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マッチョイズムが苦手で、オアシスよりもスウェードを好んで聴いた。あるいはヴェルヴェット・アンダーグラウンドのように繊細な古い音楽やスウィート・ソウルを。
そんな僕は太陽が輝く昼よりも、月が照らす夜を好む。
音楽と安いワインと一日二十本の煙草。そして長い髪。
これが外側から見た、少し時代遅れの僕という記号だ。
平塚 雷鳥は「元始、女性は太陽であった」といった。その通りだと思う。だから僕は女という存在が苦手なのかもしれない。
これが僕を内側から支配している記号の一つ。記号というよりも性癖に近いものだが、そんなことはどっちでも良い。
「鈴太郎」
僕の名前だ。
「メシにしよう」
パンケーキにはメイプルシロップしか落とさない。バターは邪魔だ。昔からバターと名の付くものに優しくされた例がない。
「そんなだから鈴太郎は華奢なんだ」
正面で可笑しそうに笑う彼は薫という。中性的な人で、性別に左右されない自由人だ。
ペンキで椅子に青い色を塗った次の日に知り合った。およそ僕より何でも上手く熟す。
そんな彼を大人っぽいと思ったし、だから憧れてもいる。
薫の醸す繊細そうな雰囲気と、僕よりも短く纏まった髪は、何故か僕の心を落ち着かせるのだ。
今ではキスをするような関係の、大切で尊敬できる友人だ。
何よりも愛おしい。ちょっと違うな。自分をこの世に産み落としてくれた親に、初めて心の底から感謝したい気分。
きっと今は春であるに違いない。だって僕の心には花が咲いて、忙しなく揺れているのだから。
「鈴太郎は暇なのな」
「君と違って文系の学生は暇なのさ」
僕はずっと自分がマイノリティであることを何処か後ろめたく思っていた。
別に恥じているわけではないけれど、やはり人とは違うという刻印は理性では隠しきれない傷痕になるのだ。
薫はそのへんをキッチリと割り切れているようで、僕なんかよりもずっと器用に世間との折り合いをつけて生きているように見える。
「きっと君は強い人なんだな。だから僕は君の前では弱くなってしまうんだね」
僕の言葉は、きっと彼の前で意味を成さない。とても弱く響いて、語句としての生命力が途中で空中分解しているような気さえする。
「また、どうしようもないことを考えているね」
それでも彼は、そんなことを言いながら笑ってくれるのだ。嬉しい。
ゆらゆらとそわそわと気恥ずかしい僕の想いは見透かされて、でもそれが心地良かったりする。不思議な感覚だ。
こんな世界が本当にあることを、彼に出会って初めて知った。
「明日は月曜だから来れない」
キスの後、恥らう表情で薫が言った。いつものことだ。いつも日曜日の夜には同じことを言う。
「ああ、分かってる」
「そんな寂しそうな顔をするなよ」
「元からこんな顔なんだ」
情けないヤツと思われただろうか。
そうかもしれない。きっと、僕はいつだって隠れる場所を探している。
そして僕は、とうとう見てしまった。セーラー服を着て、学校の友人達と一緒に下校する彼の姿を。
驚いて言葉も出なかった。
陽の下で見る彼は、ちゃんと彼女だった。
僕と薫の視線は交差点で衝突事故を起こして、辺りは大渋滞になった。
だから太陽は嫌いなんだ。知らなくてもよい事実まで見せようとする。
残酷で眩しくて、容赦がない。
それから三日間、外に出なかった。
携帯の呼び出し音も徹底的に無視した。目の前に薫が現われそうで怖かったからだ。
薫は女だった。セーラー服の似合う年下の女子高生だった。
騙されていた?
