ボアサム

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 着用した冬季用の外套で身体をくるむように腕を組み、ウェスリーは河原に近い街道の砂利道を歩いている。兵隊店のある辺りから更に東へ進んだところ、人家の灯りは絶えて周囲は冥冥たる闇である。  だが今夜はカーフナ川沿いに小高く続く土手の上を、点々と提燈(ランプ)の光が列を成している。その白けた黄色の光に照らされて浮かび上がるのは魔物の顔だ。  自らの歩く場所からは少し見上げる位置に、ぞろぞろと行進する魔物の顔をした子供達が闇に浮かび上がるその様はまるで本当の悪魔の行列のようだ。彼等の往く土手の道には、最近めっきりと葉の色を黄色く染めた柳が、道沿いにずっと並んで枝を垂らしている。  ウェスリーは白い息を吐いて彼等を見送る。 「あんまりちゃんと見たことなかったな」  ミハルの低い声が暗闇に染み入るような響きを持って言う。ウェスリーは横にいる彼をちらと見遣った。ミハルは灯りが幾つも揺らめく土手の上を、遠いような目で見つめている。  業務が終わった後に再びミハルに連れられて例の商店を訪れた。無事敷物をお祭り価格と店番の女が言う安くなった値で購入して、ウェスリーはそのまま兵営に帰るつもりだったところをミハルに遮られたのである。  ちょっと一緒に散歩しようぜ、お祭りなんだろ?  祭りだからって浮かれてこの男と散歩する筋合いは無いのだ。それなのに何故だかウェスリーは頷いて、ミハルに付いて歩いた。ミハルはどうやら隊にいる地元出身の者から、魔物に扮した子供達がどの辺りを練り歩くのか聞いてあったらしい。迷い無く街道をここまでやって来て、二人は人家のある方角から向かってくる子供達の列を迎えたのであった。 「ガキの頃に騒いでた奴等はいたが、何が嬉しくて魔物の被りもんなんざするんだ」 「……嬉しくてやっているわけではないですよ」  ミハルのぽつぽつとこぼされる呟きに対して、ウェスリーは自分に問われているかどうか分からないまま答える。 「ボアサムの起源は帝紀零年まで遡り、以来少しずつ形を変えて現在まで継承されていると言われています。(しょく)と呼ばれる、魔界によるリパロヴィナ国土の大規模な侵食がこの日始まり、地上は魔物で溢れたそうです。その時戦士に倒された魔物の皮を被って生き延びた農民がいたらしい。その故事にあやかった祭礼なんですよ元々は。現在では魔除けと冬越えに備える季節祭の両面を備えたものになっていますが」 「お前教科書持ち歩いてるの?」 「持ち歩いていないですよ」  返しながら、ミハルの言葉がウェスリーを揶揄って投げられたものだと途中で気付き、口の片端を上げて笑う上官を恨みがまし気に睨んでしまう。 「……何ですか」  意地悪い笑みを浮かべたままウェスリーを肩越しに眺めるミハルを、心底腹立たしく感じてウェスリーはまた無意識に尖った口調でそう聞いた。ミハルは何でもなさそうに一言返す。 「別に」 「何か言いたそうじゃないですか」 「ふっふ、別に」 「いや絶対馬鹿にしてるでしょう!」 「被害妄想の激しい男はモテんぞ」 「はあ⁉ 今関係無いでしょうそれ!」  その時、子供達の列からわあっと悲鳴のような声が上がった。  ウェスリーが目を見開いて振り向くと、小高い土手の上、連なって生える柳の枝が暴風でも起こったように激しくしなっている。見る間に、近くの子供数人が持つ提燈(ランプ)の火が掻き消え、その辺りだけが俄かに真っ暗になってしまう。何だ、と考える間も無く、隣に立っていたミハルが駆け出した。  唐突な暗闇で恐慌状態に陥ったのであろう子供達の泣き声が響く。声のする方へ向かって坂を駆け上がるミハルの姿は、灯りに目が慣れていたウェスリーにはよく見えない。見えないながらにウェスリーも彼に倣って走り出す。足下に懸念を抱きつつ、短縮呪文を完成させ照明魔法を唱えた。 「Lighting!」  魔法灯が子供達の頭上に現れ、辺り一帯を照らす。白々と照らされる、紙や藁、毛皮で作られた歪な魔物の被りもの。それらを身に着けたままで、子供達は足が竦んで動けずにいるようだ。  坂になっている草叢に伸びる彼等の影が目に映り、その影の間を一際小さな影が素早く動くのをウェスリーは見付けた。  