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初恋と椅子の作戦
目を覚ますと、牢屋のようなものの中にいた。というか多分、本当に牢屋だ。
一人きり。固くて冷たい床に寝かされていたからか体が痛い。
頭の痛みは気絶の直前に打ったせいだろうな。
「……起きたか」
牢屋の外から聞き覚えのある低い声に呼びかけられる。そうだ、この声を聞いてからぼくは気を失ったんだ。
声の主を見て、ぼくは言葉を失った。
───美しい生き物がいた。
ぼくがいままで見た中でなによりも美しい生き物が。
顔は獅子に似ている。もふもふした銀のたてがみが長く背中まで伸びている。位の高い者が着そうな服を人のように着ていたが、胸元の毛がアスコットタイの締め付けを弾かんばかりに膨らんでいる。
残念ながら二足歩行、しかしその足も紛うことなく獣のものだった。何の動物かまではわからなかったが踵の位置が高い。
手の指は五本、ヒトの手に近い形をしている。その全ては毛に覆われ、黒く長く鋭い爪に彩られていた。
その獣は獰猛に輝く瞳でぼくを睥睨した。牙の覗く口元から言葉が発される。
「いいか小僧、貴様に残された道はふたつだ。今すぐ私に殺されるか、未婚の娘をここへ連れて来──」
「あの、す……っ、好きです!!!」
気がつくと叫んでいた。この胸の高鳴りを無視することなどできなかった。
こんな気持ちは初めてだ。もしかして、これが恋というものだろうか。この、体の奥底からあらゆる力が湧いてくるような気持ち。目の前のもの以外すべてどうでも良くなるようなこの情熱。いや、間違いない。これが恋でなければなんだと言うのだろう!
「ぼくの名はアルフレッド、あなたに出逢うために生まれてきました。好きです。結婚してください」
「……何?」
「あなたほど美しい生き物をぼくは見たことがない。ぼくにはあなたしかいません。結婚してください」
「………………」
獣は胡乱げにぼくを見た。
「……頭でも打ったか、こいつは」
「王子が殴り飛ばした時、ちょうどテーブルの脚に」
「やはりな」
獣が話しかけたのは美麗な彫刻のほどこされた椅子だった。椅子は女の声で淡々と返事をした。なんで椅子が返事をするんだろう。どうやって喋ってるんだ。
「まあいい、小僧が使いものにならないのなら逆にするだけだ」
獣はふいと踵を返し、のしのしとどこかへ行ってしまった。重量のある体。あの服の下には相当な肉がこれでもかと詰まっているに違いない。最高だ。
ぼくは椅子とふたりきり(?)になった。
「あなた、おかしな子ね。ずいぶん若いようだけど、歳は?」
椅子が話しかけてきた。……椅子が! 話しかけてきた!
妙な状況だけど、話しかけられたからには返事をしたほうがいいよね。あの獣も普通に話していたし。
「じ、16、です……」
「あらあらまあまあ、本当に若いじゃない。その歳で頭がそんな風になるなんて、可哀想に」
椅子が本当に憐れむように言うから、ぼくはムッとして椅子を睨みつけた。喋る椅子なんかに憐れまれる筋合いはない。
「どういう意味だ」
「だってあなた、どう見えてるかは知らないけどね。あの王子を美しいだなんて、これから先……」
「ふざけるな!!」
自分でも吃驚するくらいの大声が出た。誰かに向かってこんなに大声を出したことなんてない。それでも止められなかった。
「おまえ、椅子だからものがまともに見えてないんじゃないか? 目があったとしてもそれはきっと腐ってるんだろうな。鼻面、瞳、牙、鬣、胸毛、手脚、言い切れないけど全てにたくさんの動物が混ざったあの造形美に魅了されたぼくのどこが可哀想だって? あれほどのものを見て美しい以外の感情を抱くほうがどうかしているんだ! おまえたちはみんなそうだ、頭を打っただの妖精に呪われただのぼくが黙ってるからって好き勝手言うけど、ぼくは生まれつきこうだし、ちっともいかれてなんかない! いかれてるのは美しいものを美しいと感じることすらできないおまえらじゃないか! おまえらがありがたがってるヒトなんかなあ、力は弱いし、頭部とか目の上とか股間とか適当なところ以外全部ハゲ散らかしてるし、そのくせ布なんか体につけるしなんでもかんでも食い散らかすし、世界一気持ち悪い動物なんだからな! ヒトなんか、ヒトなんか大っっっ嫌いだ!!!!!」
