12人が本棚に入れています
本棚に追加
03.五人の警察官
「良いの? 私で」と、陽は小さく言った。
晄良は笑った。
「頼んでるの、こっちだよ。そう小さくなるな」
陽はヘヘッと笑った。
朝陽の様な、晴れやかな笑みだった。
「喜んで、協力します」
晄良は、陽に手を差し出した。
陽は、一瞬困惑したような顔で差し出された手を見、それから晄良の顔を見てニヤリと笑った。
二人は、夕陽をバックに握手を交わした。
「何か、大人な感じだね」
陽がそう言って、晄良は苦笑する。
「いや、俺達大人でしょうが。一体いくつのつもりなの、ハルは」
「もうすぐ、25」
「立派な大人じゃないかよっ! 阿保か」
陽はケラケラ笑った。
ひとしきり笑ったところで、陽が尋ねてきた。
「アキ達は、今、どこで生活してるの?」
「『カフェ・ヒヨコマメ』。安発さん、ほら、あそこの店長さん、使わせてくれるって言うからさ。もう皆、避難してるから、お店は今、使わないみたい」
「カフェ・ヒヨコマメ」は、晄良達が今いる展望台から、5分位歩いた先にある喫茶店だ。
ログハウスの様な外観の、地上1階と地下1階からなる店である。
店長の安発という男性が、1人で切り盛りしている。
オレンジ色のライトが店内を優しく照らす、隠れ家のような空間が、晄良は好きだった。
「そっか、皆、避難してるんだ。ばあちゃん、大丈夫かな」
「もしかして、おばあちゃん家に泊めてもらうつもりだった?」
陽は、その問いかけに頷く。
形の整った眉毛を「八」の字にして、心細げだった。
その表情は、迷子のそれに近かった。
「『カフェ・ヒヨコマメ』、ハルも来る?」
陽は、その提案を予想していなかった様で、ひどく驚いた顔をした。
「良いの!?」
陽は半分叫ぶ様な感じて、そう尋ねてきた。
晄良は、苦笑しながら答える。
「良いよ、全然。男ばっかりで、少々、ムサクルシイかもしれないけど」
「ムサクルシイ? 余裕、ヨユー」
陽はいたずらっぽくそう言って、笑った。
その笑みは、10年前と同じ位、眩しかった。
*
「カフェ・ヒヨコマメ」の前に着いた晄良は、陽のキャリーケースを陽の前に下ろす。
陽の性格はオッサン同然だが、重いキャリーケースを運ばせる訳にはいかない。
陽は、「サンキュ」と笑った。
その時、「カフェ・ヒヨコマメ」の扉が開いて、男が出てきた。
かなり前にヒットしたロックミュージックを口ずさみながら、体で軽くビートを刻んでいた。
「ぉうわぁっ!?」
外には誰もいないと思っていたのか、晄良と陽をその目に認めた男は、ひどく驚いた様だった。
バランスを崩して、しかしギリギリの所で持ち直して、体制をたて直す。
「どうしたの、庭瀬! その子。彼女じゃないのは分かるけど~。」
「おっ、凄い。何で彼女じゃないの、分かったんですか?」
晄良は尋ねる。
男はフフッと笑った。そして、晄良と男を交互に見る陽に話し掛けた。
「ハロー! 分かる? 俺、俺!」
「オレオレ詐欺的なやつですか? それ、警察として大丈夫なんですかね」
晄良がそう言うと、男は「庭瀬って、かなり酷いね」と、怒った様な顔をした。
本当はそこまで怒っていないのが分かる顔だった。
「どこかでお会いしましたっけ?」
と、陽が言う。
晄良は、2人が知り合いでない事を確信する。
「仁科さん」
晄良は、咎める様な口調で男の名前を呼ぶ。
仁科は「何だよ」と、とぼけた様に言う。少し不満げな声だった。
陽はまだ、疑問の表情を浮かべていた。
「どうも~、仁科で~す」
ニシナは陽に笑い掛けた。
仁科飛榎。
晄良達と共に行動する事になった刑事の1人で、徳馬警察署爆破事件当日に、連続窃盗事件関係で、他の署から偶然徳馬署に来ていた。
180センチはありそうな高身長で、すらりとした体型をしている。
塩顔で、切れ長の目は、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。
しかし、それは口を閉じていればの話であって、口を開けば、凄くお茶目な感じである。30代半ば位であろう、黒が良く似合う男性だ。
身長の低い陽は、仁科を見上げて、「デカッ」っと本音を漏らす。
「あ、知本です。知本、陽。これからお世話になります」
「陽ちゃんね~。宜しく~」
仁科は、軽い口調で、いきなり陽を下の名前で呼ぶ。
その事を仁科に指摘すると、彼は、
「え、だって、変じゃん? 苗字で呼ぶとかさ?」
と、「さも当然」と言わんばかりの顔で言う。
では、何故、晄良の事は苗字呼びなのだろう?
