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その後、一時過ぎ……
「暑い……」
「少し動いただけでも汗かいちゃうわね……こりゃ帰ったらもう一度お風呂ね」
「この時間だと流石に人も少ないね」
夜が更けても尚、下がる事の無い気温からなる生温い風に当たりながら……俺達は現在外にいた。
「えへへ……こんな時間からお出掛けなんて、ドキドキするのぜな」
「それで? 肝試しってどこ行くのよこれから」
「ここら辺りに心霊スポット的な場所があるのですか?」
「そんな場所は知らん、ただ暗い場所に行ってそこを歩く、それだけだ」
「ええ……」
「何よそれ、汗かくの確定じゃない」
「でも、お散歩だけでも……楽しい……」
「うんうん! 旅館でごろごろするより楽しいのぜ!」
そうして長内さんと同意しながら手を繋ぐ瀬名さん達を先頭に、俺達はその場から歩き出した。
「皆元気ねぇ〜、絶対普段から休みの日も、夜は寝るのが勿体無いからって遊ぶタイプでしょ」
「あはは……眠たい時は寝るけど、折角伊豆にいるんだし、確かに今寝るのは勿体無く感じちゃうかもね」
「何だ凪奈子、眠いのか」
「眠くないわよ、私もその夜型だし」
「ちーちーも眠そうなのぜ?」
「眠くないわ……むしろ元気……」
「とりあえず暗い場所と言ったら……山の中か」
そうして温泉街を登っていき……やがて俺達は電灯が一本も立っていない林道へとやって来た。
「……この辺りが良さそうだな」
「いや何も見えないわ」
「でも……結構雰囲気ある……」
目の前にある物は全て、月明かりを頼りにして判別するしか無い。
ガードレールの向こう側にある、密集している木々のシルエットは、まるで大きな怪物の影のようだ。
「うう……怖いのぜ〜」
「海の時もそうだけど、新宿の外でこんなにくらい場所中々無いからね」
「おばけとか……出そう……」
「幽霊なんぞいる訳が無いだろう、ここにいるのは私達か動物ぐらいだろうさ」
「ホラゲーとかで真っ先に死ぬキャラが言う台詞よ、それ」
「幽霊よりも蚊が凄いです……」
……暫く歩くとコンクリートの道から外れた、木製の階段が伸びている山道を見つけた。
「……展望台に続いているみたいですね」
「よし、ここからはバラバラで行くとしよう」
「えぇ!? 死んじゃうのぜよ〜」
「暑くて死にそうだわ」
「心配するなひとみ、ペアになって行くのだ」
「ああ、それなら平気なのぜ……」
「どうやって、別れるの……?」
「ここは簡単に……グーとパーでわっかれま……」
そうして協議した結果……
「ふっ、途中で泣き出したりして、私を置いて行かぬようにな」
「それよりもあんたこそ、道外して崖とかに落ちないようにね」
一組目は真緒さんと飯田さん……
「うう……むーちゃんだけが頼りなのぜ〜」
「大丈夫さひとみちゃん、おばけとか出ても僕がやっつけてあげるよ」
二組目は瀬名さんと武蔵さん……
「仁藤くん……よろしく……」
「はい、よろしくお願いします」
そして三組目は長内さんと俺……の順番で、頂上を目指すという事になった。
「では早速私達から行くとするか」
「二人とも、気をつけて……」
「大丈夫よ、ほら真緒、手繋いで行くわよ」
「ほう、随分と積極的だな」
「あんな暗い道歩くのにこうしとかないとはぐれちゃうでしょ」
「行ってらっしゃいなのぜ〜」
まずは飯田さんが真緒さんの手を引いて山道へと入っていく……
「うぅ……むーちゃんあたいらも手を繋いでいいのぜ?」
「いいよ~、僕がひとみちゃんの相手に選ばれたからには、何があっても守るから安心して?」
「おお〜頼もしいのぜ〜、じゃああたいらお先に失礼するのぜ!」
「また後でね二人とも」
「うん……ばいばい……」
それから瀬名さんも武蔵さんと腕を組んで、山道の闇へと消えて行った……。
「……」
「……」
「……俺達も行きますか?」
「うん……」
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……コンクリートが敷かれた整備された道路とは違い、灯りが無い分肌で感じる蒸し暑さの温度が更に上がっているような気がする。
「ふぅ……ふぅ……」
「神社の時よりは坂の角度が緩やかですが……その分道が長いですね」
「ふぅ……ふぅ……」
「長内さん……大丈夫ですか……?」
