前編:それでも伝えたい 1. 私とオーボエ

1/1
55人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

前編:それでも伝えたい 1. 私とオーボエ

ミーーン、ミンミンミン、ミーーン。 窓の外に響く、蝉の合唱。 夏全開だった、暑い今日1日を象徴する。 それでも、いくらか日が傾き始め、ふわりとした風が音楽室に吹いた。日除けのカーテンが優しく揺れる。 サッ、サッと物を削る音が静かに聞こえ、刃の厚いリードナイフが鈍く光る。 音楽室の片隅で、少女が一人。 オーボエのリードにプラーク(薄い板)を挟み、丁寧に、ゆっくり、ゆっくり、だが、手際よくリードを削っていく。 ……静かに、静かに、静かに、静まれ 窓から時折射す光が、彼女の黒い髪の上を流れ落ち、中学校の制服、白いブラウスを包む。 傍らには、ビロード生地のケース内、大事に収められたオーボエが輝いている。ケースにはネームプレート「2年2組(たちばな) 瑠璃(るり) 」。 やがて、フーと息を吐いて、削ったリードを持ち上げ確認する。 「もうすこし」 そう呟くと、再び、真剣な眼差しで削り始めた。 ……声を、聞かせて。 手を止め、リードを口に含んでみる。 「うん」 足元にある水の入った空ビンを取って蓋をあけ、先ほどのリードを静かに浸す。 私に似ている。初めてオーボエの準備を見たとき、そう思った。 簡単に声を聞かせてくれない。リードも、本体も、少しでも手入れを怠ると、ちゃんと音が出ない。 「私と同じ。…………ううん、そんなことないよね、ごめんね」 オーボエ本体を優しく撫でる瑠璃。 瓶の中のリードがコトリと動く。   × × × 周りに田畑も広がる、郊外の中学校。 校庭では野球部と陸上部が活動していて、活気ある掛け声が響いている。 校庭を見渡せる校舎の端の日陰。 オーボエのブレス練習をするためにメトロノームをセットしている瑠璃がいる。 ……暑い。 セットする手を止め、額の汗をハンカチで拭う。校舎の影になっているとはいえ、グランドからの熱気が伝わってくるようだった。校舎内の廊下に行けば、もう少し涼しいかもしれない。だけど、ここで練習したかった。 このグランドの見渡せる場所で。 ふと目線をあげると、校庭の端で陸上部が練習をしているのが目に止まる。 「ふー」とため息がでる。 目線の先には同じ学年の永野(ながの) (まこと)がいた。決して体が大きいわけではなかったが、クリッとしたくせ毛の髪で、遠くからでもその姿が良く分かる。スタブロ(スタートブロック)を使ったスタートダッシュの練習を繰り返している。 「ふー」とまた、ため息がでた。 その時不意に、 ビビビビイビビビビイ と顔の前を蝉が飛んで行った。 「キャッ」と言って腰を抜かす。 ハッと顔を上げると、蝉を放った男子生徒3人が走って通り過ぎて行った。 「吹きすぎて、茹蛸になるなよ」 「真っ赤っか、キッモ」 そして、ハハハハハ、と遠くで笑い声が聞こえた。 瑠璃は下を向き、ぎゅっと手を握りしめた。 我慢、我慢、我慢、 静かに、静かに、静かに、、 と呼吸を整える。 大したことない。 こういう表での出来事なら大丈夫。もう慣れた。 いつまでも慣れずに、心を削られるのは、 影での笑い。嘲笑の目。無視という壁。 「瑠璃ーーーー」 と明るい女の子の声が聞こえてくる。 「ごめんごめん。遅くなったー、待った?へへへ」 トランペットを持った、上山(かみやま) 三穂(みほ)がやって来る。ふわっとした髪に、瑠璃に笑う笑顔の明るい、瑠璃とは対照的に活発そうな女の子だ。 三穂は、瑠璃と遠くの男子達を見て 「あーー。またあいつらか。あとで殺す!っとに」 と言うと、遠くの男子に拳を振り上げた。 瑠璃は、そんな三穂を見て、ちょっと笑いながら、深呼吸をして呼吸を整えた。気持ちが軽くなる。 「裏に行こっか。あそこだったら男子も来ないっしょ」と三穂が促す。 「まって」 「え?」 瑠璃は、一度息を深く吸い込んでから、 「ここがいいの」 と、ちょっと強く答えた。 「そう、じゃ、もうちょっとだけ端の方行って練習しよっか?そうすれば、男子も」 「大丈夫。話し、するわけじゃないから。慣れよ慣れ、少しづつでもね、慣れないと。こういうの暴露療法(ばくろりょうほう)っていうんだって。暴露療法」 「ふーーん」 「それに、ここがいいの」 と顔を伏せる瑠璃。    × × × メトロノームの音がカチ、カチ、カチ、カチとテンポを刻む。 「エーー、瑠璃、永野が好きなの?ふーん、陸上部の永野かー。瑠璃はあういうのがタイプなんだ」 「しー、しー、しー。違うの、好きなんじゃなくて、話したいというか、えーと、ちゃんとお礼を言いたいというか」 三穂と目があい、赤くなり俯く瑠璃。 「フフ、瑠璃は分かりやすいから。へー、そう。瑠璃は永野かー、ほほーー」 「ダメ、かな」 「ダメじゃないよ。ただ、びっくりして。あ、でも……その、あの、う--ん」 「分かってる。男の子と話せないことでしょ」 「あー、まあー、でも好きな人なら大丈夫か」 「ううん。ダメだった」 瑠璃は、俯向き、そして遠くを見た。 「ダメ?? ダメって、何かあったの?」 「うん。永野くんね。朝、走ってるの。朝練かな? それで、たまたま走ってる事知ってね。それから、走ってるの、私も」 「え?……な、なまら、びっくりー」 三穂は目を丸くして、瑠璃を見た。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!