聞こえてたくせに

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「なんか、普通に楽しんじゃってるね」  葉桜を見上げながら、ポツリと蛍がこぼす。  僕は返す。 「いいことだよ。なんだって楽しめれば、見えるものも多少違ってくると思う」 「珍しいね、夏目がそんなポジティブなことを言うなんて」 「僕は元々ポジティブだよ」  現実を見ているからと言って、必ずしもそれがネガティブであるとは限らない。  現実主義は元来、理想を追わず現実に則した生き方を模索する考え方だ。目の前の現実で、どうすれば一番良いカードを引き当てられるか。  ようは現実の中から幸福を見つけ出そうとする、一つの希望だ。 「じゃあ、そのポジティブさんから見て今はどうかな。楽しんでる?」 「なんだよポジティブさんって」  まあ、楽しめてるよ。  素直に認めるのがなんだ癪だったから、言葉を濁す。 「素直じゃないなぁ夏目は。ホント猫みたい」 「僕は僕だよ」 「そりゃ私だってそうだ」  笑いながら、蛍が立ち上がる。  僕に向き直ったその瞬間、制服のスカートがヒラリと舞う。  その奥。一輪の桜の花が、彼女の背後で風に揺れた。 「どーしたの夏目。まさか、惚れちゃった?」 「まさか。今さらだよ」  見とれていたのは桜か、それとも蛍だったか。  言葉の意味に気付いた時には、彼女の頬は春色に染まっていた。 「……今さら?」  大きく見開かれたグレーの瞳が、僕だけを写している。 「ああ」  僕はもう否定しなかった。  今さらだ。僕はずっと、蛍に恋をしていた。  それに気付いたのは最近のことだったけれど、感情自体はずっと胸の底に根付いていたものだと思う。出会った時から、色褪せないままに。  僕らはしばらく、沈黙を食い殺すように桜を眺めた。  葉桜、雪、夏の蝉時雨。ちぐはぐになった季節のツギハギが、切り抜かれた静止画のように停滞している。 「それって、恋?」  ポツリと、蛍が言う。脈絡はない。  僕は「うん」と返す。お互いに、お互いの顔は見ないまま。  心の輪郭をなぞった言葉を、互いに手渡す。 「恋だよ、君に宛てて」 「うん、ありがと」  微笑む蛍が、隣に腰を降ろす。  雪の芝生についた手を、探るような指先が触れる。  言葉はいらなかった。そのまま輪郭をなぞるような手を互いに絡めて、ただそれだけを噛み締めていた。
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