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01.再会
9月の風の生温さを肌に感じる。
時刻は午後5時半を少し過ぎたところだが、季節は夏同然。まだ辺りは明るく、気温も高い。
9月は、暦では秋となっているが、夏にした方が良いだろうと内心愚痴を吐く。
ここは、東京からおよそ30キロメートル南に位置する比較的大きな島である。
庭瀬晄良はふぅ、と息を吐いて、緩やかな階段を2段飛ばしで駆け上がる。
コンクリートのその階段には、所々苔がへばりつき、斑模様になっていた。
風が、晄良の、決して長くはないが、そう短くもない髪を吹き上げる。いわゆる「猫っ毛」である晄良の黒茶色の髪は、風にくるくると遊ばれ、舞う。
今年何度目かの台風が島を通過している最中で、近頃はずっと風が吹いている。強い風の合間に弱い風が吹いて、それから思い出した様に暑さを届ける。
階段のてっぺんはちょっとした展望台のようになっていて、自動販売機とベンチが、間隔を空けて、ポツンポツンと寂しげに佇んでいる。そして、展望台の手すりの先には蒼い海が広がっている。
誰もいないと思っていたのに、展望台には既に先客がいた。
1人の、女性だった。
もしかすると、「少女」といった方が正しいのかもしれない。
「女性」というべきか、「少女」というべきか、その後ろ姿だけでは分からなかったが、「少女」ともいえるほどに彼女は小柄で、そして華奢だった。
少し荒々しい波音の中、彼女のひとつに結んだ漆黒の髪が風になびいていた。
足音に気が付いたのか、彼女はこちらを振り返った。
雀の様な、可愛らしい顔立ちだった。
くりりとした大きな目は利発そうで、瞳は磨きあげられたかの様に澄み、光をたたえていた。
七分丈の紺のチュニックブラウスに、裾が絞られたベージュのカーゴパンツ。そんなカジュアルな装いは彼女にとても良く似合っていた。
晄良には、彼女のこちらを振り返る動作がスローモーションの様に感じられた。
それくらい、彼女がこの場所にいる事が衝撃だった。
彼女の事を、晄良は知っていた。
「アキ、だよね?」
そう、彼女は晄良に尋ねた。
知本陽。それが彼女の名前だ。
晄良の幼馴染みの彼女は、晄良の事を「アキ」と呼ぶ。
陽には父親がいない。
出産を期に、彼女の母親、望歩はこの島にある実家に戻ってきたそうだが、その時彼女の父親は一緒に来なかったのだという。
望歩は、娘の陽を放ったらかしにして、部屋に閉じ籠っていたため、陽の世話は、彼女の祖母がしていた。しかし、その祖母も家を留守にすることが多く、幼少期の陽は、よく、隣にある庭瀬家にやって来た。
「遊びに来た!」と、無邪気に笑う陽を、晄良の母、空見子は喜んで迎え入れたし、勿論、晄良も歓迎した。
しかし、彼女のあどけない笑顔の裏側は、苦しくて悲しい事を晄良は知っていた。
望歩は、陽が中学3年生の時に亡くなった。病死だったそうだ。
陽は、東京の、親戚の家に引き取られた。
彼女とは実に10年ぶりの再会である。
「久しぶり」
晄良は、そう言って微笑んだ。
陽も「久しぶり」と、笑顔で応えた。
満足そうで、ちょっとすました、少年の様な笑顔は、10年前と全く変わらないそれだった。
「島、帰ってきたの?」と、晄良は尋ねた。
彼女は、「うん、まあね」と、曖昧な返事をした。
「何か、やらかした?」
そう訊くと、陽は噴き出した。
「失礼だぞ、アキ」
陽は軽く笑いながらそう言った。
「そりゃ、申し訳ない」
「や、別にいいけど」
陽は視線を海にやる。
「いつ帰ってきたの?」
晄良が訊くと、陽は視線をこちらに戻す。
「今日。さっきね。タクシーで橋渡った」
島は本土と1本の橋で結ばれており、橋を通るか、フェリーを使うかして行き来が出来る。
晄良は、その発言に違和感を覚えた。
何かが引っ掛かった。
しかし、それは掴む前にスルリと手を避けてどこかへいってしまう。
「それよりさぁ」
そう切り出す陽の声はのんびりしていたが、少し焦っている様にも感じられた。
「今、この島、何が起こってる?」
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