はっとして視線を上げると既にミハルは土手の上、子供達の列の中に飛び込んでいて、突然の乱入者にまたも悲鳴を上げる少年少女の群れから一人の子供を引きずり出した。  いや、子供ではない。見るとそれは被りものではない、本物の怪物の頭をしている。  やっとのことで坂を登り切ったウェスリーに向かって、ミハルは片手で首を掴んでぶら下げたその小振りな怪物を突き出してみせた。 「おい学者さん、こいつは何だ」  怪物は首を掴まれてぎいぎいと鳴き、必死にもがいている。目鼻立ちだけは人間に近しいが肌の質感は朽ちた木のようだし、泥のようなものがこびりついた頭髪は獣のそれだ。身体はまるで痩せこけた犬である。 「お、おそらくノチュニツァ」  記憶の中にある図録を思い出して答える。同時に言わなければいけないことに思い至る。 「逃がしましょう、そいつは魔物ではないので」 「あぁ? どう見ても魔物だろうが」 「姿はそんなですが、ノチュニツァはどちらかと言えば妖精に分類される存在です。森に迷い込んだ人間に悪戯するのが好きなだけの」  きっと子供達のお祭り姿を見て森から出て来たんですよ、と続けるウェスリーをミハルは不審そうに片目を細めて睨む。掴まれたノチュニツァはまだ身を捩って抵抗している。  事態を怖々と見守っていた周りの子供達の中から、一人が声を掛けてくる。被っている大烏(おおがらす)に似た魔物の仮面のせいでこもった声である。 「悪い魔物は殺しちゃえば」 「いえ、これは」  ウェスリーは言葉に詰まりつつ彼か彼女か分からない子供に振り向いた。 「妖精さんは殺しちゃ駄目なんでしょ」 「怒らせたらまずいから」 「妖精さんってもっときれいじゃない? これは妖精さんじゃないよ」 「しわくちゃだね、こいつ」 「怒らせたらまずいんだってば」 「なんか臭い」  一人が言葉を発したことで、緊張の糸が切れたのか子供達が次々と話し掛けてくる。魔物の仮装をした、自分より背丈の低い者達に囲まれて、ウェスリーは何だか不気味な世界に紛れ込んだような錯覚がした。 「うるせええ」  ミハルが妙に間延びした怒鳴り声を上げる。彼らしからぬ迫力の無さで、周囲を取り囲む子供達は特に怯んだ様子を見せない。 「兵隊のお兄さんそれ早く殺してよ」  最初に言葉を発した大烏の子が言う。よく聞くと震える声には恐怖心が滲んでいるようだが、興奮しているのかもしれず、ウェスリーにはよく分からなかった。 「こいつが妖精っつうんだから妖精なんだろうよっ」  まだ何か言い掛けていた子供の目の前で、ミハルはそう叫ぶと振りかぶって右手に掴んでいた哀れなノチュニツァを力一杯放り投げた。  あーっ! と子供達の声が揃う。怪物のような妖精はカーフナ川の方へ綺麗な放物線を描いて飛んで行った。が、途中で軌道を急に変え、風を切ってこちらへ飛来する。ごうっと突風の吹くような音だけがし、風は無いのに柳の枝が引きちぎれそうに揺れる。飛んでくるノチュニツァが誰かにぶつかるかと危ぶんだところで、ウェスリーは目に見えない衝撃で突き飛ばされるのを感じ、思わず目を瞑った。  地面に倒れる感覚がいつまで待っても来ないので、不思議に思って目を開くと、どうやらミハルが背中を支えていてくれたようだ。 「何だあいつ。消えたぞ」  妖精が飛び去って行ったであろう後方をぶすっとした表情で睨み付けるミハル。ウェスリーはさり気なく彼から身体を離す。  やや離れた所からおおいおおいと大人の男の声がする。周りで急激に騒がしくなる子供達に気を取られながらウェスリーは声のした方、土手の道の先を見遣った。先の方に点々と続いている提燈(ランプ)の灯りにぼんやりと照らされて、誰かがこちらに向かってくる。  魔法灯の光が届く範囲までその男が辿り着いた時、ウェスリーの横でミハルがぶはっと噴き出した。 「ネラプシ……」  やって来た男は子供達のお目付け役なのだろうか、彼自身も仮装をしていて、それは真っ赤な顔に牙を剥き出した吸血鬼ネラプシの被りものだったのだ。 「すみません、何かありましたか士官殿」  被りもののために表情は見て取れないが、明らかに困惑した様子で男が言う中、ミハルは一人で笑っている。 「いえ、何も……」  子供達に囲まれ、男と向かい合って答えるウェスリーは、口の中で奥歯を噛み締めて次第に顔を赤く染めていく。羞恥ではなく怒りで。
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