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10月 ①
爽やかな風が肌に心地良い。
カラッとした秋晴れに、金木犀の甘い香りが漂う。
この日を待ちわびた学生達は、準備のための寝不足などお構いなし。
他校生との交流、卒業したOBとの再会。各クラスでの催しも、大盛況だ。
俺のクラス、タピオカ店も。さすが、流行りのものというだけあった。
裏方で働いていた俺はひたすら手を動かし、タピオカと闘い、やっと午前のシフトを終えた。
午後からは裕也と出し物がある。
そのためにフリルエプロンを付けた宣伝隊長、裕也が戻るのを待っていた。
ワイシャツを脱ぎ、黒のTシャツに着替える。ズボンは制服でいいので、カーキのグレンチェックのまま。それだけで、出し物用の着替えは終わり。
一仕事終えた後の、まったりとした時間はとても眠たくなる。あくびが出るのも、仕方ない。
「——じゃ、そんな感じで。よろしくね」
近づく裕也の声は、誰かと話していた。
そちらを振り返れば、シフトが合わずすれ違っていた、ひなたの姿が。
女子の制服は白ブラウスに、カーキのグレンチェックのスカート、ボルドー色のリボン。
そこに、フリルを付けた生成りの腰巻きエプロン。頭にはベージュのベレー帽で、カフェ風スタイルの衣装だ。
意外にも、衣装はおとなしめに仕上げられていた。
現実主義の衣装作りチーム曰く、凝らなくてもタピオカなら客は入るから、と。
「(裕也のエプロンだけ、フリルのボリュームがおかしいんだよなぁ)」
ボーッと2人を眺めていると、視線がかち合う。裕也はニヤッとし、「着替えてくる」と立ち去った。だが、ひなたは。
「じ、じゃあ。動かないでね」
椅子に座る俺の背後に回ると、恐る恐る、といった感じで俺の髪を触り始めた。
「えっ? えっ!?」
「旭くん、動いちゃだめ」
サイドの髪を少し取り、ねじってピンで止めていく。
頭皮に触れるか触れないかほどの優しい手つきが、くすぐったい。
「……えっと、ひなた? どういうこと?」
熱くなった耳に、ひなたの指がかすった。冷たくて気持ちいい。
「裕也くんに聞いたの。この後の出し物、バンドで出るんでしょ?」
「あ、うん」
「だから、旭くんの髪をそれっぽくいじってって」
「そういうこと……」
ねじってはピンで止め、ねじってはピンで止め。あっという間に片側が出来上がった。
前髪はピンで止めていない方へ少し流しめに整えられ、ひなたはまじまじと俺を見て。
「うん、かっこいい」
と、声に出した。
「……っ、ありがと……」
正面からの視線に耐えられず、思い切り顔をそらして。それだけ答えると、今度はひなたが紅潮した。
まるで、紅葉のような赤。
「ごめ、あの…………頑張ってね……」
「ん、頑張る」
両手で顔を覆い隠すひなたの頭を、ベレー帽ごしにポン、と。
裕也が戻ってくる前に、逃げるようにその場を離れた。
❇︎❇︎❇︎
出し物は、体育館のステージで有志を募って行われる。
俺が参加したのは、裕也が単発でかき集めたバンドだ。裕也はベース。俺はボーカル。
歌は得意なほうなので、引き受けた。
順番が巡り、いざ、ステージに上がる。
緊張がすごい。ドラムがカウントを打ち、ギターとベースが合わせて奏でられる。
練習通り。練習通りに。
大きく息を吸い込み、前奏の終わりを待つ。
「(————あ)」
ライトを消された、ステージ下。
壁際にひとり立つのは……小さいのに、俺にとっては大きな存在となった、ひなたが。
目が合ったかなどわからないはずなのに、小さく手を振ってくれた。
「(見に来てくれたのか)」
それだけで、人前に立つ緊張なんて吹き飛んだ。
前奏の終わりと共に、俺は歌い出した。
聞いてほしい相手は、ステージ下にただひとり。
たった3曲のうちの、ただ1曲だけが恋愛ソング。どの曲よりも丁寧に、思うままに感情を込めた。
みんなの演奏が俺の声にハマり、俺の声がみんなの演奏にハマり。
拍手と歓声の嵐の中、驚くほどに気持ちよく、俺は歌い上げた。
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