混乱した。陽の光を浴びたせいで、薫が女に変わってしまったような気さえした。
月の下で微笑む薫はもういない。夜の薫は昼の薫に殺されて元始に戻ってしまったのだ。
夜と朝の境界線を跨ぐ頃に、お腹が鳴った。人間、どんな時でもハラは減るものらしい。
今の僕の気持ちを癒やすことができるのは、優しい白米くらいかもしれない。
だって、どうしようもないくらい日本人なんだ。
冷蔵庫を開けると、中にはミネラルウォーターと賞味期限が切れた玉子が一個あるだけだった。
ホットケーキミックスの空箱が虚しく床に転がっている。
今日は外へ出なければならないだろう。サボれない講義もある。
僕は吐きたてのタメ息を口にしながら、ジャケットに袖を通して部屋を出た。心なし、空気が冷たい。やはり今は春ではなかった。
講義の内容は目と耳に入ったそばから頭に入らず零れ落ちて、おかげで講義室の床は吸収しきれなかった僕の無駄な知識で溢れかえった。掃除をする人は、さぞ大変な思いをすることだろう。
「鈴太郎!」
無駄な時間を過ごした帰り道に、背後から声を掛けられた。
「誰ですか貴女は?」
「薫だよ。知ってるだろ」
セーラー服の気配がする。下校の帰り道に偶然重なってしまったのか。あるいは待ち伏せをされていたのかもしれない。
「僕の知っている薫は、そんな子供じゃなかった」
「私は何も変わってない。鈴太郎は着ているもので人を判断するのかよ」
「初めて会ったときに、君は未成年じゃないと僕に言ったじゃないか!」
だから僕はその言葉を信じて安心できたのに。今は女性に変わってしまった彼の顔をマトモに見ることすら出来ない。
「それは、嘘をついたのは謝るよ。でも、未成年だとダメなのか? たった二つの歳の差でしかないのに」
「世間的に君の年頃の二年間は大きいんだよ。これ以上、僕を困らせないでくれ」
僕は努めて冷静を装った。そうやって自身の心を守るしか術を知らない。臆病な子供だからだ。
「キスしたくせに」
ああ、何ということだ。僕は女子高生にキスをしてしまったのだ。愛を語らって、彼女の焼いた薄いパンケーキまで食べた。
「キスしたくせに! キスしたくせに!」
「大声で叫ぶなよ。そして後を付いて来るな」
最早、僕らは衆人環視の注目の的だ。
「僕はゲイだ。君が女性だと知っていたら付き合わなかった」
「でも付き合えた。その間、私に一度でも欲情しなかったって胸を張って言えるのかよ?」
公衆の面前でなんということを口にするのだろう。最近の女子高生というのは恥も外聞も気にしないのか。
「もし一度でも劣情を持ったのなら、鈴太郎はゲイなんかじゃないぜ」
「なんかって言うのは止せよ。失礼だろう」
「鈴太郎はゲイの振りをして女性から逃げているだけだ。そっちのほうが失礼じゃないか」
僕は逃げ出した。とても耐えられない。
後ろで薫の怒鳴り声が聞こえる。バカヤローまでは聞き取れたけど、あとは訳の分からない呪文のような理解不能に変わった。
きっと、呪いの言葉に違いない。
やっとの思いでアパートに帰ると、毛布を頭から被った。
薫の幻影を追い出そうと、イヤホンで狂ったように音楽を聴いた。何を聴いたのかまでは覚えていない。
空腹で目が覚める。いつの間にか眠ってしまったらしい。
冷蔵庫の唸り声を聞いて、買い物を忘れていたことに気がつく。
お腹が減っていた。そういえばここ二、三日、ろくなものを口にしていない。
ノロノロと重い体を引き摺って深夜のコンビニへ向かう。
月が出ていた。蒼い光が僕を責めているような気がして、足は自然と速まった。
角を曲がった街灯の辺りで、人影を見つけて立ち止まる。
「薫?」
切れかけた電灯の明滅の下で、薫は男になったり女になったり、性別を忙しく交換しながら立っていた。
彼女は鞄から銃を取り出すと僕に向けて構える。そして、その怖いくらいに美しい表情で引き金に指をかけた。
「バン!」
瞬間、様々な思いが僕の中を駆け抜けていく。
「モデルガンだよ」
死ぬかと思った。
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