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「久しぶりだよね。俊貴とこうやって歩くのって」
緩く蛇行する道を下りながら、灯莉はのどかに言った。
隣を歩く僕は、道端に咲くハルジオンや、高校の通学路から飛んできた桜の花びら、灯莉の履いた紅茶色のフラットシューズを見下ろしながら、民家と田んぼの隙間を縫うように延びるアスファルトを歩いた。この時間は、本当に現実だろうか。青空のてっぺんからは、太陽が眩い光を降らせてくる。同じ陽だまりを歩いているのに、スニーカーを履いた僕の所にばかり、濃い影が集まっている気がした。
「俊貴、前髪伸びた?」
「別に」
「背もすごく伸びたよね。少しびっくりした」
「いい加減に」
ガキ扱いは、もう――。そんな稚拙な悪態を、僕は喉の奥に押し留める。言ったところで、何が変わるというのだろう。何一つ変わらなかったではないか。二年という埋めようのない隔たりが、惨めに晒されて終わるだけだ。
「最近は、歩美ちゃんとはどう?」
「別に、あいつは……ただの幼馴染で、それだけだ」
最近では同じ高校の教室にいても、僕らは視線すら合わさない。幼馴染でも何でもない他のクラスメイト相手の方が、まだ気安い関係だ。だから、歩美がどんな顔をしているかなんて、僕は知らない。どうでもいい。この先も、知らないままでいい。
「自分のこと、いつから俺なんて言うようになったの?」
桜を乗せた風は温かかったが、いつの間にか熱を帯びていた意識を醒ます程度には冷たかった。言葉に窮した僕の隣で、灯莉は声の穏やかさを変えなかった。
「最近、歩美ちゃんが私の家に来たんだ」
「歩美が?」
迂闊にも顔を上げた僕は、渋面を作る。やっと目が合ったことを喜ぶように眉を下げた灯莉は、少しだけ僕を咎めるような目をしていた。
「泣いてたよ。俊貴がずっと冷たいって」
「関係ないだろ、灯莉には」
「だって私、責められたもん。俊貴が冷たいのは先輩のせいですよねって。もう一緒に遊んでた頃みたいに、灯莉ちゃんって呼んでくれない」
足が止まりかけて、爪先が小石を蹴飛ばした。だが、驚くには値しない。心の中で、僕は頭を振る。歩美の言葉は、残酷なくらいに真実だ。
「ねえ、覚えてる? 小学生のとき、春休みに。学校の体育館に忍び込んだよね」
灯莉は、歩美の話題を切り上げた。肩すかしを食らった僕は、空虚な懐かしさで苦しくなる。灯莉の興味があちこちに移ろうのは、昔から変わらない。
「そんなこと、もう覚えてない」
「嘘。忘れるわけないのに」
灯莉は、また笑ったようだ。民家のブロック塀からせり出したミモザの枝の下を通り過ぎると、僕の前に回り込んで、悪戯っぽく目を細めてくる。
「お姉さんが手料理を持って迎えに来たんだから、喋ってよ。体育館の舞台裏に、梯子があったのを覚えてない?」
「……覚えてる」
目を逸らした僕は、観念して吐き捨てた。灯莉は僕が会話に乗ってきて嬉しいのか、満足げに微笑むと、前を向いて歩き出した。
右腕に提げられた籐編みのバスケットが、軽やかな足取りに合わせて弾む。まるで僕らが出会った頃のような屈託のなさで、灯莉は凸凹の石段を下りていく。
――未来への片道切符が一枚だけ入った、青い封筒をその手に持って。
「体育館の舞台裏に続く梯子を、どうしても上ってみたくて、先生にバレたら叱られるから、こっそり上がったんだよね。舞台の真上って照明がすごく近くて、ベニヤ板みたいに薄っぺらい板の上を歩くのって、ぐらぐらして、怖くて、わくわくして」
「……灯莉」
意を決して呼んだのに、灯莉はやめなかった。「俊貴ってば、梯子から下りられなくなったよね。落ちるー落ちるーって大騒ぎして」と、昔を懐かしむのが義務であるかのように、明るい口調を崩さない。
「私が大丈夫だよって励ましても、ここは海じゃないから灯莉姉ちゃんだって助けてくれない、なんて変なことを言ってたよね。結局、先生にバレて怒られちゃったし」
「灯莉」と僕はもう一度呼んだ。だけどまだ、灯莉はやめない。やめてくれない。
「半べそだったくせに、私が中学校の制服で小学校に遊びに行ったときは、しれーっとした顔しちゃってさ。別に僕、怖くなんてなかったし、なんて強がり言っちゃって。……でも、楽しかったよ。卒業前に、俊貴と遊べて。私は、本当に楽しかった」
「灯莉。……大学、どうだった?」
並んで歩く影が、止まった。僕は、静かに灯莉を見た。灯莉もまた、僕を見ていた。ミルクティー色の髪をかき上げて背に流した灯莉は、やはり明るく笑っていた。
「受かったよ」
陽の光を受けて輝く瞳の奥に、穏やかな決意が宿っている。僕は、奥歯を噛みしめた。
――まだ、距離は開くのだ。足掻いても、どうしようもないほどに。
「私は、もうすぐ東京に行く」
乾いた潮風が、僕らの間をすり抜ける。逃げるように視線を灯莉から外した先に、深い青色に凪いだ海と――白亜の灯台が見えてきた。
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