「うん……平気よ……でも、凪奈子ちゃんの言う通り……旅館に戻ったらまたお風呂に入らなきゃ……」
「歩いている以上、汗をかいてしまうのは仕方が無いですよ」
俺達はそのような道や周りの環境に臆する事無く、ゆっくりでも一歩ずつ確実に頂上へと目指していた。
「真緒ちゃん達……もう頂上に着いちゃったかしら……」
「皆さん運動神経が良さそうですもんね」
「遅くてごめんなさい……仁藤くん……」
「大丈夫です、急いで怪我でもしたら元も子もありませんし……ゆっくり行きましょう」
「ありがとう……」
「足の方は大丈夫ですか?」
「大丈夫……今回はスニーカーだから、さっきより歩きやすい……」
「なるほど」
「でも……少し休憩したいかも……」
「あそこにベンチがあるので座りましょう」
「そうする……」
そうして俺達は階段の踊り場のベンチにて腰を降ろした。
「……何も聞こえないですね」
「遠くから……フクロウの鳴き声が聞こえるわ……」
「本当ですか?」
「私……耳だけはいいから……」
風で木が揺らいでいても、周りからは人や動物の気配が一切しない……街の公園で過ごした先程の長内さんとの時間とは違い、今は正真正銘に彼女と二人きりだ。
真緒さん飯田さんペアや、瀬名さん武蔵さんペアも……今は二人きりでしか過ごす事の出来ない時間を楽しんでいるのだろうか。
「……もしかして真緒さん達の声も聞こえますか?」
「それは聞こえないわ……」
「流石にですよね」
「でも……真緒ちゃんや相楽くん以外の、話し声が聞こえるかも……」
「えっ……?」
「冗談よ……」
「この状況で驚かしに来るなんて……長内さん結構肝が座ってますね……」
「ありがとう……?」
首を傾げて、どうして礼を言ったのか自分でもよく理解していなさそうだった長内さん。
彼女は暗い髪色に暗い色の服装をしているので、上手に闇に溶け込んでいる。
……しかし目だけは夜空の月明かりに反射して微かに光っており、その様もまた猫のようであった。
「そういえば長内さん……こういう暗い場所は苦手みたいな事言ってませんでしたっけ」
「一人では怖いけど……今は仁藤くんがいてくれるから、平気よ……」
「そうですか……良かったです」
「それよりも……むしろ楽しんでる……」
「そうなんですか?」
「うん……風で木が揺れる音……好き……」
そう言って長内さんは目を閉じると、その山の音を更に耳で感じようとしているスタイルに入った。
人によっては恐怖に感じるものが、長内さんの場合は癒しとして感じているようだ。
「なるほど……これも一種の森林浴ですもんね」
「うん……何も見えないけど……」
「しかし、少しだけ見える星空が綺麗ですよ」
「本当……頂上から見る景色は、更に凄そう……」
「それを見る為にも、無理をしない程度に頂上に行きましょう」
「うん……頑張る……」
そうして起立した長内さんに合わせて俺も立ち、再び頂上を目指し始める。
そして意識もしない内に、俺達はいつの間にか手を繋いでいた。
長内さんから仕掛けて来たのだろうか……一般的なカップルの彼氏が、彼女の手を取るぐらいに自然であった。
「森林浴もそうだけど……これってデートみたい……」
「そうですね」
「真緒ちゃん達も……デートを楽しんでいるかしら……」
「武蔵さんと瀬名さんはまだしも、真緒さんと飯田さんの女の人同士の場合は、デートとして成立しないのでは無いですか?」
「女の子の場合、相手が好きな人だったら、男の子でも女の子でも関係無いわ……」
「なるほど……あのお二人、言い争っているようで意外と仲が良いですもんね」
「うん……真緒ちゃんと凪奈子ちゃん……結構お似合いだと思う……」
「……しかしどうせなら、もう少し明るい時にやりたかったですね」
「でもそれだと……肝試しにならないわ……」
「一応肝試しとも意識はしているんですね」
「うん……スリルがあるのも、実は結構好きなのかも……」
「楽しんでますね長内さん」
「そう感じる事が出来るのも、仁藤くんが一緒にいてくれているからよ……」
「俺も一人だけだと無理でした、ありがとうございます」
長内さんはスリルを楽しんでいるようだが、俺の方は最早恐怖が無かった。
俺も長内さんといる事で、我々を脅かすように揺れる木も自然現象でしか感じられない。
