第四章『緑の夏』

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……その後。 「あぁ〜、いい湯なのぜな〜」 「ふぅ、流石に一生懸命働いただけあって気持ちいいわ……」 「うん、気持ちいい……」 食堂にて夕飯を客の元に届ける配膳を終えて、今日の仕事は終了。 二十時過ぎ……現在の俺達は、一般客の利用を過ぎた後の温泉に貸切で入らせて貰っていた。 「私も今日で入るのは五回目くらいだが、気持ちが良いぞ」 ……の筈だが、何故か真緒さんも女風呂の方で飯田さん達と共に入浴していた。 「なんであんたもいんのよ、今は一般の人は入っちゃいけないのよ」 「そんな固い事を言うな凪奈子、一人で入ってもつまらんからな、今回は見逃してくれ」 「でも貸し切りで入れるなんて贅沢なのぜな!」 「こんなに広いお風呂なのに、私達で入ってよかったのかしら……」 壁の向こうでは、女子四人が入浴の時間を楽しんでいる。 長内さんはこの温泉の広さに、少し申し訳なさを感じている様であった。 「ふふっ、女の子達楽しそうだね」 「はい……」 ……一方で同じ広さである男風呂に今いるのは、俺と武蔵さんの二人だけだ。 女子達の半数しかいないこちら側では、他の男達の話し声が無い空間の中で、湯が注がれる音しか聞こえて来ない寂しい時間が流れていた。 「この調子なら、新宿に帰る頃には結構体力ついてそうだよね」 「はい、仕事……というか、最早運動レベルで動きながら働いてますよね」 「ダイエットとかしたい人に向いてそうだよねこの仕事」 だが武蔵さんは中性的な顔で、長い髪もタオルで巻いているので、首から下まで湯に浸かっていると、女性と見分けがつかない程に綺麗だ。 ……今の彼を見ていると、少しだけドキドキしてしまうのは何故だろう。 「はぁ……向こうは楽しそうだね」 「俺達も女だったら、あちら側に行けるんですけどね」 「……暇だし覗きに行こうか」 「……は?」 「ちょっと聞こえてるわよあんた達!」 「余程死にたいと見える」 「だめなのぜーっ!」 「えっち……」 しかし女子達に批判を喰らいながらも、壁を乗り越えて女子達の裸を見たいと思っている所から、やはり武蔵さんも男のようだった。 は? とは言い返したが、勿論俺もそうだと一パーセントも思っていないと言えば嘘になる。 「千夜、あんた相変わらず肌が真っ白ね」 「すべすべしてそうなのぜ〜」 「そう、かしら……恥ずかしいから、あまり見ないで……」 「その分海に行ったら、日焼けしてしまうのでは無いか?」 「そこは、日焼け止めを塗るわ……私、お肌が弱いから……」 一方向こうでは、かつての歌舞伎町での銭湯の時のような、お互いが裸の時であるからこそ出来る会話をしていた。 ……更にやっかいなのがその話になると男の俺達は、文字通り完全に蚊帳の外になってしまうのだ。 「ウエットスーツ着ればよくないかい?」 「サーフィンしてる人達が着てるあれなのぜ?」 「持ってないわ……」 「着るのも脱ぐのも大変そうよねあれ」 「だがよく浮くし安全という意味では良いかもな」 しかし武蔵さんは、持ち前のコミュニケーション能力で女子達の会話に乱入している。 「海に行ったら〜、高い所から飛び込んだり、ビーチバレーしたり、波に乗ったりしたいのぜ!」 「そうね、そこで楽しむ分だけ、明日からの仕事も頑張りましょ」 「休みはいつだとか決まっているのか?」 「明後日の土曜日と日曜日から、二日間お休みだって言っていたわ……」 「土日は休ませてくれるのか、良い職場では無いか」 瀬名さんは海での夢を語り、飯田さんは皆の士気を高める事で、明日もやってくる運動のような仕事に臨んでいた。 俺もいつもは、殆どの仕事は初対面の人とのチームワークで行っていたが、今回は飯田さん達の面子で構成されたチームだ。 女将さんに注意をされるような失態を、彼女達に晒す事だけは許されない……四十二度の風呂の熱さが、その気持ちを更に昂らせていくのであった。 「……ふぅ、熱いねこのお風呂。 大和、僕はちょっと露天風呂で涼みに行ってくるよ」 「……あっ、俺もお供しますよ」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ……それから零時過ぎ。 