12人が本棚に入れています
本棚に追加
その人物は、元来た道を走り出す。
背丈からして小学生位だろうか。男の子だった。
陽は、その、予想のつかなかった動きに驚き、一瞬固まる。
コンマ数秒遅れて陽が走り出した時、少年はもう既に陽の数メートル先にいた。
持っているライトが邪魔に感じられて、道路の隅にそれを転がす。
自分が少年の後を追うのは何故だろう。
走りながら陽は考える。
もう暗いから。
少年は独りだったから。
迷子かもしれないから。
勿論、考える前に動いたのだけれど。
それから……。
そこから先を考えるのを拒むのは、酸素と二酸化炭素の交換に疲れた肺か。
それとも、脳か。
陽にはもう、それさえも考える余裕がなかった。
心拍数の上昇を感じる。
酸素不足で、息切れがひどい。
息を吸う度に乾いていく肺が、カサカサして痛い。
足は、体の重みに悲鳴を上げている。
それでも。
陽は走るのをやめない。
少年に、それを感じたから。
本当に感覚でしかないけれど。
それでも。
陽は固く握った拳に、更に力を込める。
ない力を振り絞って、腕を振る。
少年はもう、手を伸ばせば届く距離にいた。
「はーっいっ、止まってっ!」
掠れた声で、陽は言う。
陽は少年の両肩を掴む。
なるべく衝撃が掛からない様に、力を押し殺して、包み込む様に。
2人の呼吸音が、夜空に響く。
怯えた様に陽を見上げる少年の瞳は、街灯に照らされてハシバミ色に輝いていた。
それを覗き込む様にして、陽は微笑む。
「足、速いなぁっ。何かスポーツやってる?」
少年は何も答えない。
ただ、肩で息をして、下を向いている。
その肩は、僅かに震えていた。
怖いのだろう。それはそうだ。
いきなり、得体の知れないちっちゃい女が追いかけてきて、捕まったのだから。
陽は、再び少年に向かって微笑む。
「怖がらなくていいよ。私、警察なの」
それを聞いて、少年の緊張が少し解けた様だった。
「まぁ、厳密に言うと島の外で警察なんだけど」と、陽は早口で言う。
少年は力が抜けた様子で、へなへなと崩れ落ちる。
それを支えてやると、少年は掠れた小さな声で、「すいません」と言った。
「怖かったでしょ。お腹空いてる? まぁ、とりあえず休もうか。水でも飲んでさ?」
少年は憔悴しきった様子で、コクンと1つ頷いた。
晄良が、先程陽が放っていったライトを持って歩いて来た。
陽の隣にいる少年の姿をその目に認めた彼は、ひどく驚いた様だった。
その後、呆れた様な顔をして、大きなため息をつく。
晄良が腕を上げたと思ったら、次の瞬間には彼の手が頭のすぐ上にあった。
頭のてっぺんに軽い衝撃が走る。
チョップをくらったのだと気付いたのは、その1秒後だった。
余りの速さに、陽は目を丸くする。
「えぇっ?」
「お前なぁ! 何か急に走り出したと思ったら」
「何で殴る!?」
「殴ってない。これはチョップ」
「こんにゃろぅ」
「ほら、困ってるじゃん」と、晄良が少年と目線を合わせるため、しゃがむ。
「怖かったろ」と、彼は目を細めて笑う。
「ちっちぇー奴がいきなり走って追いかけてきてくんだもんな。それがまた、速ぇんだし」
「だろ」と、陽は笑う。
「多分ワットより速かった」
ワットは陸上の世界王者だ。
「アキはワットの走り見た事あんの?」
「ない。でもまだ誰もあの人の記録塗り替えられてないらしいじゃん」
「見た事ないんじゃんっ」
「うるさいな。ほら、行くよ」
晄良が少年の背中を支えながら歩く。
彼にライトを返されて、陽は礼を言う。
ボタンを押して灯りを点けると、コンクリートのゴツゴツした道が青白く照らされる。
「カフェ・ヒヨコマメ」に戻ると、残っていた4人が、驚きながらも少年のために椅子と水を持って来た。
相当喉が渇いていた様で、少年はペットボトルの半分ほどの水を一気に飲んだ。
炙った串焼きを差し出すと少し戸惑った顔をした。
「別に、私には君を太らせて食べようとかいう考えがある訳じゃないし、お腹空いてるなら遠慮しないで欲しい。勿論、嫌なら無理にとは言わないけど」
晄良も口を開く。
「大丈夫。俺、警察。怖がらなくて良いよ」
少年は、上目遣いで陽達を見てから、小さくお礼を言い、それから物凄いスピードで串焼きを食べ始めた。
*
少年は、串焼きを食べ終えても、火が消されても、ゴミの片付けが終わっても、ずっといた。
「そろそろ帰るか?」と晄良が訊いても、黙って首を横に振った。
陽は何も言わなかった。ただ、時折静かな瞳で彼を見詰めていた。
しばらくして、少年は「あのっ」と、晄良に声を掛けてきた。
最初のコメントを投稿しよう!