……本来なら早く皆のいる展望台に行きたいと思いきや、頂上に着く前に、もっと長内さんと今の時間を過ごしたいと思う程だ。
「仁藤くん……」
「何ですか……?」
「良かったら……新宿に戻っても……私と、デートして欲しいわ……」
「良いですよ……お互いの時間さえあればになってしまいますが……」
「それは大丈夫……仁藤くんが暇な時でいいの……」
「東京の方でどこか行きたい場所でもあるんですか?」
「遊園地とか……行ってみたい……」
「なるほど……そういえば皆さんでどこかお出掛けする時も、遊園地だけは一度も行った事が無かったですしね」
「ジェットコースターとか……乗ってみたいかも……」
「長内さん……結構アクティブですね」
「そう……?」
長内さんと遊園地デート……遊園地にどんなアトラクションがあるのかあまり分からない上に、どのようなデートが展開されていくのかも想像がつかない。
だが唯一分かるのがジェットコースターと、もう一つが観覧車……そこに乗っている間、長内さんに告白でもされるので無いかという妄想が浮かんでくる。
「でも……正直どこにでも行きたいわ……東京には、色んな所があるから……」
「……」
「デートっていうのは……どこに行くかでは無くて、誰と行くかだと思うから……私は仁藤くんと一緒なら……どこに行っても楽しい……」
「長内さん……」
「でも……勿論、暇な時でいいから……私と二人きりで出掛けるよりも、皆でお出掛けする事の方が多いと思うし……」
「ありがとうございます」
「でももし……仁藤くんが向こうでも、私の事を好きでいてくれるなら……いつかはデートに誘って欲しいわ……」
「……分かりました、あまりお待たせしないようにします」
「待つだなんて考えていないわ……無理しないで……」
「……ありがとうございます」
物凄く俺の事を気遣ってくれている長内さん。
……しかし長内さんは、何だか我慢をしているような、言いたげな表情をしていた。
「……」
「……長内さん?」
「いや……何でも無いわ……」
「……そうですか」
「……」
「……」
「あのね……怒らないで、聞いて欲しいのだけれど……」
「……はい、大丈夫ですよ」
「もしも……東京に戻って、また元の忙しい生活に戻るくらいだったら……」
「今の内に……恋人らしい事を、したいと思ってしまったわ……」
「!……それってつまり」
「キス……とか……」
「……!」
……一瞬でも最終段階である、長内さんを抱く事になるのかと思った自分を殴りたい。
しかしキスでも、それは立派な愛情表現行為だ。
しかも長内さんは、外国でのハグなどの挨拶としての物では無く、しっかりと恋人らしいという補足をつけた上で提案をしてきた。
「長内さん……キスがしたいのですか……?」
「うん……でも、今はほっぺだけでいいの……」
「え……?」
「口は……本当にお付き合いしてから、した方がいいと思うし……」
「でも仁藤くんとの……今日の事は、いつまでも忘れないでいたいから……」
「夏の思い出として……仁藤くん、私の身体に遺して欲しいの……」
「いや長内さん言い方が……」
「ごめんなさい……でも、上手な言い方が……分からないの……」
俺からの指摘に、長内さんはダメなの?と切ない目で訴えかけてくるようにこちらを見つめながら、首を傾げている。
「?……」
「……長内さんの言いたい事は分かります」
「……」
「要するに……単純に頬にキスをしてみたい、ということですか……?」
「うん……」
「因みにする側ですか? される側ですか……?」
「仁藤くんに……されてみたい……」
「……」
もじもじとしながら頬を染めてそっぽを向き、小声で返答していても……言っている事は欲望に忠実な長内さんの気持ちが、じわじわとこちらにも伝わってくる……
「仁藤くん……また顔が赤いわ……」
「……気の所為ですよ」
……口では無く頬にするのであれば、一線は越えていないという事でセーフになるのだろうか。
「……分かりました。 します」
「ん……本当に……? 無理、してない……?」
「していません、それだけは絶対に……俺達が恋人関係になる為の最初の一歩……みたいな感じに思えばいいのだと思います」
「そうね……キスはして貰うけど……それで私達は恋人同士とは、思うつもりは無いから……安心して欲しい……」
「分かりました……じゃあ……」
「うん……」
そう言うと長内さんは俺の横で立ち止まり、頬を俺の方に向けて目をつぶった。