「すー……すー……」 「えへへ……あたい目からビームも出せるのぜよ……」 歌舞伎町であれば本来、夜の本番へと突入していく今の時間帯…… 昨日と同じように、朝の四時に起きなければいけない俺達は、既に二十一時から布団にて眠りに入っていた。 「……くっ」 ……しかし、蒸し暑い夜による喉の乾きが、俺を現実世界へと引き摺り戻した。 周囲で寝ている者達を起こさぬよう、毛布を退けてそっと体を起こす。 「……」 ……皆、蒸し暑さや渇きに負けないぐらいにぐっすりと眠っている。 それ程に皆、日中の仕事で体力を削っていたのだろう。 特に雑巾がけで最後尾にいたにも関わらず、一番頑張っていた長内さん…… 「……?」 ……がいない。 催したか何かで、いつの間に起きて外に出て行ったのだろうか。 ……とにかく俺も再度眠りにつく為に、一刻も早く喉を潤わさなけらば。 財布を持ち皆の足を踏まないようにして、そっと布団の地雷を抜けて外へと出る。 「……」 とりあえず水でも何でも良い。 自販機はどこだ。 薄暗い廊下の先に見える闇に吸い込まれるようにして、前へと歩き出す。 「……!」 暫く進むと、町でもよく見かけるいつもの自販機とは別に、たこ焼きなどのファーストフードが売っている物や酒などの自販機も集まっている場所についた。 そしてその隣の伊豆の街の景色がよく見える、窓を開けて外へと出れるベランダに……長内さんさんはいた。 「長内さん……こちらにいらしたのですね」 「仁藤くん……ごめんなさい……起こしちゃったかしら……」 「いえ、俺は喉が渇いて起きてしまっただけです……宜しければ、これ差し上げます」 「ありがとう……」 そうして二百円とかなり高めの五百ミリリットルのお茶を、長内さんにも渡す。 「……ふぅ」 甘いジュースとは違い、就寝後も潤いを保ち続けていけそうなお茶の効能が喉を癒していく。 「っ……っ……」 長内さんも額から一滴の汗を流しながら、お茶をごくごくと美味しそうに飲んでくれていた。 「……長内さんは、どうして起きてしまったのですか?」 「起きた、っていうか……元々寝てないわ……」 「……えっ?」 「目をつぶって……何も考えずに、寝ようとしていたの……でも、なぜか寝れなくて……」 「だからこうして、気分転換に外で涼んでいたの……」 「……」 長内さんが寝不足……? ……まさか長内さんが日頃から眠たそうな目をしていたり、ゆっくりとした言動の裏ではそのような原因があったのではないか。 「……」 相変わらず光が灯らない、空を見上げている彼女の無機物のような瞳。 新宿とは違い満点の伊豆の星空でさえも、反射して長内さんの瞳に光を与える事は無い。 「……寝れないのはどうしてですか?」 「分からないけど……多分、皆と寝るのが慣れてないんだと思う……」 「……それは分かります、独りで寝た方が落ち着きますよね」 「でも、個室では寝れないだろうから……贅沢は言えない……」 「同じ意見です」 長内さんの返答から、歌舞伎町に住んでいる時は一人部屋で寝られていそうな事から、彼女は寝不足であるという推測は消えた。 思えば俺は、これまでに一度も長内さんが欠伸をしている所を見た事が無い。 「……お仕事の方も大丈夫ですか?」 「うん……皆でやると、楽しいし……」 「疲れても、皆が応援してくれるから……頑張れる……」 「そうですよね」 ……明日の仕事が不安だから寝れない、という訳でも無さそうだ。 だとしたら何だ。 長内さんは結構繊細な性格をしていそうなので、寝室での環境や仕事やそれ以外と、寝れない原因は考えれば候補がいくらでも出てきそうである。 「でも、もしかしたら……暑いからだけだと思う……」 「そうですか?」 「でも、仁藤くんがくれたお茶、飲んだからよく寝れそう……ありがとう……」 「いえ……」 「これで……明日からのお仕事も、頑張れる……」 「……頑張りましょう」 「……私ね」 それから長内さんは、お茶のペットボトルを両手で持ったまま、伊豆の街を儚げに眺めながら話を続けた。 