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 酔いのせいか、聖子はその紙片を手にダイニングチェアに座り、心のなかで『木崎って、優しいなあ』とつぶやいていた。これもおそらく、もうすぐふたりの関係が終わる、あるいは変わるから、精一杯のことをしておこうという木崎の気持ちなのだろう。そう思うと、せつなくなると同時に、これまで感じたことのない哀しさに襲われる。  歳を取ればいろいろな経験だけでなく、感情も味わうものだと、聖子は珍しく感傷的になった。  ごめんよ、木崎。あんたのこと、長い付き合いだから、よく知ってると思い込んでた。上っ面だけだったね。たぶん、知らないことがいっぱいあるんだ。ひとりの人間にまつわるすべてを知るのは至難の業だ。ましてや心の奥の奥まで知ることなど不可能だという前提は忘れちゃいけないな。  休暇に入って仕事を離れるとこんな気持ちになるって、いいんだか悪いんだかと、聖子は自分に向かって皮肉な笑いを投げかけた。  大晦日は夕方まで聖子の自宅で竜の勉強を見てやった。明日から実家へ帰るから、わざわざ買い出しに行く必要もない。  年も押しつまってハメを外した客が多くなると、どうしても閉店が遅くなる。昨夜も木崎から、なかなか帰りそうにないグループがいるから、午前中は寝て、そのまままた今夜の準備に入るというメッセージが、夜半にきていた。  今日も夜中の12時に閉めるのは難しいかもしれないと、時々竜のノートを覗き込んでは、帰省のための荷物を詰めながら考えた。
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