めし屋、おつかれさん

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電飾が施されたアパートの二階のスナックから、陽気な歌声が聞こえてくる。 居酒屋。総菜屋。和菓子屋に書店にと、昭和の雰囲気を残している商店街だ。 スナックの重そうな木製の扉が開いた。出てきたのはスーツ姿の犬頭の男だ。 「またいらしてね」 その声と共にドアの隙間からにょろりと頭が現れてぎょっとした。 まるでろくろ首というやつだ。 ろくろ首の女は路上で立ちすくむ俺に「こんばんは」と頭を左右に揺らめかせた。 逃げるように商店街を後にし、細長く伸びる路地に入った。 左右のブロック塀に囲まれた古い民家は明かりがまばらに灯り、おおよそ等間隔に並ぶ街灯がその足元にぼんやりとした光を落としている。 電信柱のすぐ横には蛙だろうか。 右手を差し出すようなポーズの石像がぽつんと佇んでいた。 「なんか、気味が悪いな」 ぎょろりとした大きな目玉が、菅笠の影から上目遣いにこちらを覗き見ている。 心の中に沸いた恐怖を振り払うように頭を振って、ひと気のない路地を自分の足音が寂しく響く。 数歩ごとにため息が出る。 俺はどこに向かって歩いているのだろう。 俺はどこに帰るんだ。 三年前に親父が病気で死んで、一周忌が過ぎた頃、母親に恋人ができた。 寂しさを紛らわす為に参加した旅行ツアーで知り合った相手だと聞いた。 相手は母親の二つ上で六十になったばかりだと言う。 俺から見ても良い人だ。穏やかな笑顔が印象的な、親父とは正反対の雰囲気を持つ男性。 良い人なのは認めるが、うっかり実家に顔を出すと親父の仏壇のすぐそばでくつろぐ恋人がいるのだ。 母親の笑顔が見られるのは嬉しい事だが、遺影の仏頂面の親父が気の毒に思えて、居た堪れなくなってしまう。  今夜はいやに冷えるな。 空を仰いで吐いたため息。白い息がふわりと夜空に溶ける。 婚約者もいなくなった。 仕事場にだって、人づきあいが苦手な俺には居場所なんて無い。 だから、俺はあの場に立ったのに――。 ツンとするものが鼻の奥を突いて、誤魔化すように鼻を啜った。 「それにしても長い道だな」 ふと立ち止まって、奇妙な状況にようやく気が付いた。  さっきと変わっていない。
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