「ブルちゃんに……黒百合で働きすぎって、言われたの……」 「……えっ」 「だから、少し休めって……」 「……ならあんな、激しい仕事したらダメじゃないですか」 「ダメじゃないわ……」 「どうして……」 「私……ブルちゃんに恩返しがしたいから……」 「……」 「だからこれまでに、私はブルちゃんのお店でお仕事をしてきたの……」 ……まさかブルヘッドさんに、そういう洗脳をされたりしていないだろうか。 ……勝手に恩を着せられて、借金という名の恩返しを斬江にさせられている俺のように。 元気の無い口調からでも伝わる必死さから、長内さんが無理をしているのはブルヘッドさんのせいであるように聞こえてしまう。 「お二人の間で昔に何があったのかは知りませんが……ブルヘッドさんの命令で、強制的に働かされているという訳では?」 「違うわ……ブルちゃんはいい人よ……」 「それにそういう人なら、働きすぎだって……心配してくれないと思う……」 「それもそうですね……」 「……」 「なら、どうして……」 「私……いつか独り立ちしないといけないから……」 「……独り立ちですか」 「うん……」 長内さんは歌舞伎町からいなくなろうとしているのだろうか。 まだ今すぐと決まった訳では無かろうに、寂しさを感じつつも彼女の話を聞き続ける。 「ブルちゃんのお店に、いつまでも居候させて貰うのは悪いから……ブルちゃんのお店で沢山お金を稼いで、沢山今の社会を勉強して……独り立ちをしないといけないの……」 「その為には、沢山お店で働かないといけないの……だからお仕事は、お店が空いている日は休みたくない……」 「そうして働いているのはいいですが……ブルヘッドさんの言う通り、体も適度に休まないといつか壊しますよ」 「それでブルちゃんには、今は夏だから海で遊んできなさい……って言われたの……」 「今正にいますよ」 「うん……」 温泉街を越えて目の前に広がるのは……真っ暗で何も見えないが確かに海がある。 しかし早朝に起きて二十時になった瞬間に、寝なければならないスケジュールに支配されて、未だに二回目は行けていないのが現状だ。 「海で遊ぶのは、確かに楽しそうだけど……お仕事もしたい……」 「それでブルちゃんに……この旅館でのお仕事にお誘いして貰ったの……」 「ああ、そういう事だったんですか」 「うん……」 そうして長内さんの話を聞いて、漸く話の全容が見えた気がした。 ……前置きが物凄く長かった気もするが。 きっと長内さんは先に結論を言うのではなく、説明という前置きを丁寧に話していく中で、最後に結論を言うという話し方が好きなのだろう。 それにより同時に長内さんという人も、少しだけ理解出来た気がする。 ブルヘッドさんも悪者では無かったので安心だ。 「とにかく……お仕事は頑張る……」 「お仕事を頑張った分、沢山遊べば……ブルちゃんも心配しないでしょ……?」 「そうですね……」 「だから仁藤くんも、心配しなくて大丈夫よ……ありがとう……」 「……いえ」 「そろそろお部屋に戻りましょう……」 「そうですね」 「本当は夜更かししてはいけないのに……お話に付き合ってくれてありがとう、仁藤くん……そしてごめんなさい……」 「……いえ、貴重なお話でした。 こちらこそありがとうございました」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ……そして翌昼。 「……ふぅ」 「さっきから欠伸多いわね仁藤くん」 「昨日よく眠れなかった感じなのぜ?」 「……いえ、大丈夫です」 やはり夜遅くに目が覚めてしまったのが原因か。 飯田さんと瀬名さんに気が付かれる程に、欠伸が止まらない。 長内さんと話が出来た、良い時間を過ごせたのはいいが……結果的に寝不足になってしまった原因である、夏の暑さを恨む。 「……」 長内さんも、先程からごしごしと目を擦っている。 だがこの仕事さえ終わらせてしまえば、新宿にいる時でも滅多に取れない二連休が俺達を待っている。 それを迎えれれば、嬉しさで眠気も吹っ飛んで行く事だろう。 「さーて、今日も床を綺麗にしてくれたね〜」 「ふぅ、ふぅ……」 それから俺達は今日も床掃除の仕上がりを、女将さんに拝見させていた。 「……そしたら今日のお掃除の仕事はこれで終わりだよ」 「えっ、お風呂掃除はしないのぜ?」 