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10月 ②
アンコールを受けるほどに、出し物は大成功。
単発バンドで他に曲がなかったため、惜しまれながら降壇したのが心惜しかった。
でも、今の俺にその余韻に浸る暇はなかった。
タオルで汗を適当に拭い、メンバーとハイタッチだけをしてすぐに体育館を出た。探すのは、大きなタピオカの看板を持った、背の小さな彼女。
「……ひなた!」
パッと、振り返る。
それは、ひなただけでなくて。
「さっきのバンドのボーカルだ!」
と、集まり始める他校の女子達。
その流れにぶつかり、ひなたはブラウスに飲み物をこぼされた。染まる茶色は、おそらくコーヒー。
「ちょ、ごめん! どいて!」
女子達を押し退けて、呆然とするひなたの手を掴んだ。タピオカの看板を担ぎ、人の少ないところへ。
ひなたを引っ張って走った。
❇︎❇︎❇︎
「ヤケドしなかった?」
関係者以外立ち入り禁止の、屋上への階段上。
汗を拭ったタオルだったが、とりあえずそれをひなたに渡した。トントン、とブラウスを叩く。染みは取れる気配がない。
「うん、大丈夫。ぬるかったから」
「ごめん、俺が大きい声で呼んだから」
「旭くんは悪くないよ」
階段に腰掛けたひなたは、ブラウスだけでなくリボンも叩いた。リボンは色が目立たないが、広範囲に被ってしまっていたらしい。
白のブラウスは、胸元からお腹まで薄茶色が広がっていた。
「……ちょっと待ってて」
そう言い残し、俺は教室へ急いで戻った。
必要なものだけ持ち、またひなたの元へ。
息を切らしながら、手に持ったそれをひなたに渡した。
「これ……」
「俺ので悪いけど、代わりに」
出し物の前に脱いだワイシャツ。
午前のクラスのシフト中は着ていたが、汗臭くはなってないはずだ。
「旭くんが着るものなくなっちゃうよ」
「俺はもうシフト入ってないし、このあと制服に着替えるつもりなかったから」
ワイシャツを返そうとするひなたの手を押し返して。
「階段降りたとこで待ってるな」
有無を言わさず、背中を向けた。
階段を降りて、ふぅと息を吐く。また、強引だっただろうか。
少しして、タン、タン、と軽い足音が聞こえた。ひなたが降りてきたのを確認して、振り返る。
「あの、旭くん……」
腕は数回折りまくり、肩口のラインは二の腕下らへん。すっぽりと俺のワイシャツに着られてしまったひなたが、差し出す手には。
「あぁ、ネクタイ」
男子の制服の一部である、ボルドー色のネクタイ。ワイシャツを脱ぐ際に、輪を残したまま外していたのだ。
それを、ひなたの手から受け取った。
結び直さないと不恰好な長さになるだろうなぁ、と思い、ネクタイを解いてひなたの首にかけた。すると、
「あ、違うの。返そうと思って……」
と、止められた。
「えっ。あー……」
ネクタイから手を離し、ずるずると。ずるずると、しゃがみ込んだ。
そんな俺に、ひなたは驚いて声をかけた。
「旭くん? どうしたの?」
「……ごめん」
「え?」
「俺、ひなたに強引なことばっかしてるよな……。花火大会も、ここに連れてきたのも、そのワイシャツも」
だから、ごめん。
顔を上げずに、謝った。
「……そんなことないよ」
ひなたはしゃがみ込む俺の横に、同じようにしゃがんだ。
顔を上げようとしない俺を覗き込むようにして、続きを話す。
「旭くんが私を助けてくれてるの、ちゃんとわかってるよ。嫌だなんて思ったことない。……すごく、嬉しかったよ」
最後は、隣にいてくれなければ聞こえなかっただろう小さい声だった。
俺が顔を上げると、ひなたはさくら色に染めた頬で優しく微笑んだ。
「俺のこと、嫌いになって避けてたわけじゃない?」
「嫌いになんてならないよ。それに、避けてない」
ひなたは目を泳がせ、一呼吸して。
「……恥ずかしかっただけ」
これもまた、恥ずかしそうに言った。
そんな様子のひなたに、笑いが漏れる。
「俺も、恥ずかしい」
そう言うと、ひなたも笑った。
「はー、もう。本当に嫌われたかと思った」
「ご、ごめんね」
「ん、いいよ。……それにしても、ぶかぶかだなー」
改めて、自分のワイシャツに身を包むひなたを見て思う。身長差があるからわかっていたが、それ以上にぶかぶかだった。
それがまた、愛しいと思ってしまう。
小さな彼女を、抱きしめてしまいたい。
「……嫌だったら言って」
伸ばした手で、肩を引き寄せる。
——すんでのところで止め、首にかかったままのネクタイを手に取った。
シュルシュルと衣擦れの音を立て、手際良く結ぶ。
「はい、できた」
「わぁ、ありがと」
ぶかぶかのワイシャツに、普段はしないネクタイ。
純粋に喜ぶひなたを見て、俺も嬉しくなった。その気持ちに優越感が混じっていることも、もちろん気付いている。
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