クルトはその背を押すと決めた

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 ***  死神の足跡は、複数の人間に同時多発的に現れることも少なくない。  足跡そのものはインクのような素材だが、触った人間にその色がくっつくことはないとされている。そして、足跡の上に物理的に何かが存在している様子はない。ただ足跡だけがいつまでも対象の後ろにくっついて回り、あるタイミングで一歩前進。それを繰り返して対象に追いつき、命を奪うのだという。  クルトは大学では、ミラージュ機関科の生徒だった。この世界のコンピューターや電灯、自動車を動かすために必要不可欠なのがミラージュ機関という仕組みである。ミラージュ鉱石を使って行うこの仕組みをより改良し、人類に役立つさらなる仕組みを研究しましょう――という学科だとでもいえばいいだろうか。  特に興味がある学科だったわけではない。ただ、文系よりも理系で、特に化学と科学が得意だったから専攻したというだけだった。だがその大して興味もない専門分野が、今回ばかりは少しだけ役に立っている。彼女に協力を要請し、ミラージュ機関を搭載した熱センサー、光センサーなどを服につけたまま歩いてもらい、死神の足跡とその動きを観察したのである。  そして、いくつか新しい発見をするに至るのだ。  死神は、確かにいつも対象の後ろに存在するわけではない。だが、実態が完全にない存在ではないのだと。 ――死神にも体温がある。それも、マイナスの体温が。  計測を始めて二日ではっきりした。死神に憑かれた人間は、足跡を中心に背中側の空気の気温が下がるということを。それも、足跡が前進する瞬間にはその気温がさらに下がる。他の空気と比べて、おおよそ10度以上も下がるのだ。眼には見えないものの極端に冷たい体を持つ物体が、足跡をつける瞬間だけ実体化する。その残り香として、周囲の空気の温度が下がったままになるのだと思われる。  光センサーにも、僅かに反応があった。足跡がつく瞬間だけ、足跡とその真上の空間の光の屈折率が変わるのだ。見えない何かが存在するのは、もはや疑いようがなかった。 ――死神が、この世界の命を操ってる。死神に嫌われないように、気に入られないように、この世界の人々はみんな怯えて俯いて生きている。でも、本当にそれでいいのか?死神にとって俺達は、いつでも簡単に殺せる、暇つぶしの道具のようなもの。俺達人間は、いつまでもそんな存在に甘んじていいのか?  今までの自分なら、それも仕方ないと考えていたことだろう。実際自分に足跡がついたなら、どうしようもないことだと諦めることもできたのかもしれない。  でも、今危険に晒されているのはクルトではない。  フローラの未来を守りたいと本気で願うなら、自分も覚悟を決めなければいけない。 ――何もかも、無駄かもしれない。でも。  ただ漫然と、夢も希望もなく生きることは、果たして本当に生きていると言えるのか。  否。生きるとはきっと、自分の本当にやりたいことをかなえて、幸せになることであるはずなのだ。 ――何もしないで諦めるより。ぶつかって砕けた方がきっと意味がある。……諦めるな。諦めるのは、死んでからでも遅くはないんだ。  脳裏に浮かぶのはただ一つ。最近は見られなくなってしまった、フローラのキラキラした笑顔だけ。  自分は彼女に、いつまでも笑っていてほしいのだ。あんな風に絶望して涙するより、ずっと。
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