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銀の魔女
「悲しみが溢れそうになったら微笑んで、孤独に陥った時は空へ手を伸ばすんだ」
大切な人が聴かせてくれた歌。自然と口から出てくる言葉。
「君は信じられないかもしれないけど、俺は迎えに行くから」
ディエが私の手に指を絡ませる。少しだけ冷たくて、心地よい。
天使の声が聞こえる。闇色だった薔薇のツルは、白いヒビだらけになっているけど、怖くない。
「そうしたら、一緒に月の光を辿って帰ろう」
上を向くと、彼の金色の瞳と目が合った。
思い出した。あの時、私を助けてくれた人。
私は、彼の手を振りほどく。そして、微笑むディエの首に腕を絡めるようにして空に両腕を伸ばした。
「あなただったのね宵闇王」
銀色の光が降り注ぐ。
満月が、私たちだけに光を当ててくれたみたい。
薄い氷を割った音を何倍にも大きくしたような音がして、私たちを囲っている薔薇は消えた。
「随分待たせてしまったけど、怒ってないかい?」
「いいのよ。ちゃんと来てくれたもの」
俯いた彼に、私は少しだけ背伸びをして自分の額をそっと触れさせる。
風を切る音が聞こえて、天使が放った白銀の鎖がこちらへ飛んでくる。でも、もう怖くない。
「宵闇の王を灼く銀の鎖も、私には通じない」
気持ちが晴れていく。髪を覆っていた薄い膜が乾いた音を立てて剥がれていく。
くすんだ灰色だった髪から、透き通った黒蝶たちが飛び立っていく。
透き通るような銀色の髪。私本来の姿。
私の指先で叩かれて鎖を落とされた天使が目を見開いてこちらを見る。
「銀の魔女……太陽神様の裁きの炎で死んだはずだ」
「あの日、宵闇王が来てくれていたの。城の誰にも言わずに、ね」
キチンと思い出す。赤い空が落ちてきた日のこと。
両親が「大丈夫」と泣きながら黒い蝶になって窓から飛び立つ。
里のみんなが姿を変えた真っ黒な蝶の群れが飛び立って、残った私をディエが抱きしめてくれた。
彼が全ての魔力を使い果たして、里のみんなも、私も助けてくれた。代わりに、彼は姿を隠さなきゃいけなくなってしまったけれど。
「まだ、万全というわけではないんでしょう? 無理しちゃって」
「君がつらそうで、我慢ができなかったんだ」
銀色の髪をまとめていた紐を解いて、彼が毛先を手に取った。そのまま口付けをされてうれしくなる。
天使が叫びながら放った炎の球を、私は手の甲で払いのける。
「神様ぶってるシウテに伝えてくれるかしら? 銀の魔女と宵闇王は元気にしているって」
「貴様! 太陽神様を侮辱するというのか! 下賎な民の分際で」
「ふふ……私を目覚めさせてくれた天使には、自己紹介をしてあげましょうね」
真っ直ぐに私の眉間を目がけて飛んできた銀の鎖を、人差し指と中指で挟む。
銀の魔女の異名は、この月色の髪からとったものでもあるけれど、それだけじゃない。
「我こそは銀を操る夜の民。宵闇の王を殺す白銀を思うがままに操れる者。血肉に銀を宿す月の申し子サヘーラ」
私の指に挟まれた天使の鎖にヒビが入っていく。
粉々になった銀の粉末は、私の手元に集まってきて蛇のような形になる。白銀を身に纏わない天使を、私の宵闇蝶は恐れない。
「そっちの調子はいいみたいだな」
私ばかりに気を取られていた天使の背後から、ディエが現れる。彼女が後ろを振り向く前に、魔力を込めた手刀を、彼女の首目がけて振り抜いた。
「あなたのお陰よ、私のディエ」
陶器が割れるような音と共に、天使の首が転がった。
首を失った天使の翼は羽ばたきを止め、石膏のように白くなった身体はその場に落ちて横たわる。身体の内側から発されていた煌々とした光も、徐々に暗くなっていった。
「それにしても、黒薔薇の刻印なんてロマンティックなことをしてくれたのね」
手首に刻まれた薔薇の花弁を撫でる。ふわりと浮かび上がった花弁は、こちらに歩いてきたディエの手元へ飛んでいった。
薔薇の花弁が、宵闇色の薔薇の花束に変わる。
片膝立ちで跪いた彼は、私に両手で持った宵闇色の薔薇で作られた花束を捧げながら微笑んだ。
月の光に照らされて、微笑んだ彼の口元から覗く小さな牙が光る。
「決して滅びることのない愛……俺の君への気持ちさ」
「ありがとう」
花束を受け取って、手を差し出す。彼は、私の手の甲にそっと口付けしてから立ち上がる。
真っ黒な髪が揺れる。彼に抱き上げられて私が小さく声を上げると、彼が「くくく」っと肩を揺らして楽しそうに笑った。
ディエの背中から、大きな黒蝶の翅が生える。
私は彼に抱かれたまま一緒に歌を歌う。
「愛する君と、一緒に月の光を辿って帰ろう」
「それからどうするの?」
「もちろん、太陽神に一泡吹かせてやろう」
私たちは、月が照らす森の上を飛びながら顔を見合わせて笑った。
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