「…………あらまあ……」
こんなに長く怒鳴ったことなんて初めてで、酸欠でくらくらした。椅子が何か言おうとしたが、その前に足音が近づいてきた。
美しい獣が戻ってきた。人を二人、縄で繋いで。
一人は短く刈った黒髪の男、もう一人は緩やかな金のウェーブヘアの男。
「叔父上!」
「アルフ。無事で何より……と言いたいとこだが、お前、人間のことそんな風に思ってたのか?」
「えッ……もしかして、い、今の、聞こえて……!?」
狼狽えるぼくに、獣がジェームズと一緒になってため息を吐いた。
「廊下の先の先まで聞こえた。人質の分際で騒ぎ過ぎだ」
「人質?」
「まあいい。小僧、こちらへ来い」
獣が人差し指をくいっと動かしてぼくを呼びつけた。
格子のすぐ近くまで行くと、格子の隙間に入ってきた獣の手がぼくの頭を上からがっしと掴んで持ち上げた。大きな手にはぼくの頭なんてボール程度のもののようで、握り絞められて頭の骨がミシミシいった。
それだけじゃない。爪が、猛禽類のように鋭い爪が頬や首に刺さってめちゃくちゃ痛い! 好き!
「この小僧は人質だ。貴様らはこれから三日以内に、誰でもいい、未婚の娘を連れてここへ戻ってこい。それができなければ四日後の朝に小僧の首をへし折る。首を縦に振らぬなら今へし折る」
「……その、未婚の娘というのを期限内に連れてきた場合は?」
「ここや私について誰にも漏らさぬと誓えば、全員五体満足で自由の身にしてやろう」
「分かった。約束するから、まずは甥から手を離してくれ」
ぱっと手が離されてどさりと尻もちをつく。扱いが雑。野生を感じる。好き。
三人を見上げると、ジェームズは何か言いたげな顔していた。パーシーは今にも気絶しそうなほど顔を蒼褪めさせていて、獣はやはり美しかった。
「では行け、今すぐに。馬はそのままにしてある」
「待て。別れの挨拶くらいさせてくれ」
ジェームズが格子に近づいて手招きしてきた。立ち上がって顔を寄せる。
「叔父上、ぼくは……」
「俺たちはこのまま帰るぞ。さっきの啖呵を聞くにおまえもその方がいいだろ。最悪でも殺されはしないはずだ」
獣に聞かれぬよう小さく囁かれた言葉に、思わずジェームズの顔をまじまじと見た。さっき獣に約束すると言ったのは嘘か。そういえば演技はすごく上手いんだった。
こくりと頷くと、獣よりは小さな手がぼくの頭をわしゃわしゃと撫でて、離れていった。
「三日間、だな。行くぞパーシー」
「うぅ、はい……」
全く乗り気じゃなさそうなパーシーは、このまま帰ることをジェームズから聞かされていないのだろうか。それともパーシーも演技しているのか。二人は城から去っていった。
何にせよ叔父たちはこの獣から逃れることができ、ぼくもまた最愛のひとと二人きり(喋る無機物たちを除けば)になったわけだ。
獣は叔父たちを見送ると、ぼくを見てフンと鼻を鳴らした。
「貴様の命は奴らにかかっている。精々祈るんだな」
本当にその立場だったらぼくでも震えながら手を組んでいたことだろう。でもそうではないので、ぼくは格子を掴んで獣に話しかけた。
「貴様ではなくアルフレッドとお呼びください、麗しの君よ!」
「うる……!? なんだその呼び方は……」
「あなたのお名前をお教えいただくまでぼくはこう呼ぶ他ない。それとも美しき御方の方が良いでしょうか」
「…………黙れ。なんであれ私を気安く呼ぶな。身の程を弁えよ」
照れているのか、獣はそれだけ言い残すとくるりと踵を返して去ってしまった。
