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現れたのは眩しいほどに色の薄い、きらきらと光る金髪の人影。
目を細めてその姿を見、昨日追い出したはずの子供だとわかる。
いや、実際は台詞からもうわかっていたが、なんとなく脳が理解するのを拒否していた。
青年は整った顔を興奮に歪め(非常にもったいないと感じる。顔だけは、顔だけは本当に整っているので)、ずいずいと気持ち悪い表情のままこちらへ歩を進めてきた。
「寝起きのあなたも一層美しい。ああ、朝だというのに──否、朝だからこそか! ぼくのあなたへの熱情は今にもはちきれんばかりに天を仰いでいます!」
「何の隠語だそれは。入ってくるな、近寄るな気狂いが!」
なるべく顔だけを見て咆哮を上げるが青年は一切ひるまず、眼前で跪くとベッドに腰掛けたままの自分の手を恭しく取った。
昨日、全く同じ動作でそのまま青年の首に触れさせられたことを思い出し、反射で手を振り払う。鋭い爪が小さな手を傷つけ、赤い血が滲んだ。
「っ、」
すまない、と。言いかけた謝罪の言葉をすんでで呑み込み、わざと眉を寄せて青年を睨みつける。
「私に気安く触れるからそうなるのだ、痴れ者が。さっさと出ていけ」
何を思って自分に歯の浮くような台詞を並べ立てるのか皆目見当もつかないが、一方的に惚れているというなら冷たくすれば諦めるだろう。
そう、思ったのに。
青年は手首を伝って流れる血をじっと見ていたと思うと、にんまりと口角を上げてかぶりを振った。
「出ませんとも。あなたのお着替えに立ち会うまでは!」
「…………」
変態だ。
変態がいる。
できるだけ触りたくないが首根っこ掴んで放り出したほうが早いだろうか。
思わず眉間を揉みこんだ所へ、ルイーズが駆けつけた。
「ご無事ですか、王子!」
彼女は今でこそ椅子にされたが、人間であった頃は乳母だった。実の母親より長く世話をされた相手で、今でも頼れる大人だ。
彼女は期待通り青年に座面で華麗な膝カックンを決めると、そのまま青年を座らせ、「ごきげんよう」と声をかけて去っていった。
獣はようやく落ち着いてベッドから降り、寝間着を脱いだ。
カーテンがふわりと浮き上がり、クローゼットがひとりでに開き、次々にこれはどうかこれはどうかと今日の服を身繕い出す。
「どれでも構わん。どうせお前たちしか見ないではないか」
だから早く寄越せと苦笑しつつ待っていると、廊下の方からまたドタバタと足音。
「お待ちなさいって言ってるのよこのクソガキィイーーーーー!!」
「嫌だ! ぼくはなんとしても今日、あの方の生着替えを見るんだァア───!!」
はた、と。走り込んできた青年と目が合う。
青年はそれまでの全力疾走が嘘のようにピタリとすべての動きを止め(多分息も止まっている)、獣の裸体をゆっくりと上から下まで堪能し、
糸が切れたようにその場に倒れこんだ。
「ホラご覧、だから言ったのに! 刺激が強すぎるからもう少し後になさいってあれほど言ったのに!」
ルイーズが倒れた青年に叫んでいる。ハッと我に帰った彼女は「オホホ、失礼しましたわ」と器用に青年を引きずって行こうとしたが、
「シャルマン」
王子がそう言って指を鳴らし、フットレストが飛んで行って素早く彼女の後ろに回り込んだ。
フットレストは誇らしげにワンと吠え、主人からの賛辞を待つ。いい子だ、と声をかけ、ルイーズに歩み寄る。
「あらオホホ、王子……何か?」
「ルイーズ。『もう少し後で』とはどういう意味か」
「あら、そんなこと言ったかしらね」
「詳しく聞かせよ。場合によっては貴様の脚を二本にしてやってもいい」
自分でも変な脅し文句だと思ったが、椅子の脚は四本なのだから間違ったことは言っていない。
「お言葉ですが王子、そんな口をきいていいのかしら。元に戻ったら必ずやお尻を100回……」
「フン。私たちはもはや元になど戻れぬ。腕のない貴様に尻叩きの話をされたところで痛くも痒くもない」
「────」
言ってから、しまった、と思った。王子よりも召使いの彼女らの方がよっぽど諦めていないのを忘れていた。フットレスト、もとい元バセットハウンドのシャルマンも心なしかしゅんとしたように見える。
次の言葉を探しあぐねていると、ルイーズは青年を置いてススっと近づいてきた。
「ではお話しますわ、王子。我々の企みを」
彼女はまくしたてた。
「ご存知でしたか、王子。私たちが『こう』なってから、もう百年以上経ってるようですのよ」
「であれば女の子が好む男性像なぞ私たちの時代からはかけ離れていて当然」
「今までうまくいかなかったのも絶対にこのジェネレーションギャップが発生していたせいに決まっていますわ」
「ですからあの坊やにその辺りを教えてもらえば万事快調、きっとすぐ魔法も解けることでしょう」
なるほど、一理ある。
と頷きかけた王子だったが、すぐに冷静になった。
育ての乳母の言うことを信じやすい傾向がある自覚はあり、今度こそ丸めこまれないぞという意志を持ち直す。
「私に欲情している変態が、女性の好む男性像などを分かっているとは思えないが」
つとめて落ち着いた口調で反論すると、目を覚ましたらしい青年ががばりと上体を起こした。
「女性の好む男性像なら、分かっていますとも」
「ほう?」
「ぼくです」
キリリとした真剣な表情。
青年は至って真面目に言っているようだった。
いかん、頭痛がしてきた。
「つまり、顔か」
「そうです。女性は今も昔も顔の良い男が好きです。あと金持ち」
そんなことは100年前から変わっていない。これのどこが役に立つんだ、とルイーズを睨みつけると、彼女は青年の背を押した。
「ステータス以外にもあるでしょう? 流行りの服とか。そういうのを教えてほしいのだけど」
「服ぅ? まさかこの完成された毛皮にそんな野暮なものを纏わせよと?」
ルイーズの助け船を容赦なく叩き壊し、跪いた青年はこの毛皮がどれだけ素晴らしいかをいやに早口かつ活舌良くペラペラとまくしたて始めた。
あまり聞きたくないので極力意識をそらし、再度ルイーズに視線を送る。
これの、どこが、役に立つ、と?
椅子は沈黙した。
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