そう訊くと、顔を顰められた。
「ナンパですか?」と訊くと、彼はもっと顔を顰めた。
「背、高いですね。何センチあるんですか?」
と、陽が仁科に尋ねる。
「ん~、180位?」
陽が目を丸くする。
「陽ちゃんは?」
「あ、190です」
「嘘つけ!」と、晄良が口を挟む。
陽と仁科では、身長は頭1つ分以上違う。
勿論、陽の方が低くて、陽が仁科を見上げる形になる。
ほとんど真上を見る感じなので、陽の首はもげそうだ。
再び、「カフェ・ヒヨコマメ」の扉が開いた。
「おぉ⁉ 庭瀬君の彼女~?」
扉からひょっこり顔を出した、割と小柄な男が、ニコニコと言うよりはニヤニヤとした笑顔でそう尋ねてきた。
「違ぇよ!」
仁科がそう言って、男にヘッドロックをかける。
「あ、そうなの?」
ヘッドロックを解かれた男は、少し痛そうに頭を押さえながら、「なんで僕、仁科さんに怒られんの?」と不満を露にしながら、残念そうな顔でそう言った。
「彼女じゃないです」と、晄良は苦笑する。
「知本です。お世話になります」
陽がそう言って、頭を下げる。
「おぉ! こんな可愛い子がいたら、ムサクルシイ空間が一気に華やかになりますよ!」
男は嬉しげだ。
「おぃ、ちょい待てよ。何がムサクルシイだよっ! 爽やかじゃん?」
仁科が不満げにそう言う。
「ハルには、別に、ムサクルシイ空間を華やかにする能力なんかありませんよ、チクシさん。ハルの中身、結構オッサンです」
晄良も口を開く。
「何か、ディスられた気がする」と、陽が口を尖らせた。
「あぁ、もう! 話、逸れちゃったじゃないですか! 改めまして、僕、竹志っていいます」
そして、竹志は名刺を陽に差し出した。
陽がそれを受け取って、読む。
「竹志……、総生、ソウセイさんですか?」
「あ、違います。それね、サツキって読むんですよ」
「えっ、すいません」
「いえいえ、全然! すっごい読みにくい名前ですよね。僕も思います」
竹志は、朗らかに言う。動作の一つひとつの最後を微妙に止める、独特の仕草で、彼は手を動かす。「大丈夫です」みたいな意思表示をする時に使う動作だ。
竹志総生。
30代半ばだと思うが、おそらく仁科よりは少しだけ若いだろう。少しだけパーマのかかった、丁度良い長さの髪型が良く似合っている。
男性にしては低めの身長を少し気にしている様だ。
三日月形の目は人懐っこい印象を与えており、ニヤニヤした、でも見ていて嫌な気分にはならない笑顔が、彼の「真顔」である。
どこか清々しく、どこか温かい、表現の難しい独特の声を持つ男性だ。
「おい、ソウセイ、何名刺なんか出しちゃってるんだよっ。格好つけやがって」
仁科が竹志を小突く。
「あの、早速いじるのやめてくれません? サツキなんで、僕」
「おい、庭瀬、こいつの真似すんなよ」
「しませんよ」
「庭瀬君モテないもんね~」
竹志がそう言ってニヤニヤした。
「やっぱりアキはモテないんですか」
陽が、哀れむような声でそう言った。
「えっ、ちょっ……」
晄良の言葉は、竹志の面白がるような声に遮られる。
「うーん、あのねぇ。年齢イコール彼女いない歴だってさっ」
語尾は、「ドゥフフ」みたいな笑い声に変わっていった。
「やっぱ、そうですか。ドンマイ、アキ」
「庭瀬君、可愛い顔してるのに、何でだろね?」
「そーですね、ボーダー・コリーみたいな」
陽も竹志も、たちが悪い。
2人して晄良を煽ってくる。
「何それ」
竹志が訊く。
「犬ですよ」
晄良はぶっきらぼうに言った。
「え、じゃあ、知本さんは何に似てんの?」
「……日本スピッツ」
「え? Spitzs? 俺、露壜樽大好きなんだよね」
「え、意外。仁科さんロック好きだと思ってた」
「ロック以外も聴くだろ」
「まぁそうだけど。話逸れましたよ」
「何してんだよ」
「貴方だよっ、仁科さん! 話逸らした張本人!」
「あぁ、えー、うん。話戻すぞ」
「なんて強引な」
「で、庭瀬よ。陽ちゃんと露壜樽の何が似てんの?」
「絶対、露壜樽、違う。あー、何だっけ。露壜樽しか出てこない」
「日本スピッツです」
「そう、それ」
「それも犬?」
「はい」
「どこが似てんの?」
「何でもすぐ食い付くとこ、ですかね」
「うわ、それ仁科さんじゃん」と竹志が笑い、陽は「ぁんだと? やる気か!?」と、晄良に向かって戦闘体制を取る。
