1 莉子

1/16
前へ
/38ページ
次へ

1 莉子

ーーー彼のキスは、いつも、蕩けるように優しい。 ヒールを履いていても、背伸びしないと届かない、形のいい唇。 大きな手のひらが、私の後頭部を引き寄せて。食べられてしまいそうなほど情熱的に、包み込んでくれる。 「…課長、」 「…ん…?」 「今夜は…?」 キスの合間、唇を離さずに尋ねる。と、彼の顔色が曇った。 「今夜は…ちょっと、」 「…そっか、」 「いつもごめん。また埋め合わせする」 最後に、触れるだけのキスをして。 「そろそろ戻ろうか、」 「…うん、」 「じゃあ、後で…」 他の社員に怪しまれないように、時間を変えなければいけない。 彼が先に出て行くのを見送って、スマホの時計を確認した。 ーーー2月12日、金曜日、13時45分。 あ、そっか。今日、娘さんの誕生日だ。ウッカリしてた。 あと5分くらい経ったら出ようかな。 隅の蛍光灯が切れた、薄暗い資料室。その片隅のパイプ椅子に、そっと腰掛けた。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

521人が本棚に入れています
本棚に追加