第五章『桜の吐息』

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また翌日……日が経つに連れて寒い日が続き、街ではコートを羽織り始めている人が増えている事から冬の訪れを感じさせる。 朝は寒く、昼には気温が高くなって暑くなり、夜はまた寒くなったりと、自分の顔に満足の言っていない、整形を繰り返している人並みに優柔不断な気候だ。 ……しかし寒かろうが身体を動かしていれば自然と温まる。 「……」 現在俺は、隣駅にある仕事現場が近い場合は歩いていくという、瀬名さんとの会話を思い出しながら徒歩でその場所へと向かっていた。 事務所にて兄貴達に朝飯を作る時間と、仕事が始まる間だけ与えられる、出勤時の移動中という名の自由時間……今の環境だけはただ歩いていればいいので、色々な事が考えられる。 これから始まる仕事に対して、今日も上手くこなせるのかという不安…… 今日の昼飯は、何処で何を食べようかという予定決め…… 仕事が終わったら、また黒百合で真緒さん達と会えるのだという期待…… ……そして結局、瀬名さんに対してどのような誕生日プレゼントを贈ろうかという選択だ。 もしかしたら喜んでくれないかもしれない不安、その逆である期待……最初に感じていた気持ちが、その選択に関連して全てが詰まっていた。 ……瀬名さんも今頃はこうして、俺と同じように歩いて仕事場に向かおうとしているのだろうか。 「……ふぅ」 そのような事を考えている内に、気付けば仕事場に到着してしまった。 もう余計な事を考えている余裕は無い……心を無にして、仕事のモードに切り替えていかなければ。 今日の日雇いの仕事は、某通販サイトの仕分けの作業である。 集合場所の倉庫前では、既に他の派遣会社から来たような者や……俺と同じく所属などは無く、ただのアルバイトとして来たような者達が集まっており、皆それぞれで時間潰しにスマートフォンを弄っていた。 違う仕事をする度に毎回人が変わり、今日も皆初対面の者達ばかりだ……皆と目を合わせないようにしながら、この場所が本当に集合地点なのかを確認する。 ……どうやらここで合っているみたいだ。 「……?」 ……ふと、後ろの方から誰かが走ってくる音が聞こえてきた。 遅刻でもしそうになって焦って来ていたのか……その音がする方向に、周囲の人達もスマホは弄っていたがチラッと見ていた。 俺もそれに無意識に便乗して、振り向いてその者の姿を確認しようとした…… 「ふぅ、ふぅ……何とか間に合ったのぜ〜……」 「!……瀬名さん!?」 「えっ!? やまちゃんなのぜ!?」 ……一度停止した筈のミサイルが再発射され、真っ直ぐこちらに向かってきている。 「やまちゃーん!」 「うっ」 そしてそのミサイルはそのまま俺に着弾(ハグ)をして、今の気持ちを行動で表現して見せた。 「やまちゃ〜ん! やっと会えたのぜなーっ!」 「瀬名さん……とりあえず離れてください、今の俺達かなり目立っていますから……」 「あっ、ごめんなのぜ……」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「……いや〜、まさかやまちゃんと会えるとは思って無かったのぜ!」 「今まで結構会えそうな状況であったのに……逆に会えていませんでしたからね」 ……それから俺達は倉庫の自販機近くへと移動して、俺は缶コーヒーで瀬名さんはココアを買って飲んで、それぞれで仕事を始める為の心の準備をしていた。 「今日は荷物を仕分けるお仕事なんだね……重い荷物とか運べなくて、やまちゃんにカッコ悪い姿見せたら恥ずかしいのぜ!」 「そういう時は、二人で協力して運べば良いと思います」 「えへへ……お願いします……」 しかし、瀬名さんの恐れている事を思っているのはこちらも同じ。 