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俺は、涼香との平穏な毎日が好きだったんだ――。
思い出したくもない記憶が、鋭い針となって胸を刺す。
二日前。月島駅沿いの道路で、婚約者だった涼香は、俺よりもずっと年上の男の車の助手席に乗っていた。
楽しそうだった。
これまで何度となく見た笑顔がフロントガラス越しに見えて、俺は車に近寄った。
「私の事、好きじゃなくなったの?」
浮気現場が見つかった涼香の涙ながらの言葉に、思考が停止した。
それはこっちのセリフだろう。
心の中でそう疑問を呈したが、運転席から降りてきた男の威圧的な態度に完全に委縮した俺は、言葉にできなかった。
「瑞樹は許してくれると思ってたの」
その日の夜にそう泣きつかれたが、泣きたいのはこっちだ。
「もう何回目なんだよ。……出て行ってくれ……出て行けよ!」
子供みたいだった。五年分の想い出に押しつぶされそうで。
今にも嗚咽を漏らして泣きだしそうなのを必死でこらえながら絞り出した俺に、涼香は
「瑞樹の嘘つき!!どんな涼香でも好きだって言ったくせに!もういい!」
自身の指から婚約指輪を抜き取り、俺の顔面向けて投げつけると、部屋を飛び出した。
マンションは契約して僅か二カ月。
豊洲駅から徒歩数分の三LDKの、虚しくも広すぎる部屋に残された俺は、ひとしきり泣いた。
床に転がった指輪のピンクダイヤは、あまりにも綺麗なままだった。
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