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 機密性の高いビルの一室とはいえ、12月ともなると朝は肌寒い。聖子は一度、ぶるっと身震いしてから、勢いをつけて布団を剥ぎ、部屋の反対側にあるソファに放り出した自分の下着を目指した。  ここは住宅街と繁華街の境界にある古い小さなビルの最上階の3階。1階には木崎がオーナーのバー『フーガ』がある。3階建の2フロアを借りることで、木崎は家賃の大きな割り引きを獲得したらしい。といっても人口40万足らずの地方都市だから、元値自体がそもそも高額ではない。この部屋も事務所仕様なので仕切りがなく、だだっ広い印象だ。南東を向いた大きな窓のおかげで日中の室内は明るく、暖かい。  巨大なワンルームにも見えるが、実は奥にもうひとつ、六畳ほどの小部屋がある。そこにはノートパソコンやプリンターの乗ったデスクがあり、木崎の背よりも高い本棚に雑多な書籍が詰め込まれていた。9割が料理関係のもので、雑誌類は床にも散らばっていた。これが何ヶ月か前に聖子が見た小部屋の風景だった。  しかし今日、リュウと呼ばれた木崎の息子らしき子どもは、おそらくその部屋から出てきた。 「木崎ーい、スウェット、借りるねー」  開け放したトイレの扉の向こうの、つるんとした背中に叫んだ。  相変わらず、ごめんな、などと繰り返す謝罪の言葉の合間に、おう、と返事があった。
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