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前編:それでも伝えたい 1. 私とオーボエ
ミーーン、ミンミンミン、ミーーン。
窓の外に響く、蝉の合唱。
夏全開だった、暑い今日1日を象徴する。
それでも、いくらか日が傾き始め、ふわりとした風が音楽室に吹いた。日除けのカーテンが優しく揺れる。
サッ、サッと物を削る音が静かに聞こえ、刃の厚いリードナイフが鈍く光る。
音楽室の片隅で、少女が一人。
オーボエのリードにプラーク(薄い板)を挟み、丁寧に、ゆっくり、ゆっくり、だが、手際よくリードを削っていく。
……静かに、静かに、静かに、静まれ
窓から時折射す光が、彼女の黒い髪の上を流れ落ち、中学校の制服、白いブラウスを包む。
傍らには、ビロード生地のケース内、大事に収められたオーボエが輝いている。ケースにはネームプレート「2年2組橘 瑠璃 」。
やがて、フーと息を吐いて、削ったリードを持ち上げ確認する。
「もうすこし」
そう呟くと、再び、真剣な眼差しで削り始めた。
……声を、聞かせて。
手を止め、リードを口に含んでみる。
「うん」
足元にある水の入った空ビンを取って蓋をあけ、先ほどのリードを静かに浸す。
私に似ている。初めてオーボエの準備を見たとき、そう思った。
簡単に声を聞かせてくれない。リードも、本体も、少しでも手入れを怠ると、ちゃんと音が出ない。
「私と同じ。…………ううん、そんなことないよね、ごめんね」
オーボエ本体を優しく撫でる瑠璃。
瓶の中のリードがコトリと動く。
× × ×
周りに田畑も広がる、郊外の中学校。
校庭では野球部と陸上部が活動していて、活気ある掛け声が響いている。
校庭を見渡せる校舎の端の日陰。
オーボエのブレス練習をするためにメトロノームをセットしている瑠璃がいる。
……暑い。
セットする手を止め、額の汗をハンカチで拭う。校舎の影になっているとはいえ、グランドからの熱気が伝わってくるようだった。校舎内の廊下に行けば、もう少し涼しいかもしれない。だけど、ここで練習したかった。
このグランドの見渡せる場所で。
ふと目線をあげると、校庭の端で陸上部が練習をしているのが目に止まる。
「ふー」とため息がでる。
目線の先には同じ学年の永野 誠がいた。決して体が大きいわけではなかったが、クリッとしたくせ毛の髪で、遠くからでもその姿が良く分かる。スタブロ(スタートブロック)を使ったスタートダッシュの練習を繰り返している。
「ふー」とまた、ため息がでた。
その時不意に、
ビビビビイビビビビイ
と顔の前を蝉が飛んで行った。
「キャッ」と言って腰を抜かす。
ハッと顔を上げると、蝉を放った男子生徒3人が走って通り過ぎて行った。
「吹きすぎて、茹蛸になるなよ」
「真っ赤っか、キッモ」
そして、ハハハハハ、と遠くで笑い声が聞こえた。
瑠璃は下を向き、ぎゅっと手を握りしめた。
我慢、我慢、我慢、
静かに、静かに、静かに、、
と呼吸を整える。
大したことない。
こういう表での出来事なら大丈夫。もう慣れた。
いつまでも慣れずに、心を削られるのは、
影での笑い。嘲笑の目。無視という壁。
「瑠璃ーーーー」
と明るい女の子の声が聞こえてくる。
「ごめんごめん。遅くなったー、待った?へへへ」
トランペットを持った、上山 三穂がやって来る。ふわっとした髪に、瑠璃に笑う笑顔の明るい、瑠璃とは対照的に活発そうな女の子だ。
三穂は、瑠璃と遠くの男子達を見て
「あーー。またあいつらか。あとで殺す!っとに」
と言うと、遠くの男子に拳を振り上げた。
瑠璃は、そんな三穂を見て、ちょっと笑いながら、深呼吸をして呼吸を整えた。気持ちが軽くなる。
「裏に行こっか。あそこだったら男子も来ないっしょ」と三穂が促す。
「まって」
「え?」
瑠璃は、一度息を深く吸い込んでから、
「ここがいいの」
と、ちょっと強く答えた。
「そう、じゃ、もうちょっとだけ端の方行って練習しよっか?そうすれば、男子も」
「大丈夫。話し、するわけじゃないから。慣れよ慣れ、少しづつでもね、慣れないと。こういうの暴露療法っていうんだって。暴露療法」
「ふーーん」
「それに、ここがいいの」
と顔を伏せる瑠璃。
× × ×
メトロノームの音がカチ、カチ、カチ、カチとテンポを刻む。
「エーー、瑠璃、永野が好きなの?ふーん、陸上部の永野かー。瑠璃はあういうのがタイプなんだ」
「しー、しー、しー。違うの、好きなんじゃなくて、話したいというか、えーと、ちゃんとお礼を言いたいというか」
三穂と目があい、赤くなり俯く瑠璃。
「フフ、瑠璃は分かりやすいから。へー、そう。瑠璃は永野かー、ほほーー」
「ダメ、かな」
「ダメじゃないよ。ただ、びっくりして。あ、でも……その、あの、う--ん」
「分かってる。男の子と話せないことでしょ」
「あー、まあー、でも好きな人なら大丈夫か」
「ううん。ダメだった」
瑠璃は、俯向き、そして遠くを見た。
「ダメ?? ダメって、何かあったの?」
「うん。永野くんね。朝、走ってるの。朝練かな? それで、たまたま走ってる事知ってね。それから、走ってるの、私も」
「え?……な、なまら、びっくりー」
三穂は目を丸くして、瑠璃を見た。
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