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引っ越し
柏木美和が両親とともに久々に元白鳥を訪れたのは、二月なかばのことだった。
まず、父の実家である伸介一家のところに挨拶に行く。
伸介が、いかにも農家のおじさんといった雰囲気で玄関先に立っ
た。
「ミワちゃん、すっかり娘さんになっちちまったなあ、こないだなんてまだ中学生だったっけ? こんな田舎に一人っきりで住むなんて偉いなあ」
さんざんほめているのか何なのか分からない言い方だったのに急に
「東京の高校、止めたんだって?」
無遠慮にそう聞いてきた。
おじさん、パパと三つしか違わないのに何だかすっかりオッサンじみてる……息も何か臭い。
ミワは顔をかすかにそむけ、
「はい」
口の中で小さく答える。伸介はさらに
「進学校入ったって言ってたけど、半年しか通ってなかったって?」
「はあ」
「もったいねえなあ」
言い方にとげがあるわけではないが、ミワには一番触れられたくない話題だった。
「青峰駅ンとこの、定時制に入ったんだってなぁ、あそこは」
伸介が少し顔をゆがめるように笑い、ミワはしゅんかん、かすかな殺意を抱く。
しかし
「もうお父さん、デリカシーないわぁ」
奥から出てきた妻の綾子にたしなめられ、伸介はいけね、すまんすまん、と頭をかいた。
「青峰中央高校、単位制で進学率も高いのよ、まったくこれだから田舎者は」
そうコロコロ笑いながら、綾子はミワに向かってやさしく声をかける。
「団地の家、空き家にしといてももったいないから、ミワちゃんみたいにしっかりした子が住んでくれてホント、ありがたいわ」
そんなことばも逆にミワには居心地が悪い。
もともと、ミワは駅に近い場所に住みたいと希望していたのだ。
こんな田舎だと駅や学校まで四〇分はかかる。
バスもろくにない。
しかし、すでに決めてしまったことなのだ。
「兄さん、家賃はところで」
「もともとトモエが一人で住むだろうってくれてやった家から、家賃なんてそんなの要らねえさ。結局トモエのやつ、あちこち飛び回るのにこっちじゃ不便だから、って駅前にアパート借りちまったしね。いいよヒトリもんは気楽で。道楽のカメラも相変わらずらしいし……」
本当ならば、ミワの叔母である柏木トモエのアパートに同居させてもらいたかったのだが、それはミワの母が激しく反対した。
「なんで? トモちゃんとだったらうまくやれる気がするんだけどな」
ミワがそう反発すると
「トモちゃんはいいコなんだけど……」
義理の妹については、ミワ母の意見は叔父の伸介と似たり寄ったりなようだった。
「職業もカメラマン、って言ったりフリーライターって言ったり……活動時間も行先も色々みたいだし」
だったら、学校まで距離があっても、少しは身内が近い田舎の方が安心できる、という考えだったようだ。
実際、団地に住めばどう? と提案したのはその当のトモエだった。
自分が空き家にしていることに少し後ろめたさでもあるのか、と邪推するような勢いで勧めてきたのだった。
「困ったことがあったら、なんでも相談に寄ってね。お夕飯も食べに来てちょうだい」
そう綾子が笑うのを、ミワの母も同じように笑ってみせる。
しかし、伸介は農業に忙しいし、綾子はパートだがしょっちゅう連れと旅行ばかりであまり家にいないらしい。
祖父のヒロシゲがいれば、もう少しここに足が向くのだろう。
祖父は山歩きも手作業も達者で、ミワにはズガニの捕り方から食べられる木の実の探し方まで、いろいろと教えてくれたものだった。
しかし、彼はすでにスミレ台という所にある『やすらぎの家』とか言う施設に入ってしまってここにはいない。
少し年上のいとこ二人もすでに実家から出て暮らしていたから、ミワにとってはこの柏木家は、ほぼ他人の家のようだった。
ミワは叔父たちのことばに生返事をしながら、多分ここに住む二年程の間に、この家を訪ねることは一度もないだろうな、と思いそれとなく家を見渡していた。
見なれた太い梁やふすまで仕切られた座敷など、昔はまるで我が家のように走りまわっていたはずなのに、今では匂いさえ、違っているような気がした。
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