幸せはわからない。

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幸せはわからない。

 あれから一週間。  学校帰りに毎日あの公園を訪れたが、彼……名前も知らない男の子と再び出会うことはなかった。 「――幸せについても、わからないまま」  冬のすっきりとした青空の下、大きくため息を吐いて、立ち止まる。  今日はちょうど水曜日。先週と同じように、総合と道徳が授業にあった。  テーマは、『幸せについて』。  一週間で考えてきた途中経過を発表する日。  母に聞いても、父に聞いても、どうにもピンと来なくて、結局今朝まで答えが見つからなかった。 「放課後までに、見つかるかしら」  そのまま、一時間。二時間。気付けばもう、授業前。 「何にも浮かばなかったわ……」  どんな時に幸せなのか。休み時間も、なんなら授業中も考えた。  冬の温かい部屋でアイスを食べること。家族とご飯。本を読んでいるとき。それから、散歩をしているとき――。  浮かんでくるのは普通で、ありきたりなことばかり。 「確かに幸せなんだけど……」  総合用のノートだけを前に項垂れる。  教室はざわついていて、私の独り言なんて、響かない。  クラスメイト達の笑い声に、はあ、と大きくため息を吐いた。  瞬間、隣の男の子がチラッと私を見る。 「隣で大きなため息吐かないでくれる?」  さっきからうるさい、と言われて、ピクリ、と眉が動く。 「うるさいのは私だけじゃないわ」 「だとしても、うるさいもんはうるさい」 「んな……っ」  言い返そうと顔をあげてから、ふと彼の手にある本が目に入る。 「あら、それって青い鳥、よね。メーテルリンクの?」  ぴくっと肩を揺らした彼が、またチラッとこちらを見た。 「知ってんの?」 「この間読んだわ。ずいぶん古い絵本だったけど」 「面白かった?」  隣の彼の言葉に、ふとあの日の事を思い出す。  あのときはよくわからなかった内容もことも、これから先わかる日が来るのだろうか。 「突飛ではあったけど、人魚姫のお話と同じ感じだから、私は好きだわ」  素直な感想を述べると、「……ふうん」と煮え切らないような声が返ってきた。  そこでふと、彼に聞いてみることにする。 「ねえ、えっと……田積くん。あなたは幸せが何か、わかった?」  まだこちらを向いたままの彼が、少し首を傾げる。 「私にはまだわからなくて。よかったら教えてくれない? 参考にしたいの」  答えは返ってこなくても良かった。  それならそれで、仕方のないことだから。  だが彼は言った。 「……物語を、書いてるとき」  え? と聞き返すと、彼は一度ため息を吐いてから、淡々と言った。 「趣味だけど、物語を書いてるときが、オレは一番幸せだと思う」  笑ってもいいけど、と呟いて、軽く笑った。  だけど私は首を横に振る。 「笑うわけないわ。いいじゃない、物語。どんなものを書いてるの?」 「……ただの日常だよ。友だちができたら、って想像を書いてる」  その言い方だと友だちがいない、と言っているようなものだ。  ……実際、そうなのかもしれなかった。  でも彼のその想像は、ちょっとだけわからない。 「その、友だちって必要なものなのかしら」  つい、そんなことを口走って、慌てて口を抑えた。だけど彼は、「……少なくとも、一人にはならない」と丁寧に答えてくれる。  彼の話を聞いて思い出したのは、父の言葉。 『俺が母さんに出会ったのは友だちのおかげだからな。良い友だちを持てたことが、俺に取っちゃあ幸せだ』  なるほど、そうか。 「……ありがとう、田積くん」  彼は何も言わず、前を向いた。  最後は無視されたけど、私はもう満足な気持ちだった。  ――応えは要らない。  ガラガラ、と前の扉から先生が入ってくる。そしてこちらを向いて、にっこりと笑った。 「さあ、授業を始めるわよ」  優しく降り注いだ太陽の光が、とても暖かい午後だった。
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