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1.平和な世界
「うっ...!」
梅雨明けの晴れた朝、40代くらいのサラリーマンが突如胸を押さえてその場に踞った。
「大丈夫ですか!? 誰か!だれ…あっ、」
見て見ぬふりをする人達が足早に通りすぎる中、出勤前のOLであろう一人の女性が大声をあげその男性にバタバタと駆け寄る。
しかし女性は途中ハッとした表情になり、慌てて口元を手で押さえた。
そして、次の瞬間
ピーーーーーッ.
甲高い笛の音と共に女性の顔も青ざめ、男性へと伸ばされた右手はピタリと静止した。
「そこのグレーのスーツを着た女性、連行!そちらの男性はすぐに病院へ。」
「違う…違うの、私はただっ…。」
懇願も空しく、女性は『礼』と呼ばれる白服の男達にズルズルと引きずられていく。
その横で残りの白服達は表情を一切変えずに苦しむ男性を白いワゴン車へと運んでいった。
「いや!感情なんて出してないっ!! あそこにはもう行きたくないっ! 離してっ!!」
恐らく彼女が『あの場所』に連れて行かれるのは今回が初めてではないのであろう。
そんな光景をただぼぅっと見ていることしかできない自分の胸に、ふつふつと込み上げてくるこの気持ちは一体何だ。
これが『怒り』というものか、いや、それとも『後悔』なのか。
わからない。だってそんなこと、今まで誰も教えてはくれなかった。
それでも心の奥底ではおかしいと、こんな世の中は変だといつも叫んでいるのにーーー
僕はいつも何もできずにいる。
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