「あ、良いの。あんまりおちょくると、泊めないけど」
「すいませんでした。仁科さんと同レベでも良いです。ごめんなさい」
「まぁまぁ、庭瀬、そう言わずにさぁ。てか、どんな犬? ぼーだーうんちゃらと、Spitzsほにゃらら。……あと、俺ディスられてない?」
そう、仁科が言った。
「ボーダー・コリーは、イギリス原産で、犬の中で最も知能が高いと言われています。日本スピッツは、日本原産で、純白の毛を持つ、明朗で活発な犬ですね」
いつの間にか、微笑みをたたえた男が立っていた。
「染谷さん、すぅごい自然に現れましたね!」
竹志がそう言う。
「うわぁ? 誰っ!?」
他よりも1拍遅れて染谷に気が付いた陽が叫ぶ。
「申し遅れました。染谷と申します。知本さんですね。以後、お見知りおきを」
染谷はそう言い、口角がクッと上がった笑顔を見せた。
染谷和祢。
仁科と同じ位の年齢だろう。
黒髪パートスタイルが良く似合っていて、何というか、独特の雰囲気を纏っている。
いつもきちんとした格好をしていて、紳士としか言い様のない男性だ。
口角をクッと上げて、歯はあまり出さないのが彼の笑う時の特徴である。
大体何でも知っていて、「歩く国語辞典」という二つ名を持っている、らしい。
竹志からの情報なのであまり信用はできないが。
「染谷さんは何でも知ってますから、置いといて。庭瀬君と知本さん、よくそんな犬種知ってるね!」
竹志が感心した様に言う。
「置いとかれるんですか、僕」
染谷がそう言って、晄良は、それに苦笑する。
そして、口を開く。
「昔、犬を見つけたんですよ、ハルと。ぐったりしてた犬で。柴犬だったんですけど、俺ら、まだそんなのも分からない位子供だったから、図鑑で調べて。ついでに色々他の犬も見てたら、面白くなっちゃって。それがきっかけですね」
「その柴犬、どうなったの?」
と、仁科が訊いてくる。
勿論、彼に悪意はない。
仕方のない事だ。
晄良は言葉を選びながら話す。
「怪我、してたので。動物病院、連れて行きました。親もその時いなかったので、バスタオルでくるんで、走って行って。動物病院の先生は、タダで診てくれて。それから、俺ん家で2年位飼ってました。今は、もう、……その、死んじゃっるんですけど」
陽が顔を悲痛そうに歪める。
周りの空気も、心なしか重くなった様に感じられた。
その空気を断ち切る様に、仁科が口を開く。
「何て名前なの? 柴犬」
明るい声だった。
晄良は微笑む。
「ナツです」
脳裏に、尻尾を振る柴犬の姿が浮かぶ。
「良い名前」と、仁科は言った。
子供を見る父親の様な、そんな温かで、穏やかな顔だった。
「暑いですし、中入りましょう」
晄良は、そう提案した。
5人は、口々に賛成する。
「あ、これ、買ってきたんで中で飲みましょう」
そう言って、晄良はビニール袋を軽く持ち上げる。
中には、展望台の自動販売機で買った飲み物が入っている。
「おぉ!さっすが庭瀬君!気が利くぅ~!モテるよ~」
竹志がそう言う。
晄良は苦笑する。さっきまで、自分は彼に「モテない」と笑われていなかっただろうか。
仁科が扉を開ける。
深緑色の扉は、ログハウスのカフェに良く映えていた。金色のドアノブが美しい。
初めに陽が入り、続いて晄良、その後に染谷と竹志が入ってきた。
仁科が最後に建物内には入り、扉を閉める。
刹那、凄いスピードで、何かが飛んできた。
梟だった。
陽が目を見開くよりも速く、その梟は染谷の肩に着地した。
「すみません、知本さん。驚かせてしまって。こちら、アメリカワシミミズクの、ヴィセンテです。僕の相棒の様なものなので、連れてきてしまいました」
ヴィセンテは、白い羽毛で覆われた体をブルリと震わせてから、利口そうな黄色い目を陽に向けた。
陽は、ビクリとしてから、何を考えたのか、ヴィセンテにお辞儀をする。
すると、ヴィセンテも、少し首を傾げてから、お辞儀をした。
晄良達は、思わず「おぉ~」と拍手をした。ヴィセンテは、賢そうにも、すっとんきょうにも見える表情で、首を曲げる様にして傾げた。
その時、カフェの奥から、声がした。
「ヴィセンテが主を待っておったぞ、和祢」
段々と、声が近づいてくる。
声の主が、現れる。
齢10歳程の、少女が。
陽が、目を見開く。
最初のコメントを投稿しよう!