言葉を脳内で探そうと思ったら泣き出しそうになった。 「別に……」  だから「別に」しか言えないんだよ、今は……。やっと答えた短い返事に、ママは大きなため息をついた。  それを聞いて思う。  ほら、もう私は面倒くさい子なんだって。  車窓から学校が見えた。ママは、いつも学校の校門より少し手前で私を降ろす。車がウインカーを出して停車。私は無言でドアを開け降りた。 「いってらっしゃい」  後ろからママの抑揚のない声。何も言わずドアを、バタン、とわざと大きな音を立てて閉めた。何かわからないけど、伝われ、と思うから……。  ママの車が見えなくなるまで、私は前を向いて大股で歩いた。  *  学校に入ると、私は保健室に向かった。保健室には教室に行けない生徒のためにテーブルと椅子が用意されている。ガラッとドアを開けると、知らない子達が3人席に座っていた。みんな暗い表情をしている。目を合わせない。  保健室の先生は、すぐに挨拶をしてきてくれた。どうぞ、と言って席を指差してくれたから、すんなりとその空間に溶け込めた。  勉強は嫌いじゃない。本を読むのも好きだ。  まだ中1の1学期、6月だもの。一人で勉強できる。自分を励ましながら、久しぶりに教科書とワークを取り出した。久々に冷たい木の椅子に座る感覚、シャーペンを握りしめる感覚に、なんとなく安心した。  このままこうして一人で勉強しても、きっと大丈夫だ。それに、いつか悩みが消えるかもしれないとも思えたし、きちんと5教科勉強した自分のことを、「頑張っているいい子だ」と思えた。  給食は保健室の先生が運んでくれて、無事にお昼の時間が過ぎた。午後は国語の教科書を読見ながら、最後のチャイムを今か今かと待ちながら過ごした。   *    最後のチャイムが鳴ると同時に保健室から駆け出した。急いで廊下を走って下駄箱へ。靴を履き替え、学校の校門まで猛ダッシュ。校門を通ってすぐに左に曲がる。なだらかな下り坂がしばらく続く。その下り坂を、重いカバンを肩にかけ脇にしっかり挟んで駆けおりた。  久々に全身を動かしているからか、加速が気持ち良い!「急げ、急げ、急げ、急げ」と小声でなぜか言いながら全速力で走った。制服のスカートを蹴り上げて、バサバサと音を立てながら。  「速い速い速い! 走れ! 走れ! 走れ! 走れ~っ!」  革靴の底がアスファルトに叩きつけられて、パンパンパンと音を立て、足の裏は痛い。その痛みを感じて、なんだか生きてる、と思った。  学校からだいぶ離れて、誰にも見られないところまで来たと思ったら、笑えてきた。 「ふふっ。何してんだ?一体、何から逃げてんだ?」  じんじんする足を止め、振り返った。学校は小さく見えた。 「走ったから? 少しだけ気が楽になった。少しだけ悩みが消えた? ふふふ。こうやって、悩みって本当に消えるのかなあ?」  そう言いながら、素直に笑顔を作れているなと思った。一人で、にこにこしながら歩いて行くった。一歩一歩ちゃんと前に出て行く自分の革靴。ゆっくりとそれを見ながら歩いて、しばらくして、空を見上げた。  澄んだ青。飛行機雲。  昨日のあの人の事を思いながら、また、一歩一歩丁寧に歩いた。 「淡いピンクのロングスカートは半透明だからもっと淡くて……。白いブラウスは袖がたっぷりゆるい感じで……。髪の毛は短くて少しウエーブがかかっていた。あの髪の色は白?グレイ? 肌は白くて透き通って光っていたけど……おばあさん? 目は薄い水色で……。鼻は高かったけど、細かったな……」   *  家の前に着くと、ブランコを作った大きな木の枝や葉が、垣根の上に見えるた。庭に入ってブランコの前に立って、昨日の不思議な体験をもう一度できるかどうか、そんな予感はないかどうか、心の中を探った。 「今日、あの人は来るんだろうか?」
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