理想的な一日

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「おかえりなさいませ」 「ただいま」  定位置のソファに流れ込む。そして、テーブルを目の前まで引っ張る。すると、203号がそのテーブルの上にノートパソコンを持ってきて広げた。何から何までわかって尽くしてくれるんだな。  僕は、大学生活を始めてからブログを書き始めていた。ただ、小説を読むだけなのも味気(あじけ)ないから感想を書く場を(もう)けたのだ。自分としてはかなり続いた方だが、次第にやる気がなくなってログインするもの嫌になっていた。  なんだか、だんだんとこのブログを書くために小説を読んでいる気がしたのだ。それはそれでいいことなのだが、この感想を書き込むという行為が億劫(おっくう)になったせいで、やはり読書が追われるものに変わっていったのが原因だった。  でも、今日はとてもいい気分で書けそうだった。豊かな心が感情をハッキリと形作り、流れるようにタイピングしていける。  丁度、書き終わったころに203号が夕食を作り終えていた。ノートパソコンを閉じて、テーブルを元の位置に戻し、食事を並べていく。寒い冬にうってつけの鍋料理だ。一人用の鍋。食べるのは僕だけだ。203号は邪魔にならないように僕の後ろ側で座って視界に入らないようにしている。  夕食を食べ終わると食後のコーヒーが出てきた。それを飲んで、一息ついていると203号から風呂の準備ができたことを告げられた。  最近はずっとシャワーだった。そのせいで、肌が乾燥(かんそう)して痒くて仕方がない状態にまでなっている。暇があれば風呂を沸かしてゆっくり入ろうと思っていたけど、やろうと思えば思うほど億劫になるのだった。  風呂から上がると、冷凍庫から氷を取り出してグラスに詰め込み、ウィスキーを入れて炭酸で割る。それを飲みながら、一人物思いにふける。  本来の僕はウィスキーの味が嫌いだ。700ml瓶の中身は何日たっても減らず最終的に呪いのようにそこにある液体を全部流し台に捨てた。それから大抵酒を飲むときは缶チューハイだ。  本当はこうやって、香り高いお酒をゆっくり楽しむ夜が欲しかった。 「どうでしたか? ご主人様」  僕の横に来て203号は聞いてくる。 「貴方は、コーヒーが(かお)り、ゆっくりと小説に(ふけ)る朝を送りたかった。家の近くにお気に入りの喫茶店を見つけて、そこのマスターと仲良くなりたかった。お風呂上りは、ウィスキーを(たしな)んで、映画でも観て眠る夜が欲しかった。……そうですよね?」  そうだ。僕はそんな日常が欲しかった。なんか格好いい日常。今日一日のような充実した日々を送りたかったんだ。 「でも、僕はできなかった。朝は低血圧ですぐには起きれない。休日なんかは昼過ぎまで寝てしまう。昼に外に出たって、喫茶店に一人で入る勇気もない。ウィスキーは飲めないし、夜は何もするわけじゃないのにグダグダして、深夜遅い時間まで無駄に起きている」  それが、僕という人間の日常。講義やその課題、バイトに追われて将来の不安もあって、うまくいかない人間関係もある。そんな中で理想の暮らしなんかできるはずもなく、汚れに汚れていった。  ふと気づくと、部屋が片付ける前の汚い状態になっていた。テーブルの上にはペットボトルと空き缶。籠から溢れる洗濯物。あのクローゼットの中も、ぐちゃぐちゃになっているのだろう。急に重苦しい何かが全身に乗っかってきた感じがする。
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