01.再会

1/1
前へ
/57ページ
次へ

01.再会

 9月の風の生温さを肌に感じる。  時刻は午後5時半を少し過ぎたところだが、季節は夏同然。まだ辺りは明るく、気温も高い。  9月は、暦では秋となっているが、夏にした方が良いだろうと内心愚痴を吐く。  ここは、東京からおよそ30キロメートル南に位置する比較的大きな島である。  庭瀬晄良(にわせあきら)はふぅ、と息を吐いて、緩やかな階段を2段飛ばしで駆け上がる。  コンクリートのその階段には、所々苔がへばりつき、(まだら)模様になっていた。  風が、晄良の、決して長くはないが、そう短くもない髪を吹き上げる。いわゆる「猫っ毛」である晄良の黒茶色の髪は、風にくるくると遊ばれ、舞う。  今年何度目かの台風が島を通過している最中で、近頃はずっと風が吹いている。強い風の合間に弱い風が吹いて、それから思い出した様に暑さを届ける。  階段のてっぺんはちょっとした展望台のようになっていて、自動販売機とベンチが、間隔を空けて、ポツンポツンと寂しげに佇んでいる。そして、展望台の手すりの先には蒼い海が広がっている。  誰もいないと思っていたのに、展望台には既に先客がいた。  1人の、女性だった。  もしかすると、「少女」といった方が正しいのかもしれない。  「女性」というべきか、「少女」というべきか、その後ろ姿だけでは分からなかったが、「少女」ともいえるほどに彼女は小柄で、そして華奢だった。  少し荒々しい波音の中、彼女のひとつに結んだ漆黒の髪が風になびいていた。  足音に気が付いたのか、彼女はこちらを振り返った。  雀の様な、可愛らしい顔立ちだった。  くりりとした大きな目は利発そうで、瞳は磨きあげられたかの様に澄み、光をたたえていた。  七分丈の紺のチュニックブラウスに、(すそ)が絞られたベージュのカーゴパンツ。そんなカジュアルな装いは彼女にとても良く似合っていた。  晄良には、彼女のこちらを振り返る動作がスローモーションの様に感じられた。  それくらい、彼女がこの場所にいる事が衝撃だった。  彼女の事を、晄良は知っていた。 「アキ、だよね?」  そう、彼女は晄良に尋ねた。  知本陽(ちもとはる)。それが彼女の名前だ。  晄良の幼馴染みの彼女は、晄良の事を「アキ」と呼ぶ。  陽には父親がいない。  出産を期に、彼女の母親、望歩(みほ)はこの島にある実家に戻ってきたそうだが、その時彼女の父親は一緒に来なかったのだという。  望歩は、娘の陽を放ったらかしにして、部屋に閉じ籠っていたため、陽の世話は、彼女の祖母がしていた。しかし、その祖母も家を留守にすることが多く、幼少期の陽は、よく、隣にある庭瀬家にやって来た。  「遊びに来た!」と、無邪気に笑う陽を、晄良の母、空見子(くみこ)は喜んで迎え入れたし、勿論、晄良も歓迎した。  しかし、彼女のあどけない笑顔の裏側は、苦しくて悲しい事を晄良は知っていた。  望歩は、陽が中学3年生の時に亡くなった。病死だったそうだ。  陽は、東京の、親戚の家に引き取られた。  彼女とは実に10年ぶりの再会である。 「久しぶり」  晄良は、そう言って微笑んだ。  陽も「久しぶり」と、笑顔で応えた。  満足そうで、ちょっとすました、少年の様な笑顔は、10年前と全く変わらないそれだった。  「島、帰ってきたの?」と、晄良は尋ねた。  彼女は、「うん、まあね」と、曖昧な返事をした。 「何か、やらかした?」  そう訊くと、陽は噴き出した。 「失礼だぞ、アキ」  陽は軽く笑いながらそう言った。 「そりゃ、申し訳ない」 「や、別にいいけど」  陽は視線を海にやる。 「いつ帰ってきたの?」  晄良が訊くと、陽は視線をこちらに戻す。 「今日。さっきね。タクシーで橋渡った」  島は本土と1本の橋で結ばれており、橋を通るか、フェリーを使うかして行き来が出来る。  晄良は、その発言に違和感を覚えた。  何かが引っ掛かった。  しかし、それは掴む前にスルリと手を避けてどこかへいってしまう。 「それよりさぁ」  そう切り出す陽の声はのんびりしていたが、少し焦っている様にも感じられた。 「今、この島、何が起こってる?」
/57ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加