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「あーなんでかなあ」
迫ってくるような天井がひゅんと元に戻る。ずいぶんと臨場感のある懐古だった。懐古、というほど古くもないけど。できったはずの水滴がまた、洗ったばかりのシーツに小さい染みを作る。そう、まだ、終わってない。足あとはもう少しある。
濡れた頬を拭き、がばっと起き上がる。月明かりをなぞるように、玄関へ向かう足あとがあった。
「よっ、ほっ、よーおっ」
一段と大きい声で一歩ずつ大事に渡る。玄関でしゃがみ、想像する。彼はどんな気持ちで出て行ったのだろう。出る直前に靴下を履くくせ、最後まで治らなかったんだな。倒れている靴べらを拾って棚の脇にかける。
「……終わった」
彼とはもう、二度と会わない。幼なじみでも同僚でもないし、職場もここから正反対だ。
三日後に戻ってきたとき、彼は既に出払ったあとだった。もしかしたら置き手紙でも、と思ったけれどそれもない。無事に鍵を受け取ったと連絡しようとしたが、すべてブロックされていた。
「さてさて、思い出にしましょうかね」
またわざとらしく呟いて、オレンジ成分の入ったウエットシートで床を拭く。こびりついた皮脂汚れは丹念にこすらないと消えてくれない。
「もういっか」
諦めて、ベッドにぼすん。はたとスマホを見れば時刻は午前一時四十分。もうどっぷり真夜中だ。寝よう。とにかく寝よう。明日起きて、彼の足あとを全部消して、しっかりすっかり思い出にしてしまおう。
ふわふわのお日様の香りがする布団に身を包み、目を閉じる。なにか、忘れている気がするけど、まあいっか。おやすみ、私。明日からきっと太陽が眩しく見えるはず。私はすんなりと夢の世界へ落ちていった。
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