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本当の名前は誰も覚えていない。郵便屋さんですら、貧乏農場と呼ぶのです。
ガチョウと牛とねずみ達。それと小さな畑があるだけの小さな農場です。
お父さんは毎日、せっせとガチョウと牛にごはんをあげますが、自分は日に日に痩せ細っていきます。
自分の分までごはんをあげてしまっているのです。
ある時、小麦の収穫をしていたお父さんが、小麦畑の真ん中に座り込み動かなくなってしまいました。
「ひもじいなぁ。なぁんにも名物がない農場なんて、ひもじいなぁ。丘の向こうの農場みたいに、たくさんの牛が居れば、チーズでもバターでもなんでも、たくさんたくさん作れるのになぁ」
そう言って丘を見上げると、深く深く項垂れてしまいました。
それを聞いていた一匹のねずみが、慌てて仲間の元へと走ります。
小麦畑を駆け抜け柵を潜り、荒れた道を横切り牛舎の壊れた木戸の隙間に体をねじ込む。
中では、二頭の牛と三羽のガチョウと一緒に、仲間のねずみがカリカリとトウモロコシを食べていました。
「食べてる場合じゃ無いよ、大変なんだよぉ! お父さんがひもじいって。名産がなんにもなくて牛もいっぱい居なくてひもじいって!」
わっと泣き出したねずみに、仲間達はなんだなんだと集まります。
「牛さんならほら、ここにいるじゃないか」
「違うよ! 丘の向こうの農場にはもっといっぱい居るんだ! きっとガチョウもねずみも、ううん、豚も羊も居るかもしれない! いっぱい居るからひもじくないんだ!」
わんわんと泣くねずみに、みんな顔を見合わせ狼狽えます。
みんなには、お父さんが何て言っていたのか正確にはわかりません。
しかし、ねずみの泣き様を見ると、お父さんがひもじい思いをしている事だけはわかりました。
そんなねずみ達の輪に、ガチョウがゆっくりと近づいてくると、泣いているねずみをあやすようにくちばしでちょんとつつきます。
「確かに、販売所にはミルクと卵がちょっとと、たまにトウモロコシとか小麦が置かれるだけで、名産って言えるものはないかも」
ゆっくりとしゃがみこんだ牛が、壊れた木戸の隙間から無人の販売所をちらりと確認する。
カタカタと物悲しく揺れる看板の奥に、今朝採れたミルクと卵がならんでいる。
せっかく収穫したあのミルクと卵も、買ってくれる人がほとんど居ない為、お父さんのごはんになっているのをみんなも知っていました。
「僕たちが」
一匹のねずみが、トウモロコシを一粒抱き抱えながら言いました。
「僕たちが忙しいお父さんの代わりに、名産を作って売れば良いんだよ!」
そう言うや、トウモロコシと小麦の袋を引っ張り、あとはなにか無いかとその場でそわそわぐるぐると回りだす。
「裏の蜜蜂から蜂蜜を分けて貰うとか」
「もちろん、ミルクと卵もあるよ」
「ちょっと走ればベリーもあるね!」
一匹が口を開くと、みんな次々案を出していきます。
そうと決まればと、せっかちなねずみが二匹、牛舎を飛び出していきました。
「牛さんとガチョウさんはここで待ってて。僕たちが材料を集めてくるから」
そう言うと、残りのねずみ達も一斉に駆け出していきました。
農場中を北へ南へと駆け回り、まずはミルクと卵を牛舎に持ち帰ります。
残念ながら、ベリーの時期にはまだ少し早かったみたいで採れませんでした。
次は、農場の裏に住む蜜蜂に蜂蜜を分けてもらいます。
「蜂さん蜂さん、お父さんが大変なんだ」
事情を説明すると、蜂は手分けして蜜を蜂蜜を集めてくれました。
最後に、台所からボウルや料理本を持ち出し、みんな再び牛舎に集まりました。
ガチョウが器用に料理本をめくります。
オムレツにプリン、シチューにゼリー。
たくさんの料理を眺め、材料と見比べていきます。
「名産になるもの名産になるもの」
みんな真剣に本を覗き混みながら、うんうんと唸ります。
あるページで、みんな揃ってあっと声を上げました。
「これこれ! これはどう?」
「ちょっと大変かなぁ?」
「大丈夫。みんなでやればなんとかなるよ」
【バームクーヘン】と書かれたページの上で、三匹のねずみが跳び跳ねます。
必要な物はと、再度みんなで確認します。
バターに卵、砂糖と小麦粉にコーンスターチ。
何度も何度も材料を確認し、みんなうんうんと頷きました。
「小麦とトウモロコシを挽いて、バターも作らなきゃ! くるくる回す棒も要るし、火もおこさなきゃ、ようし、忙しくなるよみんな!」
ねずみ達は元気に声を上げると、バター作りに使う入れ物を探しに行きました。
「じゃあ私たちは、小麦とトウモロコシを挽きましょうか」
ガチョウが牛を見上げてにっこりと笑います。
牛舎の奥に、古ぼけた石臼が置かれていたのを知っていたのです。
重い重い石臼ですが、力自慢の牛には軽いものです。
あっと言う間に石臼を引っ張り出し、ふぅっと埃を払います。