そこからぴたりとも動かなくなる長内さん……
これで心の準備を決めていないのは俺だけとなった、早くキスを実行しなければ永遠に彼女を待たせてしまう事となる。
「……」
「仁藤くんのタイミングで……来ていいよ……」
「……はい」
……そうして長内さんの頬に、徐々に口を近付かせていく。
周りが暗くても、微かな月明かりだけで映える長内さんの白い肌。
緊張のあまり一瞬で終わらせる事だけはしてはらない……
「……」
「ん……」
そして俺も目をつぶり、やがて唇が長内さんの頬に触れた事でキスをしたのだと認識をする。
その直後に声が漏れる長内さん……彼女のいい匂いを味わいながらも、唇を一秒程着弾させた後に、長内さんから顔を離した……。
「……終わりました」
「ありがとう……仁藤くん……」
「いえ……長内さんこそ、お顔が真っ赤です」
「キスをされたら……誰でもそうなると思う……」
「しかし……出来れば雰囲気的な理由で、頂上でした方が良かったかもしれませんね……」
「そうかもしれないけど……贅沢は言えないわ……それに上には真緒ちゃん達もいるし……」
「……はい」
「とにかくありがとう……そろそろ、行きましょ……真緒ちゃん達が……待ってる……」
「……そうですね」
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「……おっ、やまちゃんとちーちー来たのぜ〜!」
「随分と遅かったじゃないあんた達」
「すみません、お待たせしました」
「……」
……その後、頂上と書かれた看板に辿り着いた俺達。
他の四人はその付近にあったベンチに座り、俺達の事を待機していたようだった。
「皆さん……展望台の方には行かれなかったのですか?」
「初めて見る感動は取っておこうって事でね、皆で揃ってから行こうって事にしたんだ」
「ああ……では本当にお待たせしてしまった感じですね」
「問題無いさ、では蚊に刺される前にとっとと景色を拝みに行くとしよう」
「いよいよなのぜな!」
「……」
そうして展望台へと移動する俺達。
「仁藤くん達、途中でお化けとか出た?」
「いや、幸いにも出ませんでした」
「私達も見なかったが、その代わりにフクロウを見たぞ」
「僕達はシカだったよね〜」
「野生のシカなんか初めて見たのぜ!」
「皆さんも純粋に自然を楽しまれていたのですね」
「お前達もそのような感じだったのか?」
「はい、ほぼ森林浴でした」
「これはやっぱり本物の心霊スポットとかに行かなきゃ怖がれない奴だったねぇ」
「えーやなのぜー」
「後楽園とかのお化け屋敷で良いじゃない」
「……」
幽霊、動物……それらを見た事以外で長内さんと何があったか、言える筈も無かった。
……先程から長内さんは俺と目を合わせようともせず、沈黙したままだ。
俺のキスの仕方が下手だったのか、一方的に自分から誘ったのが恥ずかしかったから……そもそも先程の出来事と関係しているのか、長内さんの本当の気持ちは分からない。
「……」
「ちーちーどうしたのぜ?」
「疲れちゃった?」
「途中で仁藤に襲われでもしたか」
「っ!? 違いますよ……」
「違うわ……少しだけ、喉が渇いただけ……」
「あはは、ここで飲む分と帰ってきた時の分で二本必要そうだよね」
真緒さんの直球かつピンポイントな考察に心臓を冷やされつつも、展望台の階段を上がっていく……
そうして俺達は、そこから六人で見る初めての伊豆の夜景を眺める事になるのだった。
「おお〜!!」
「うん……やっぱり海があるだけで、新宿とは全然違うわよね」
「海自体は何も見えないがな」
「僕達の旅館も見えるね」
「汗をかいてでも、ここまで登ってきた甲斐がありますね……長内さん?」
「うん……」
そう話しかけると、長内さんは普通に目を合わせてきながら返事をしてくれた。
……どうやら怒っている訳では無さそうだ。
という事は先程沈黙していた時間は、ただ恥ずかしがっていただけという事か。
「あーあ、こういう場所は彼氏とかと二人きりで来る所よね」
「何? そうか……凪奈子は仕方が無いな、私で良ければ相手になってやるぞ」
「何勘違いしてんのあんた」
「……おっ、あれってあたいらが降りた駅じゃないのぜ!?」
「おお〜、ひとみちゃんは目が良いね〜」
「えへへ……線路から辿っていっただけなのぜ」
