あしあと

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あしあと

 ここはとある田舎の古民家を改装し完成したこじんまりとした和モダンのカフェ。やっとの思いでオープン出来るまでに至った。  今そばに居るのは生涯のパートナーとしてこれまでの人生を共に歩んできた栗平愁。もう連れ添って三十年程になる。 「俺は今年で50歳、愁は今年で62歳……お互いにここまでよくやってきた」 「歳をとったな。この三十年間一緒に歩んできてくれてありがとう、周」 「やめないか、照れくさい。そもそも、数年前に愁がカフェをやりたいと、人生の別の道の分岐点を示してくれて、その道を二人で歩んできたんだ。今日までの人性のあしあとがあって今があるだろう」 「先に言われてしまった、その通りだ」  二人では少しだけ広いこのカフェで、カウンター越しに話をする。交わす言葉ひとつひとつ耳にしながら、周は手動のコーヒーミルを使って豆を粗めに挽いていく。周囲に豆の深く香ばしい香りが広がり、コーヒー豆がカリカリと竹の表面を撫でていくような音を立て耳に柔らかく残る。  お湯の温度は高め、ハンドドリップで丁寧に抽出していく。抽出したばかりの香ばしくほろ苦い香りが漂い、濃く鼻を抜けていく。次第に、コーヒーのアロマにミルクの柔らかく甘い香りが絡まっていく。 「あ、これは……」 「お待たせ。カフェオレだったね、確か」 「よく覚えてる。周は……ブラック」 「ああ、そうそう。カフェオレも好きだが」  淹れたばかりのカフェオレが目の前へ差し出されると、その手を咄嗟に掴み立ち上がった愁は身体寄せるように手を引きながら僅かに身を乗り出し右頬へ唇を軽く押し付け、直ぐ唇を離す。その距離で見つめながら反対の頬を柔く撫で笑みを浮かべる。 「コーヒーの香りにのせてこんな風に煽られるとは思わなかったよ」 「っ……だいぶ抑えてるんだ。これは今までのお礼とこれからもよろしくと言う挨拶だ」 「愁は本当に可愛らしいことをするね、ずるいなぁ」 「なぁに、今は抑えてるんだ、周もだろう?」 「それはそうだ。続きは今夜どうだい?」 「よろこんで」  今日からまたスタートするミドルな人生。  共に歩み重ねてきた人生のあしあと。  これからもまた添い遂げる覚悟で共にあしあとを重ねる。
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