「あんた達には折角だから、お掃除以外にも色んなお仕事を体験させてやろうと思ってね」 「今日は食堂で料理をする仕事をして貰うよ」 「ん……」 料理という言葉を聞いて、息を上げていた長内さんは体をピクっとさせながら反応した。 「良かったじゃない千夜、料理の仕事をやらせて貰えて」 「これで漸く本気が出せるんじゃないかい?」 「うん……」 「あらどうしたんだいあんた達」 「このちーちーは普段からレストランみたいな場所で働いてるから、お料理作るのが得意なのぜ!」 「おうそれは頼もしいねぇ……そうか、もしかしてあんたが剛んとこのお店で働いてるっていう子かい?」 「はい……でも、凄く自信がある訳では無いわ……」 「でも良かったですね、長内さん……」 「うん……」 長内さんが料理をしたがっていたのは、昨日の昼飯時の食堂で皆が知っていた。 長内さんは恥ずかしそうに前で手を合わせていたが、皆は彼女のちょっとした夢が叶った事を祝福していた。 「それじゃあ早速調理場に行こうか」 そうして女将さんに連れられてやって来たのは、食堂付近にある厨房。 黒百合のような人が四人ぐらいしか入れなさそうな物とは違い、ここでは学校の一クラス分はありそうな広さで何十人ものシェフ達が忙しそうに料理をしていた。 「凄い活気ですね……」 「そうよねぇ、食堂も広くてお客さんも沢山いれば、そりゃ忙しいわ」 「ブルヘッドさん!?」 その中には、板前のような手つきで寿司を握っていたブルヘッドさんも紛れていた。 「どうママ? 私が連れてきた子達、皆いい子でしょお?」 「ああよく働いてくれてるよ、あとママって呼ぶんじゃないよ!!」 「ブルちゃん、ここで働いてたの……?」 「そうよちーちー、厨房はここの旅館で一番忙しい場所だからお手伝いさせて貰ってたの……ちーちーの方は大丈夫? 無理せずお仕事こなせてる?」 「大丈夫……」 「剛さん! こっちに応援来てくれるか!?」 「あっ、はぁい、今行くわぁ」 昨晩話した通り、長内さんの事を心配していたブルヘッドさん。 しかし彼女は、他の忙しそうにしていたシェフ達の元へと行ってしまった。 「ふぅ……あんな女々しい息子だが、料理の腕は確かなんだよ」 「あはは……」 「それじゃあ早速、あんた達の料理の腕も見せて貰おうかねぇ……おいあんた、そこの魚少しだけ貰うよ」 「あっ、女将さんお疲れっす! どうぞどうぞ」 すると女将さんは、複数の桶に入っている沢山の種類の魚から、それぞれ一尾ずつ俺達の所に持ってきた。 「これで今から、皆には海鮮丼を作ってもらうよ」 「海鮮丼、ですか……」 「捌く所からやってくのね」 「お魚を見た事自体、久しぶりかもしれないのぜ……」 「昨日頼んだ海鮮丼で見てるじゃない」 「料理されてないお魚を見たのが久しぶりだって言いたかったのぜ〜」 「あはは……千夜ちゃんは出来そうかい?」 「お魚は三回ぐらいしか捌いた事が無いけど……とにかくやってみるわ……」 「ここにいる男共は皆忙しそうにしているが、気にせずゆっくり作っていいからね。 勿論失敗だってしていい、とにかく皆で協力して作ってみな」 「「はい!」」 そうして始まった海鮮丼作り、まずは魚を三枚おろしに捌いていく事から始める。 「最初に包丁で鱗を取っていくよ」 しかし全員が捌き方を知っている事はおろか初見の人もいるので、女将さんの指示の元で三枚おろしは進行していく。 勿論俺もスーパーで売られているようなすり身の状態の魚を料理した事があっても、原型の生魚を捌いていく事など初めてだ。 「そしたらお腹を切って……中から内臓を出していくよ」 「うへー……食べれそうなのに勿体無いのぜ」 「あんた……グロテスクだとか言うかと思ったら食べるつもりだったの?」 「焼いたりしたら結構食べれそうなのぜ?」 「魚は鶏や牛とかと違ってほぼ全身が食べれる訳じゃないから、やめておいた方がいいと思うよ……」 内臓の取り出し、頭部の切除、血合いの掃除……皆手を赤くしながらも、何とか包丁を味方につけて女将さんの進行に合わせられている。 「次に三枚におろしていくよ、まずは背中とお腹で二回ずつ分けて包丁を入れて、半身を骨から引き剥がしやすくするんだ」 「うぅ、中で色んな物が突っかかって包丁が全然動かないのぜな……」 「材料を切ったり煮たり焼いたりしてただけで、料理が出来るってイキってた自分が恥ずかしいわ……」 「あはは……最初だし上手く出来ないのも仕方が無いさ」 皆で苦労を分かちあって苦笑いしている中…… 「……」 「おおあんた筋がいいねぇ」 ここで長内さんが真価を発揮するようになる。 