「あああ、どうかもう少しお話を……!」
「あなたホントにすごいわねえ」
椅子が呆れたように言った。
三日間の食事は喋って動く無機物たちが運んできた。獣、もとい麗しの君、あるいは美しき御方、は一度も姿を見せてくれなった。やはりいきなり距離を詰めようとしたのが良くなかったのだろうか。恋愛というのは難しいものだと口々に言っていた同世代の友を思い出す。こんなことならもっと真剣に話を聞いておけばよかった。
椅子はずっと牢屋の前にいて、ぼくの話し相手になった。始めはぼくも怒鳴り散らしてしまった負い目もあって気まずかったが、彼女しか相手がいないのですぐにそんなことは忘れて恋愛相談に乗ってもらった。
「あなたのお説教で目が覚めたわ。好みなんて人それぞれだものね」
それに主人を褒められて悪い気はしない、と椅子は言った。
話の流れでどうして椅子や他の無機物たちは喋って動くのかと聞いてみたが、椅子は答えてくれなかった。そして、どうせあと少しで出て行っちゃうでしょう、と寂しそうに笑った(依然として顔はどこにもないのだが、話しているとなんとなく表情のようなものがわかるようになってきた)。
そんなことはないとすぐに否定しようとしたけど、さすがに始めから取引に応じる気がなかったと知られたらまずい気がしたので黙っておいた。
そして、四日目の朝。
美しき御方が牢屋の前に現れた。
「おはようございます麗しの君よ! 本日も美の女神が嫉妬で狂うほどに美しいですね結婚してください!」
「朝からやかましいな……」
獣は辟易した様子で牢の錠を外し、ぼくを牢屋から出させた。
「貴様の叔父とやらたちが発ってから、今日が何日だかわかるか」
「四日目です、麗しの君」
「そう、四日目だ。四日目の朝に彼奴らが帰って来なければ貴様を縊り殺すと言ったことも、もちろん覚えているだろうな」
獣は耳元まで裂けた口でにやりと獰猛に笑う。骨格は獅子や猫のようだけど、口周りは犬に近いのだろうか。
ぼくは大きく頷き、獣に向けて両腕を広げた。
「もちろんです。さあどうぞ!」
「……何?」
獣はぱちくりと大きく瞬きした。
「自分でも最近知ったのですが、ぼくは案外情熱的な男だったようです。初恋の相手であるあなたの手で死ねるなら本望というもの! さあ、さあ、一思いに!」
伸ばされかけていた獣の手を両手でそっと握り、そのままぼくの首に誘導する。獣は数秒呆けたようにそれを見ていたが、ハッと目を覚ましたように手を振り払った。
「……気狂いめ。ええい、興が殺がれた。どこへなりとも行ってしまえ」
そう言ってくるりと踵を返す。ぼくはその場に立ちすくんで、それから椅子の方を見た。
「い、今の、聞いた?」
「聞いてたわよ。見事にフラれ……」
「あの御方が、ここにいてもいいって」
「言ってないわよ?」
いいや言ったとも。どこへなりとも、と獣は言った。それってつまりぼくがどこにいても構わないということじゃないか? つまり、城にいたままでも。
「あなた、言ってることめちゃくちゃだわ」
「めちゃくちゃなものか。なあ、適当なところでいい、客間とかない?」
「……あるにはあるけど、王子がだめと言ったら追い出されるわよ」
「そこをなんとか」
ぼくは椅子を拝んだ。傍から見ると相当シュールだろうな、と頭の片隅で思ったけど、ここにはこの椅子が喋ることを知っている者しかいないからいい。
椅子はしばらく無言だったけど、やがて諦めたようにため息をついた。
「仕方ないわね、今日一晩はここでお待ち。みんなに掛け合って王子を説得してみるわ」
「本当!?」
「嘘ついてどうするの。その代わり、明日もフラれたら出て行ってちょうだいね」
「いやそれはちょっと」
「…………」
「わかりました。お願いします」
椅子から謎の圧を感じたので深々と頭を下げておいた。
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