憎しみは愛より出でて愛より深し

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「夏目ッ!」  蛍が飛び込んでくる。  道路の真ん中。僕は彼女のタックルで吹き飛ぶ。  街路樹の植え込みに叩き付けられる。窒息。  目の前を、一台の車が走り抜けていく。  見たことのない顔の蛍が、僕を抑えていた。  それはきっと、怒りだった。 「なにしてんの」  ゾッとするような低い声。  僕は初めて、車道の真ん中で立ち止まっていたことを思い出す。 「あ、ああ」 「ああ、じゃない。危ないでしょ」  蛍の氷みたいな手が、僕の両頬を包み込む。  至近距離で瞳を覗かれて、心臓が爆ぜるように動き出す。 「車道は危ない。そんな当たり前のことも、君はわからないのかな」 「ごめん、ボーっとしてたみたいだ」 「「みたい」じゃなくて、ボーっとしてたの」  帰るよ。  強引に僕を立たせて、蛍が歩き出す。  なんだか隣に立つのが気マズかったから、家に着くまでの間、僕は彼女に手を引かれて後ろを歩いた。 「真面目に心配した」  家に着いてすぐ、僕は蛍に小突かれた。 「ゴメン」  返す言葉は、それ以外に見当たらない。  蛍は当然のことのように言った。 「泊ってってくれたらいいよ」 「元からそのつもりだった」 「えっ、下心ヤバいね」 「あっ、いやっ、」  即座に「失敗した」と悟った。  きっと取り返しがつかない。血の気が引いていくような頭痛があった。 「ごめん、そういう意味じゃなくて」 「アッハハ。それは怒ってないよ」  軽ろやかに笑った彼女はいつも通りに見えて、けれどその耳が茹だったように赤らんでいて。  僕も蛍も、お互いに意識してしまっていることはわかったから、黙って俯く。  そのまま手を引かれて、僕らは彼女の部屋に上がった。
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