それから今度はここまで登ってきたペアに別れて、それぞれで景色を眺め始めた。
「……」
「……」
「仁藤くん……今日までありがとう……」
「はい?」
「私に、色々な思い出をくれて……おかげで働きながらでも、ちゃんとした夏休みを送っているような気分になれたわ……」
「いえ……しかしどうしたんですか? 急にお礼だなんて」
「こういうのは……早めに言っておいた方が良いと思って……」
「なるほど……こちらこそ、色々と貴重な経験をさせて頂き、ありがとうございました」
「うん……私にとっても、貴重だった……」
恋愛も、お礼を言う事も……仕事が始まれば出来るタイミングが限られて来る事だろう。
恋愛に関しては、俺は斬江の借金の返済、長内さんは独り立ちの為の修行中という名の繁忙期だ。
しかしお礼だけは、あの時はありがとうと後で言うタイミングを狙うよりは、予め直ぐに言ってしまう事で……長内さんはそのリストにチェックを入れたのだろう。
ずるい事に長内さんにお礼を言われるまでは、俺は夏を楽しむ事が出来た礼を、長内さんに言おうと考える事が出来なかった。
「……ですが長内さんが楽しむ事が出来たのは、俺だけでは無く、ここにいる皆さんのおかげでもあります」
「そうね……ワイワイするのは、好き……」
「誰のおかげなのぜ?」
「二人とも何の話をしていたんだい?」
「あっ……えっと、今回の思い出について話していました」
「そうだな、この二週間……実にあっという間であった」
「感動する事が増えると、人は一日を長く感じるって言うけど……全然そんな事無かったわね」
改めて景色を眺める一同……その眼差しからは、いつまでも夏休み気分に浸っている訳には行かず、新宿に戻ったら本来の仕事に戻らなければいけないという覚悟を感じた。
「うう……出来ればずっとここにいたいのぜ〜」
「それだと私達には会えなくなるな」
「えっ!? 嫌なのぜ! やっぱ帰るのぜ!」
「旅館での仕事も良かったけれど……やっぱり、今は黒百合でのお仕事の方がいい……」
「家に帰れば妹達の世話もしなきゃいけないし、ずっとここにいるって訳にもいかないのよね」
「ふふっ、皆既に帰る気満々だね」
「しかし、まだここには四日もいられるのだぞ?」
「今を楽しめという奴です、瀬名さん」
「うん……明日も夏祭り絶対行くのぜな!」
それから俺達は残りの四日間、働きつつも温泉街のあらゆる場所に行き、色々な夏の楽しみ方を最後まで味わったのであった。
海水浴、食べ歩き、ただの散策……貴重な時間を有意義に使う事で、歌舞伎町で行う仕事の糧としていく。
そうして俺達の気持ちは、やがて帰りたくないから、もう帰っても良いへと変わっていくのであった……。
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そして、運命の日……
「……悪いわねえママ、駅まで送って貰っちゃってえ」
「良いさ、折角皆頑張って働いてくれたんだからねぇ、見送りぐらいさせてくんな」
「歳だから無理しないで欲しいわぁ……皆お土産は買えたかしら?」
「大丈夫なのぜ!」
「これで正々堂々帰っても、あいつらに文句を言われる必要が無くなるわ」
帰る日の朝……俺達は土産が入った袋を提げながら、駅にて女将さんに別れを告げようとしていた。
「今日まで、お世話になりました……」
「おう、向こうでも料理の仕事頑張るんだよ千夜ちゃん、皆も今回の仕事を向こうで活かせるよう頑張んな」
「ありがとうございます」
「おっとそろそろ電車が来ちゃうわ、ばいばいママ」
「うん、気を付けて帰るんだよ〜」
「ばいばいなのぜ〜」
電車に乗り、まずは熱海駅を目指し……行きの時から逆の路線を辿り、新宿駅と戻っていく……。
どんな時も、期待を胸に抱いてる時の行きよりも、帰っている時間の方が長く感じる物だ。
「うう……ばいばい伊豆の街なのぜ〜」
「来年もまた来れるといいわね」
「一年など案外あっという間だからな」
「その前に冬の温泉旅行かな?」
「ふふっ、皆想像以上に伊豆での夏を満喫出来たみたいねえ……ちーちーは楽しかった?」
「うん……また行きたいと思った……」
「そう〜? 良かったわあ」
「……」
「……ありがとね、やまちゃん」
「あぁ、いえ……」
「?……何の事……?」
「あっ、何でもないのよちーちー、こっちの話!」
