ボアサム

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ボアサム

 ミハルには当てがあったのだろう、ウェスリーを連れて街道沿いの商店の一つに迷い無く入る。外観は暗くて店構えも屋号もよく見えなかったが、濃い赤に塗られた木の扉を抜けると店内は存外明るく、ウェスリーはほっとした。  天井に張り出した太い梁に幾つも点された橙色の室内灯のお蔭で充分に明るいようだった。壁の棚に、床に置かれた台の上に、挙句床に直接置かれる形で、細かい雑貨から木製の家具までがある。品物の陳列は雑然としているが品揃えは豊富に見える。部屋の壁沿いに備えられたストーヴの熱で店内はじんわりと暖かい。 「あら隊長さん」  商品が所狭しと並べられている台の横にふらりと立ったミハルに気付いて、カウンターの向こうから女が声を掛けてきた。店番なのだろう、服の上から前掛けを着けた妙齢の女性である。まくり上げた袖から覗く前腕が逞しい。 「お買い物? 珍しいね」 「敷物探してる」  女性がカウンターから低い開き戸の蝶番を鳴らして出てくる。 「敷物ならこっちだよ。前買ったのもう駄目にしたの?」  彼女がそう言いながら指し示す店内の一角には、成る程色とりどりの敷物が幾枚も積み上げられている。 「俺んじゃねえよ」 「ああそちらさんの? 気に入ったのがあれば言いなよ、後でうちのに運ばせるから」  ミハルの返事を受けて、途中からウェスリーに向かっての言葉を掛ける女に、軽く頭を下げる。そうして仕方なく敷物の山を手は触れずに眺め始めるウェスリーをよそに、店番の女はミハルに話し掛けている。 「季節が過ぎるのが早いねえ、隊長さんが隊長さんになってからもうどれくらい?」 「さあ」 「あの時は隊長さんの部隊だっていう兵隊さんたちが遅くまでご機嫌で飲んでたからねえ。沢山飲み食いしてくれたって、赤鼻亭の奥さんが嬉しい悲鳴上げたもんさ」 「そうかい」 「こないだも隊長さんとこの部隊が随分活躍したって聞いたよ。いいねえ誉れだねえ」 「おいまだか」  二人の会話を何とはなしに耳に入れていたウェスリーは、唐突にミハルの言葉の矛先が自分に向いたことに驚きかつ焦る。正直あまり何も考えずに品物を眺めていただけだったのだ。ミハルはやけに不機嫌な表情でウェスリーを睨んでいる。 「あ、こ、これにします」  適当に一番上に積み上がっている敷物を指差した。 「決まったの?」  拍子抜けしたような高い声音で女が問うてくる。言葉を継げずにこくこくと頷くウェスリーを見て、何故か大きな溜息を吐いて女はカウンターの後ろの扉から奥へと入って行く。ミハルは眉を上げた、先程よりやや和らいだ顔付きになって言う。 「お前それでいいの?」 「はい」  別に何でもいいのだ。とは流石に言わない。 「ここのおっさんが運んどいてくれるから」 「それは助かりますけど」  少し申し訳ない気持ちもするウェスリーである。ミハルは肩に引っ掛けていた上衣を広げて袖に腕を通すと腕組みをする。 「そんでよ」  そう何か言い掛けたミハルの声に被せる形で、店番の女が戻って来て大きな声を上げた。 「お連れさん、明日の方が安くなるけど明日じゃ都合悪いかい?」 「えっ」  ウェスリーは一声発した後で問い返す。 「いえ、急ぎませんけど何故明日なら安くなるのですか?」  眉を顰めるウェスリーの横でミハルも怪訝そうに女に目を遣る。女は両手を腰に置いて呆れたように、一層大きな声で言った。 「いやだね明日はボアサムじゃないか、お祭りだよ」  その年の秋分の日から数えて四十日目の日、リパロヴィナの特に農村部ではボアサムという祭礼が催される。今年は十月、精霧(しょうむ)の月の最終日である今日がその日に当たる。  そのことを首都ストロム育ちのウェスリーはうっかりと失念していた。  お祭り価格で安くなるのだから明日おいでと商店の女が言ったので、昨夜は結局何も得るもの無く兵営に帰ってきた二人である。ミハルは兵営に着くと興が醒めたようにウェスリーを置いて何処かへいなくなってしまった。大幅に時間が押していたものの、何とか入浴と食事を済ませて、ウェスリーは新しい自室へ帰り着くことができたのであった。  消灯時間の直前まで魔法書を開いて詠唱構築理論の復習をし、睡魔に勝てなくなったところで寝台に倒れ込んだ。早く朝になれと念じながら寝たおかげか、途中で一度も目を覚ますことなく朝を迎えた。  起床喇叭の音で目を覚まし、さっさと上衣以外の衣服を身に着けると洗面を済ませるために部屋を出る。出て正面に見えるミハルの部屋の扉は閉ざされていて、ウェスリーは目を伏せてその前を通り過ぎた。手巾を手に廊下を歩く。部屋の中は壁の内部に通された配管越しの温水熱で温かいが、廊下の空気はやや冷たい。自然と肩に力が入ってしまう。  ウェスリーと同じように、身支度をするために廊下沿いの各部屋から将兵らが次々出てきて、言葉を交わしながら隊舎の外にある洗濯洗面所を目指していく。皆どこか朝の気怠さを含んだ様子で会話をしているが、それでも歩調は速くきびきびとしている。 「おはようウェスリー曹長ー!」  唐突に背後から大きな声を掛けられ、ウェスリーはすぼめていた肩をびくりと揺らして振り向いた。  すぐ後ろで、頭髪を綺麗に剃り上げた顎の幅の広い青年が明るく笑って手をかざしている。一瞬彼の名が頭の中に浮かばず戸惑うが、すぐに思い出して返事をした。 「クジマ軍曹、おはようございます」  クジマ・ガモフ軍曹。つい先日初めて名前を知った、ミハル班の一員である。まだまともに話したことは無いが、いつ見ても身体から発散する雰囲気が何となく。挙動が大振りで、声もやたらと大きいのだ。今も大股で歩く彼は、返事をする間にウェスリーを追い抜いてしまった。  クジマを目で追ってみると、彼は前を歩いていた他の班員と肩を寄せて何やら小声でやり取りをして、そして二人してウェスリーの方をちらと見て笑っている。  何なんだろう。  ウェスリーは何となく自分が笑われているのではと感じて喉がつかえるような気持ちがした。  廊下を抜け、一階へ下りる階段に差し掛かる。前を歩くクジマの声が耳に届く。 「俺今年はちゃんとお菓子あげる準備したんだぜ偉いだろう!」 「去年はなんと仮装する側をやってたからなあ……成長したんだなクジマ」  階段を下りながら隣で返事をする男は確かユーリー・リヒテル軍曹といったはずだ。クジマのパートナーだったか。 「仮装の準備もしてるけどな!」  がっははと大声で笑うクジマに、ユーリーが呆れたような声を出すのが聞こえる。  二人の会話を聞くともなしに聞きつつ、ウェスリーは今日の祭礼——ボアサムと呼ばれる祭りを、大人がそう楽しみにするものなのかと訝しんでいた。
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