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葬列の行く末を知らず
男が部屋に戻ると、佐吉が絵筆を整えていたが、些か慌てていたようでもあった。
それをそっと黙殺し、男は佐吉の背中に声をかけた。
「佐吉、これを棺に入れるのを手伝ってくれぬか。」
「あ、はい。…もちろん。」
男が女房の脇を抱え、佐吉が女房の足を持ち、ゆっくりと棺に女房を寝かす。
そして二人はしばし棺の傍に立ち尽くした。
「……」
だが、ふと動いたのは男で、男は美しく死化粧を施された女房の顔にそっと白い布をかけてやった。それを佐吉は見るでもなく眺めていた。
やがて棺の傍らに佐吉は座り、それを見遣った後、男は佐吉よりも少し離れた位置に腰を下ろした。
「……さて、」
徐に男は懐から小刀を取り出すと、先程外で伐ってきた小枝を削り始めた。
しばしそんな男の方を振り返り、訝しそうに見ていた佐吉だったが、あまりに男が熱心に木を削るため、自身も懐から懐紙を取り出し、絵筆の先を舐め、薄い墨で女房の姿絵を描き始めた。
どれくらいの時が流れた頃か。
蝋燭の芯の燃える音の木を削る音しかしない静寂の中で、木を削りながら男が不意に佐吉を呼んだ。
「…佐吉、」
「……はい、」
「お前、…口に紅がついているぞ。」
「!?」
佐吉はあからさまに狼狽して絵筆を落とし、手の甲で自身の唇を何度も拭った。
男はちらりとその様を見て、薄く笑う。
「嘘だ。愚か者め。蝋燭の下でそんなものが見えるものか。…若いな。」
くくっと笑う男を、顔を真っ赤に染めた佐吉が鋭い眼光で睨み付けるが、男は何事もなかったように、再び黙々とただ木を削り始めた。
蝋燭の橙色が静かに揺らぐ。
時は確実に流れていた。
時折男は立ち上がり、何度か蝋燭の火を継いで、定位置に戻っては腰を下ろして木を削った。
「……ふぅ、」
やがて東の空が薄く明け始めた頃になり、ようやく男は息を吐き、小刀を懐に納めた。
男が夜通し彫り続けた小枝は、不恰好な仏となったが、男は満足したように立ち上がり、女房の胸元にそれを置いた。
そのまま棺の傍らの蝋燭を、人差し指と親指でつまんで消す。
橙色は薄い闇に溶けて消え去り、佐吉もようやく絵筆を置いた。
そんな佐吉を見ることもなく、男はすたすたと座っていた位置まで戻り、刀を拾うと腰に差して、そのまま部屋を出ていってしまった。
玄関がガラリと開く。
「……」
朝焼けがちらちらと町を照らすが、町の喧騒は未だ眠りの途上にある。
男はそんな静寂に包まれた長屋の側にある川原まで歩き、せせらぎほどの水の流れを、ただぼんやりと眺めていた。
しばらくして、
「新村様、」
不意に背後から、追ってきたらしき佐吉が低い声で男を呼んだ。
だが男は振り返ることもない。
「新村様、なぜ、…なぜ、せつ様をその手にかけたのですか。」
「……」
背中しか見せない男は俯くが、佐吉の問いには答えようとしない。
「新村様、」
「……」
「新村様、」
「……」
「…おい、」
「……」
「おい!」
「……」
「新村!!」
佐吉が苛立った声音で強く怒鳴った。
「なぜだ!答えろ!なぜせつ様を斬ったのだ!」
切ないほどに鋭く、まるで血を吐くような佐吉の叫び。
「…なぜもない。お上のお達しだったからだ。」
佐吉の怒りに応える男の声は、水面のようにとても静かで穏やかだった。
そしてゆっくりと振り返る。
その顔からは、何の感情も感じられない。反して佐吉は隠しきれない憤怒を滲ませ拳を震わせた。
「お上の命なら御内儀も斬るのか!あの方はお前の、お前の!」
「あれは長州の間者だと疑われた。通じていると密告されたのだ。その嫌疑を晴らせなかった。…ならば、仕方あるまい。」
「だからとはいえ仕方がないで済ますのか!」
「…あいつは、私の女房だったが、あいつの見ていた先は、…私よりもお前の方がよく知っているのではないのか?」
男がゆっくりと目を閉じ、そして再び目を開けた時、男は小さく笑っていた。
燃えるような怒りにうち震える佐吉は、もう男の目を直視することはしなかった。
男は虚ろな空を見上げ、そして静かに言葉を紡いだ。
「私はあいつのことを何も知らぬ。知っているのは、赤く染まった唇で、笑って詫びる愚かな女の死にゆく顔だけだ。」
『…煩わせてしまって、本当に、すみません…』
肩を揺らして自嘲気味に笑う男の頬が濡れていたことは、誰も知らない。
「よくも!」
佐吉は、荒れた息に任せて充血した目を溶かしながら、人の人相を捨てて懐から短刀を取り出し、男めがけて獣のごとく飛びかかる。
男はゆっくりと、腰の刀に手をかけた。
~了~
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