君と過ごした6日間

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 人と人との関係や過ごした時間に長さは関係ないと言う。知り合ってたった三日で結婚を決めて数十年たっても仲のいい夫婦関係を保っている人がいるように、大切なのは相性と濃度だと思う。  濃度と言う表現が適切かどうかは分からないが、濃さと言うのは相手の記憶に残るにはとても大切な事じゃないだろうか。  軽い通知音がスマホから聞こえる。ライン、ツイッター、アプリゲーム、色んな通知音の中で、今一番聞きたかった音。表情がぱっと明るくなるのが自分でもよくわかった。  返事を待つのも恋の時間なんて言葉をどこがで聞いたことがある。仕事の合間、家に帰った時、一息ついた時、そんな時に好きな相手から連絡が来ている事に気づくと、ほんの少し心が軽くなる気がする。  始まりは本当に些細な事だった。何となく新しく作り直して始めたツイッターのアカウントで時々ハッシュタグをつけてツイートしてただけ。  何件か来た反応のうち一人の人のアカウントを見に行ったら、その人がツイートしていた自身の手の写真に惹かれた。  長くて凄く綺麗な手だなって素直に見入っただけだった。こちらからもその写真に反応を返す。社交辞令的だけれど、いいねを押したのは本心でそう思ったから。  その後すぐにダイレクトメールが来たのには驚いたけれど、最初のぎこちなさも他人行儀な感じもなくてとても好印象だったのを覚えている。  ラインを交換して、お互いの声を知り、顔を知り、誕生日、趣味、好み、家族の事、仕事の事、色んな事を話した。時々生活の一部のようにすらなっていて、とても近くにいるような錯覚すら覚えたことがある。けれど実際には新幹線に乗らなければいけない距離にいて、簡単に会う事すら出来なかった。  言った本人はきっと忘れているだろうけど、なんで近くに住んでないの?って言われた言葉が未だに頭に残っている。少しだけ胸が痛くて、きゅんとした。
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