仕事中に上司などに叱られた直後なんかは、恥ずかしくて瀬名さんの方を向く事が出来ないであろう。 友人と一緒に出来れば、仕事も楽しく行えるだろうと思う反面……その醜態を晒さないようにするべく、絶対に仕事に失敗をしてはいけないという緊張感も伴う。 「……おっ、そろそろ始まるみたいなのぜ! やまちゃん行くのぜ!」 「……あっ、はい」 飲み終わったペットボトルをゴミ箱に投げ入れて、てってと駆け出す瀬名さんに着いて行く。 集合場所では既に社員の人が顔を出しており……俺達にこの倉庫を出入りする為の、首から提げるタイプのキーカードを配布すると共に、今回の仕事についての説明を行っていた。 その内容とは、既に商品が梱包されている荷物を、配送先の住所ごとに仕分けるという仕事であった。 説明を聞くだけなら簡単であるが……いざ倉庫に入ってみると、コンビニの裏に置いてある物とは比べ物にならない数のダンボールがそこにはあった。 「うへぇ……これ全部あたいらだけでやるのぜか……?」 「八時間があっという間に過ぎていきそうですね……しかしこれだけ人数がいれば出来ると思います。頑張りましょう」 「そっ、そうなのぜな!」 従業員の数は、俺達合わせて全員で四十五人……それを九チームで五人ずつに分けて、俺達は関東地方の荷物だけを仕分けるという事となった。 その荷物の量に魂消ている暇などなく、一刻も早く荷物を運び終える為に早速作業に取り掛かる。 「っ……」 瀬名さん以外の他の三人に楽をさせる為にも、まずは大きくて重い荷物から運んでいけばいいに決まっている。 倉庫内を歩き回り、伝票に関東地方の県が記載されている物かつ、その条件に当てはまる荷物から先に片付けていく。 他の三人は全て男の人……皆も俺と同じ考えを持ってくれているのか、皆それぞれが手に持っている物も俺と同じ物だ。 「んーっ、んーっ……!」 その状況を理解した様子の瀬名さんも、まずは重い荷物から持ち始めようとする。 しかし俺が持っている物でも、大体二リットルのペットボトルの六本分の重さだ……瀬名さんは華奢な体つきであり、腕をプルプルと震えさせながらもそれを必死に持ち上げようとしていた。 「瀬名さん……大きな物よりも、まずは無理せずに軽い物からお運びになって大丈夫だと思いますよ」 「大丈夫なのぜ……! これぐらい、あたいにも持てるのぜなぁ……!」 すかさず瀬名さんのダンボールに手を添えて、持ち上げる力を加えてやろうとした。 ……しかし瀬名さんは、俺の力を借りる事無く、一人で持ち上げようとしていた。 そして…… 「ふぅん……っ!!」 「おお……」 ……かなりゆっくりだが、瀬名さんの荷物が地面から浮上し始めた。 そしてお腹に寄りかからせるようにして持つと、彼女はそのまま歩き出した。 「瀬名さん凄いですね……」 「えへへっ、伊達に今まで荷物運びのお仕事はしてきてないのぜ〜」 このグループの中で紅一点である瀬名さん……女性であるから力が無いという概念に捕われず、特別扱いをして欲しく無かったのだろう。 「無理をして、腰を痛めてしまうのだけは避けましょう」 「心配してくれてありがとうなのぜ! でも大丈夫なのぜな!」 重い荷物は、二人で協力をして持つという約束をした筈なのだが……それから瀬名さんは、最初の一運びで重さを身体に馴染ませてしまったかのように、せかせかと重い荷物を運んでいく。 こちらの心配のしすぎであったか、むしろ瀬名さんは俺からの気遣いをウザったく感じてしまっているかもしれない。 とにかく女というデメリットを背負っても、めげずに懸命に働いている瀬名さんを、男の俺達が放っておく筈がない。 最初は瀬名さんの事を心配そうに見ていた同じチームの人達も……彼女に負けじと、荷物を運んでいくペースを上げ始めた。 