一月村

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 〇〇県の山間の方に、一月村(ひとつきむら)と呼ばれる村がある。  一月村とは、正式名ではなく、最初にこの村の名前が耳に入った時は、場所も定かではなかった。  とにかく、一月村がどういう村かというと、普段は雪に路を閉ざされていて、夏の一月だけ、その村へ入る道が通じるというのが、通称の由来だった。  何となく、興味をそそった。  大学時代、どこかからその話を聞いて、それ以来、頭のどこかに一月村のことがあった。  それから社会人になり、嫁を貰って、子供ができて、すっかり中年になったころ、不意に雑誌の取材先で一月村の話が出た。  夏の景色を撮りに、農家をいくつか回っていた。  知り合いに例の〇〇出身の人がいて、「〇〇はいいぞ!空が違うぞ!」そう言われて気軽に訪ねた。  出来れば、古い茅葺きか、農家の様子を撮りたいとリクエストして、その知人の運転でいくつか農家を回った。  その3軒目。  写真をひと通り撮り終わって、そこのお婆ちゃんから、 「茶でも飲んで」 と縁側に誘われた。  何気ない話をいくつかした後、いつしかお婆ちゃんの来歴のような話になり、戦後、満州から引き上げた人が、山の高地の方へ入って、土地を開拓したという話へ移っていった。  山に話が移った時に、 「そういえば、この県には一月村という村があるそうですね」 と話をふると、 「あんた、よく知ってるね」 と、お婆ちゃんは右手をひらりとさせた。 「こん近くの山、入ったとこだでか」 「近いんですか?」 「んー、いや、わしも子供自分に聞いたで、よう知らん」 「今は流石に、誰もいないんでしょうね」 「うんだねか」 「学生時代に聞いて。一度、行ってみたいと思ってたんですよね」 「行かん方がええよ。あんまええ話は聞かんもん。もともとじゃったらええけども。他所の土地はよう歩かん方がええよ」  それから何となしに話がまた逸れて、その日はそのままとなった。  その日、温泉に入って、民宿の布団に入ってからも、一月村のことが気になった。    振り返って考えると、山に呼ばれていた気がする。こういう時は、大抵そういうものだ。  翌朝、高原へ登って朝霧の中の畑を撮っていた。帰りその畑の主人が、1つ裏の山に景観が綺麗な場所があると言い出した。  撮れるものは撮っておきたい。  さっそく案内を頼んで、知人の運転で付いていくことにした。  その時知人が「こっちの方はあんま行きたくねえな」と漏らした。  僕は疲れたのかなと思って然程気にしなかったが、今考えれば、知人は一月村を知ってたのである。  ともかく、案内の軽トラに続いて、僕らの車も走り出した。  軽トラはものすごいヘアピンカーブを猛スピードで下っていく。心強いのはこちらも負けないくらいの猛スピードだ。僕の運転ならとっくに見失ってしまう。  下りきって谷間に来たところで、苔のついた石橋を渡り、その後はまた信じられない傾斜を猛スピードで上がっていった。  どういう所へ向かっているか知らない僕は、知人の「こっちの方はあんま行きたくねえな」という言葉をこの道の悪さだと思った。 「こりゃ、来たくないね」  知人は応じなかった。  猛スピードで20分くらい上って、ようやく視界が開けてきた。見下ろす深い緑の山々は秋はさぞ美しいだろう。  そして木々もまばらに、カーブを抜けるとその先に吊橋があった。吊橋の脇にスペースがあり、2台はそこに止まった。 「ここですか」 「吊橋から撮れる写真が人気でよ、この辺りの温泉場行くと、この写真ばっか」 「じゃ、僕も是非」  2人をおいて写真を撮りに向かう。覚悟はしてたがそれなりに揺れた。ここも詳しく話したいが、話がそれるから割愛しよう。  谷間は川かと思えば干上がっていた。それでも、両側からもり盛る緑は美しい。 何枚か写真を取るうち、僕らの車を止めた側の山の斜面から何か反射光がある。気のせいかと思ったが、やはり、キラ、キラと光っている。  レンズを覗いてズームすると、民家の瓦屋根が見えた。その横からどうも反射光がくるようだ。 「あんな所にも人が住んでるんだな」  さっそく、2人の元へ戻るとその話をした。  案内人のおじちゃんは、 「あー、ありゃ、一月村だ」 「あれが一月村なんですか」  思ったより近い。是非、行ってみたい。 「行ってみることはいいけども、、行けるかは分かんないよ」 「でも、雪解けもしてるし、道は通ってるんですよね」 「うーん、道が分かりづらいのよ。俺たちでも、あの辺りの道はおなしとこグルグルよ」 「そんなに分かりづらいんですか」 「うーん、まーよー、行ってみてもいいけど、村が呼んでなきゃ行けないよ」  さらっとおじさんが「村が呼んでなきゃ」と言ったが、少し背筋が寒くなる思いをした。  知人は黙っている。 「少し足を伸ばしましょうよ」  学生時代からのもやもやした興味が、今日満たされるんだ。 「いいけど、日のあるうちに帰りましょう」  そういうことになった。
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