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3月
人の噂も七十五日。
そんなことわざがある通り、噂話など一時的なものだ。
「付き合っているのかな?」という噂が「やっぱり付き合ってた」から、「入る隙もないほどバカップル」に変わるまでそう時間はかからなかった。
今年の3月はずいぶんと暖かく、雪が降ることも少ない。日陰にのみ雪は残り、アスファルトははっきりと顔を出していた。
桜が蕾をつけるのも、早いかもしれない。
とはいえ、春の気温とは程遠い。
校内は暖房で暖められており、それでも教室以外ではカーディガンを羽織りたいほどで。
そんな寒さの中、ひんやりとした隙間風が吹き込む、屋上への階段。外に近い分、ここは一段と室温が低くなっている。
その上、屋上は立ち入り禁止になっているため、好んでここに来る物好きはいない。
わざわざ来る者がいるとすれば、人目を避けたいカップルくらいだ。
「それ、あったかい?」
ひんやりとした階段。隣に座るひなたは、大判ストールにすっぽりとくるまっている。
スモーキーピンクのタータンチェック柄。うさぎの刺繍は、クリスマスにあげたミトン手袋と同じショップのもの。
バレンタインのお返しにと、俺がプレゼントした。
「うん、あったかいよ」
ふんわり笑って、ひなたは片側を開けた。
俺にストールの端を差し出すようにして、
「旭くんも入る?」
と。小首を傾げた。
「うん。……あ、いや」
俺は思い直して、立ち上がった。
不思議そうな顔をしたひなたの後ろに回り込み、一段上に座る。ひなたを、足の間に。
後ろから、ぎゅうっと抱きしめた。
厚手のストールの柔らかな手触り。その下にはもっと柔らかな感触がある。これはこれでいいのだが、何か違う。
温さが物足りないのは、この暖かなストールが邪魔なのだ。
「——こっちのほうが、あったかいかな」
はずしたストールは、ひなたの膝掛けに。
今度こそ、厚手の布に邪魔されずひなたの温もりを感じる。
ぎゅっと腕に力を込めれば、先ほどより直に伝わる華奢な柔らかさ。
「あ、旭くん……っ」
「ひなたの匂いがする」
髪の毛をよけてひなたの首筋に顔を埋めれば、より、濃厚に。
温かさも、ひなたの匂いも、感じられる。
「……っふ、ふふ、くすぐったいよ」
ひなたが体をよじり始めたので、パッと顔を離した。思わず行動に移してしまう既のところだ。
まだ付き合いは浅いのに、印を付けたいなんて……。
止まらない独占欲に、苦笑いした。
「どうしたの? 旭くん」
振り返って俺を見上げるひなたの瞳は、色素が薄く透き通って見える。
それだけでなく、純粋そのもののようで。
俺の下心が見透かされているのでは、と、心配になる。
「なんでもないよ。……好きだなぁ、って思っただけ」
それだけ素直に伝えると、ひなたのさくら色の頰がさらに染まった。
「好き」の言葉は何度も伝えているのに、何度でもこの反応をする。慣れないらしい。
それがまた、かわいいのだけど。
「……私も、好きだよ」
「…………え」
いつもなら恥ずかしがって、ひなたからは絶対に言わない言葉。
それをまさか、はにかみながら言われると。
俺の中に、幸せが溢れかえる。
「あー、もう……。幸せすぎて死にそう」
ひなたの背に、顔をうずめて隠した。俺の高くなった体温は、制服ごしに伝わるだろうか。
高鳴る胸の音は、俺のものか。ひなたのものなのか。
ゆっくりと顔を上げれば、耳まで赤く染めたひなたがうつむいている。
膝に置かれた手は、ぎゅっと握り締められて。
「ひなた、こっち向いて」
——たまらず、キスしたくなった。
「バカップル、み〜つけた」
タン、タン、と気怠げに階段を上がってきたのは、相変わらずおじゃま虫でしかない裕也。
俺とひなたの様子を見るや、ニヤッと笑った。
「わり。続けて続けて」
「続けねーよ」
ったく、邪魔しやがって。毒づくと、裕也はヘラヘラと笑う。
ひなたにまわしていた腕を離し、俺はさっさと立ち上がった。
ひなたも顔を赤くしたままギクシャクと立ち上がり、裕也はつまらなそうな顔をした。
「次、移動教室になったんだってさ。もう予鈴なるから、呼びにきた」
「あー、それはありがとう」
タン、タン、と今度は軽やかに降りて行く裕也は、俺たちに見向きもせず。最後の段を蹴ると、そのまま廊下を歩いていってしまった。
俺も階段を降り、後ろを歩くひなたを振り返る。違う高さは、ちょうど一段分。
手を差し出すと、戸惑いなく重ねられる手を軽く引いた。
「わ、なに……」
————ちゅ。
同じ目線で、触れるだけの。
「我慢、したくなかったから」
恥ずかしいけれど、幸せで。
顔を背けられないよう、おでこ同士をこつん、と合わせると。
ふ、と笑ってしまうほどに、熱を感じた。
「ひなた、熱い」
「……旭くんだって、熱いよ」
「ひなたのがうつったんだよ」
まるで、あの時のように。
ひなたと出会った、去年の3月。
遠くにいたひなたは、今は目の前にいるなんて。
『好き』が溢れてとまらない。
「……もう一回していい?」
近く、もっと近く。求めて、恋焦がれて。
去年の3月にはなかった想いが、いつのまにかこんなにも大きく育った。
そしてきっと、これからも大きくなるのだろう。
「好きだよ」
返事を待たずして落としたキスは、今度はぎこちなく受け止められた。
顔を離してみると、はにかむひなたの頬は満開のさくら色で。
「私も、旭くんが好き」
本日2回目の告白に、のぼせるほどに熱くなった顔を手で覆った俺は、ふらふらとその場にしゃがみ込んだ。
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