そうしてブルヘッドさんにお礼を言われながらも、今度は新幹線に乗り、先程よりも早く新宿までの距離を詰めていく……
そして東京駅に到着して、最後にJR線に乗り換えて……
「着いたのぜ〜!」
「ふぅ、やっと着いたわね」
「相変わらずの人の多さだな」
「でも謎の安心感があるよね」
「皆はこれからどうするのお?」
「私は一旦家に帰ります、妹達の様子も見たいし……何より早く冷蔵庫に入れないと、お土産が腐っちゃうので」
「私も家に帰るぞ、家の布団が恋しいのだ」
「そうね〜、じゃあ皆一旦家に帰りましょ、ゆっくり休んでね〜」
「お疲れ様〜」
そうして俺達は新宿に到着後、それぞれで単独の休みを取ろうという事で解散になった。
新宿に戻ってからも遊ぼう、という体力も既に皆の中には残っていなかったのだろう。
武蔵さんも既に俺達の前から消えていた……伊豆にいた俺の行動の記録について、斬江に報告しに行ったみたいだ。
「……あたいはちょっと行くとこがあるのぜ!」
「そう? 帰ってきたばかりなのに大変ねぇ、気を付けるのよぉ」
「ばいばい、ひとみちゃん……」
「うん! 皆お疲れ様なのぜ!」
「そしたら……やまちゃんはこれからどうする?」
「俺は……一旦シャーリーテンプル飲みに行ってもいいですか?」
「あらいいわよぉ、そしたら帰ってさっさと店支度しないとねえ」
「すみません」
「ブルちゃん……私も手伝う……」
「いいのいいの! 私だけ先に行ってるから、ちーちーはやまちゃんと一緒にゆっくり帰ってきて?」
「分かったわ……」
そうしてブルヘッドさんは俺達を残し、先に黒百合へと先行して行ったのだった。
「……俺達も行きましょう」
「うん……」
俺達も、何だか初めて来る感覚で何度も通ってきた道から黒百合へと向かっていく……。
「仁藤くん……」
「何でしょう」
「さっき電車で……ブルちゃんと何を話していたの……?」
「ああ……実は、ブルヘッドさんから頼まれていたのです」
「何を……?」
「長内さんを……この伊豆旅行で楽しむ事が出来るように、協力して欲しいと」
「そうだったの……」
「……あっ、別に、ブルヘッドさんから頼まれていなくても、元からそうするつもりでしたので」
「何の事……?」
「いえ……何でもありません」
「でも……楽しかった……本当にありがとう……」
「いえ……こちらこそ……」
「お礼……今でも言えたわ……」
「ふふ……そうですね……」
伊豆で過ごす時以来、暫くは長内さんと二人きりになれる機会は少ないと思っていたが……案外それはすぐにやって来た。
そうして懐かしくも禍々しい、黒百合の外装に出迎えながらも、久しぶりに味わう事になるシャーリーテンプルと長内さんの組み合わせを堪能するのであった……。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
……それからその夜、俺は斬江に東宝ビルへと呼び出された。
「おっかえり〜大和〜、貴方がいない間寂しかったわぁ」
「はい……ただ今戻りました、これお土産です」
「あらありがと」
斬江の部屋に入って早々にハグをされた……何だか仕事帰りに玄関で待っていたペットに出迎えられたような気分である。
「それでどうだった〜? 伊豆の海は?」
「綺麗でした……東京の海よりもずっと」
「そうなの〜、私も行きたかったわぁ」
斬江なら、来ちゃったと言った軽い感じでうしざわに現れそうなものだが、そんな事は無かった。
彼女は彼女で伊豆に来るまでも無く、夏休みを堪能していたという訳か。
「……斬江さんの方は、何をされていたのですか?」
「私の方はねぇ……ちょっと田舎の方に一人旅に行ってきたわぁ」
「そうだったのですか……いつの間に……」
「うん……暑い日に行く温泉も、結構悪く無かったわあ」
「なるほど……」
「でもね……一人で行くと、やっぱり寂しくて……」
窓で外の夜景を見ながら、自身の思い出話を語っていた斬江……すると彼女はこちらに近づいてきて、俺の肩に腕を絡ませてきた。
「……今日大和をここに呼んだ理由、分かるわよね?」
「……はい」
「今日は久しぶりだから……二週間出来なかった分、今夜は寝かせないわよ」
「……了解です」
第三章『緑の夏』
完
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