真剣な眼差しで魚を見ている瞳。 スルスルと魚の身を傷つける事無く、中身で包丁を走らせていく捌き方。 掃除の時に疲れを見せていた時には考えられなかった長内さんのパフォーマンスに、皆魂消ながら見入ってしまっていた。 「流石剛に鍛えられてる事だけはあるね」 「ちーちーやっぱり上手なのぜ!」 「私には、包丁は材料を切る事以外の使い方は出来ないわ」 「僕は料理での包丁の使い方自体知らないよ」 「良かったら千夜ちゃんも、私と一緒にこの子達に捌き方を教えてやってくれないかい?」 「分かりました……」 そうして遂に長内さんも、教えられる側から教える側へと出世を果たした。 掃除の仕事の主役は、雑巾がけにて先頭を仕切っていた飯田さんと武蔵さん。 ……しかし料理の仕事の際の主役は、料理の腕が目立つ長内さんで、彼女が皆に捌き方を教えて仕事をしている様はとても生き生きとしていた。 「捌くのも上手ければ、魚を切るのも上手いねぇ」 「ありがとう、ございます……」 「ここばかりは、私も負けてらんないわね」 「……俺もです」 「ちーちーもなーなもやまちゃんも、皆切るのが上手いなんてずるいのぜ〜」 「ひとみちゃん……魚を切る時は自分の手元を見ていないと、危ないわ……」 「あはは、初心者同士仲間だねひとみちゃん……」 それから海鮮丼は完成し、お昼ご飯として皆でそれを食べようという事になった。 「やっぱり一から作ったご飯は、一味違うのぜ〜」 「今回で改めて、魚とか動物とかの命には感謝しようと思ったわ」 「そうだろう、魚を捌くなんて事も滅多に出来ないだろうし、いい経験になっただろう?」 「美味しい……」 皆で作った海鮮丼……皆で料理した物を食べてるだなんて、小学生の時の家庭科の調理実習以来だ。 「さて、ここからはどんな仕事に就いても自由なんだが……にしても千夜ちゃんは料理が上手かったねぇ、このまま調理場での仕事も任せていいかもしれないねぇ」 「本当、ですか……?」 「良かったじゃないか千夜ちゃん」 「でも、料理なら……凪奈子ちゃんや仁藤くんだって上手かったわ……」 「私はお掃除の仕事の方がしたいわ、あれ結構運動になるから続けたいのよね」 「そう……」 寂しそうな目で飯田さんを見つめる長内さん。 料理の仕事をするのはいいが、一人でやるのはちょっと……という事なのだろうか。 「じゃあ、俺もお料理のお仕事をしてみても宜しいですか?」 「仁藤くん……?」 「お料理をするのは好きなので……今回で色々と上達出来るような気がするのです」 「おうその意気だよ大和くん、ひとみちゃんと武蔵くんはどうするんだい?」 「あたいは、お掃除で大丈夫なのぜな〜」 「僕もお掃除の方でお願いします」 こうして俺達は、それぞれで業務内容がバラバラになり始めていた。 この広い旅館で仕事中に会えなくなるというのは寂しいが、最終的に寝泊まりしている部屋で会えるのなら問題無いだろう。 「まぁ次の仕事は月曜日だからね、その時までゆっくり何をやりたいか決めればいいさ、でも業務内容だけは忘れないようにね」 「えっ、という事は……」 「ああ、今日の仕事はここまでだ。皆土日休みで伊豆を楽しんでおいで」 「やったのぜーっ!!」 「あら、まだ夕方にもなってないのにもう遊んでいいのね」 「あははっ、実質三連休だよね」 この旅館での一日の仕事内容を理解し、本格的に仕事が始められると思った矢先にかかった、女将さんによる仕事終了の号令…… 鉄は熱いうちに打てとは言うが、これからの仕事は忙しくなるから、冷められる内に沢山冷ましておけという事なのか。 「……」 それは漸く天職を見つけた様子の長内さんが、最も済ましておかなければいけない使命であろう。 休めと言われているのに、無理して働かせて貰っているのが今の彼女の状況だ。 沢山働いた分、沢山遊ぶ……。 果たして彼女は、この土日休みで平日分で働けるだけの体力を、貯蔵する事が出来るのだろうか……。
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