ガチョウが少しずつ小麦を入れ、牛がゆっくりと石臼を挽きます。
ごりごりごりごり。
おっと忘れちゃいけないと、慌ててガチョウが石臼の隣にボウルを置きます。
ボウルに小麦粉が溜まっていき、あっと言う間に小さなボウルいっぱいの小麦粉が出来ました。
さあ次はトウモロコシだねと、新しいボウルを準備すると、牛舎の外が騒がしくなりました。
木戸の隙間から見てみると、外ではねずみ達が火の準備とバター作りをしていました。
小さな容器に入れた牛乳を、交代で転がしてバターにしていきます。
蜜蜂もねずみ達を手伝いはじめ、牛舎の外はお祭り騒ぎです。
負けてられないと残りのトウモロコシも挽き、ガチョウと牛は小麦粉とコーンスターチを持って牛舎の入り口へ向かいます。
「ごめんね。僕達はここから出られないから、もう手伝えない」
入り口で立ち止まった牛は、申し訳なさそうに尻尾を揺らしました。
ねずみやガチョウは木戸の隙間から出れますが、さすがに牛は出れません。
「ううん。いっぱい粉を作ってくれたもん。十分だよ。あと、火をおこすから牛さんのベッド少し貰っても良い?」
牛の声が聞こえたのか、入り口に集まってきたねずみがにっこりと微笑み、そんな事を良います。
「もちろん! いくらでも持っていって!」
牛は嬉しそうに藁を集めてくると、少しずつ木戸の隙間から押し出します。
集めた藁に火をつけて、消えないようにガチョウが羽で扇ぎます。
「さあ、あとは混ぜて焼くだけだよ」
バター作りをしていたねずみが嬉しそうに尻尾を立てました。
もうひと踏ん張りと、他のねずみも尻尾を立てます。
一番大きなボウルに、小麦粉とコーンスターチ、蜂蜜とバターを入れ、ぐるぐると混ぜます。
ガチョウが羽根を一枚引き抜き、出来た生地を棒に塗っていきます。
綺麗に塗れたところで、ねずみ達が声を掛け合い棒の端を走り出しました。
棒がくるくると回り始め、辺りに甘い匂いがし始めます。
焼けたらまたガチョウが生地を塗り、ねずみが棒を回し、また焼けたら同じことを繰り返していきます。
途中でねずみ達が藁を足し、ガチョウは火が消えないように風を送るのも忘れません。
ちょっとずつちょっとずつバームクーヘンは大きく太くなり、ねずみ達だけでは重くて棒を回せなくなってきました。
それでもねずみ達は頑張って頑張って棒を回し続け、ようやくバームクーヘンが完成しました。
棒から外し、台所から持ってきたナイフで慎重に切り分けます。
ふわふわで甘く良い香りのするバームクーヘン。
切り分けるたびに、歓声が上がります。
「みんな何してるんだい? 火なんて使ったら危ないよ!」
歓声と匂いに気づいたお父さんが、小麦の収穫を放り出し駆け寄って来ました。
一番火の近くに居たガチョウが火傷していないか、念入りに確かめたお父さんは、その時はじめてバームクーヘンに気づきました。
「お父さんお父さん、みんなが農場の名産を作ったんだよ! ひもじくないよ!」
「みんながじゃないよ、みんなでだよ牛さん!」
木戸の隙間に鼻を突っ込み、牛が嬉しそうな声を上げます。
ふっくらあつあつに焼けたバームクーヘンと、みんなの顔を交互に見て、お父さんは目を潤ませます。
「みんなありがとう。すごいね。すごいねみんな」
お父さんはそう言うと、牛舎の木戸を開けました。
「みんなで食べよう。売るのは明日からで良い、みんなと食べたいな」
お父さんは、膝にねずみ達を乗せ、ガチョウと牛に手招きします。
少し離れたところで遠慮していた蜜蜂もめざとく見つけ、おいでおいでと呼び込みます。
みんなの前に出来立てバームクーヘンが並びました。
みんな舌舐りをすると、元気に揃っていただきますと声を上げました。
ふわふわであつあつ、しっとりほろほろのバームクーヘンは大変美味しく、ねずみ達は尻尾をぶんぶん振り回します。
ガチョウも首を伸ばし美味しい美味しいと繰り返し、牛と蜜蜂はよほど気に入ったのか夢中で食べています。
あっと言う間にバームクーヘンは無くなってしまいましたが、みんなしばらくその場に座り込み美味しかったねと笑いあいました。
翌日から、貧乏農場の名産切り株バームクーヘンとして、少しずつ売り始めました。
切り分けたバームクーヘンを透明な袋に入れ、農場のみんなの顔を手書きした可愛い可愛いバームクーヘン。
少しずつ少しずつ、確かに売れていき、いつの間にか遠くから買いに来る人も。
しばらくすると、おんぼろだった牛舎が少しずつ綺麗になり、牛舎の隣にバームクーヘン作り用の小屋が出来ました。
お父さんもみんなも毎日楽しく忙しく、小屋でバームクーヘン作りを続けています。
身も心ももうひもじくなんかありませんでした。
もうここを貧乏農場と呼ぶ人はいません。
今は、切り株バーム農場と呼ばれています。
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