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背筋をヤスリがけされたような、強烈な不快感。
車道に飛び出そうとする、蛍のその手を、僕は咄嗟に握りしめる。
「うぉっ、とぉ……トトト?」
急減速した蛍が背中をのけぞらせる。
僕の手は震えていた。
「どうしたの、夏目?」
「イヤ」
それだけしか声が出ない。
震えていたのは手だけじゃなかった。肩も背中も、喉までも。
泣きはらした後みたいに、全ての挙動が覚束ない。
「えっ、震えてるじゃん。大丈夫?」
頷く。ただ一度のはずを、恐れるように何回も。
蛍がどこか遠くへ離れていく。それはいつも感じていた、現実全てに対する劣等感。
けれど、花火を追いかけて車道に出ようとする蛍に感じたのは、劣等感とは違う顔をしていた。
例えるなら、夏祭りの人混みで大人とはぐれてしまった時のように。
自分に対して何か悪いことが起こるわけでもないのに、嫌でも最悪の場面を思い浮かべてしまうようなものだ。
それは恐怖だった。
「僕、が行く。取る、から」
君はここにいてくれ。
ようやく絞り出した言葉を残して、車道に出る。車は思い出したようにしか通らない。
蛍が歩道から身を乗り出す。
「だいじょーぶー?」
「大丈夫だよ」
花火はすぐに拾えた。一か所だけが破れていたけれど、中身は個包装になっていて無事だった。
僕は何を恐れていたのだろう。
簡単なことだ。あの一瞬、僕は車に轢かれる蛍を見ていた。
どこか既視感のある景色だった。それが余計に怖かった。
だから、僕は──
「夏目? なにして、」
僕は、彼女の代わりになろうと思ったんだ。
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