「……ふぅ、結構運んだ気がしたのに、全然荷物が減ってないのぜ?」 「これだけ荷物があれば、そのように見えてしまいますが……ゆっくりでも一つずつ運んで、塵も積もれば山となるって奴です」 「えへへっ……そうなのぜな」 「……ですがもうすぐお昼休憩なので、その後の体力を温存する為にも、とりあえず俺達が今持っている荷物で一旦終わりにしておきましょう」 「……あっ、もうそんな時間なのぜ?」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ……その後、昼休み。 「いただきますなのぜ〜」 「……頂きます」 俺達はアルバイトの者でも利用が出来る社員食堂にて……俺は唐揚げ定食、そして瀬名さんはサンドイッチを大きな口を開けて頬張っていた。 「……」 「……?」 俺も挨拶の後、唐揚げを箸で掴んで食べる為に口を開けようとすると……瀬名さんは物欲しそうな目で、俺の事を見つめていた。 「えっと……これ一つ食べますか?」 「えっ、いいのぜ!? じゃああたいのサンドイッチ一つと交換なのぜ!」 「……唐揚げの大きさ的に、サンドイッチを一つ分も頂いてしまって大丈夫なのですか?」 「えっ? あははっ、やまちゃん気にしすぎなのぜ〜、一個は一個なんだし大丈夫なのぜ!」 「……ありがとうございます」 そうして瀬名さんからサンドイッチを受け取る代わりに、瀬名さんは俺の皿から唐揚げを一つ摘むと、そのまま一口で口の中に放り込んだ。 「それにしても、やっぱり会社の中にある食堂は安いのぜな!」 「そうですね……仕事が無い日でも、食事をする為だけに訪れたいぐらいです」 「味も普通のレストランやコンビニのご飯とかと違って美味しいのぜ!」 「瀬名さん……ここで毎日働けば、食費も浮いて生活がしやすくなるのでは無いですか?」 「えっ? んーっ……確かにご飯が安いのはいいけど、ここで毎日働いていると筋肉モリモリになっちゃいそうだからやめとくのぜ……」 「……そうですね」 「偶にやると運動になるからいいんだけどね!」 ……思わず瀬名さんのガタイが良い姿を想像してしまった。 それよりはすらっとした今の小型犬のような、元気よくパワフルに走り回る姿が似合う、可愛さと無邪気さを兼ね備えている体型の方が良いに決まっている。 「……でも、それ以外にも楽しんでる事がもう一つあるのぜ!」 「何ですか?」 「荷物に書かれてる地名とか見てると、日本には色んな名前の場所があるのを知れて楽しいのぜ!」 「ああ……確かに名前によっては、そこがどのような場所であるのか興味が湧きそうですね」 「ちらっと見たのだと、滋賀県には竜王町って街があるみたいなのぜ!」 「随分と強そうな名前ですね……」 滋賀県……普段から東京から出る事も無ければ、地方から出る事も無い俺にとっては、縁もゆかりも無い場所であろう。 しかし瀬名さんであれば、気になった地名があればすぐにその場所に行ってしまう程の行動力がありそうである。 「……瀬名さん、将来はトラックの運転手とか向いていそうですよね」 「ええーっ!? 運ちゃんって奴なのぜ?」 「はい、トラックなら色々な遠くの場所に行けそうですし、それだけでも旅行をしているような気分になれると思います」 「うーん……でもあたい、あんな大きな車を動かせる自信は無いのぜな」 「ああいうのを一人で動かしてる人って、よく考えてみたら凄いですよね」 「あと免許を取るお金がね……」 「……あっ、そうですよね。 すみません」 「ううん! でも車で遠くに行くとかは憧れてるのぜ!」 「トラックや車で無くても、更に安いバイクとかでも充分だと思います」 「おっ、ツーリングなのぜな! じゃああたい、やまちゃんの後ろに乗っけて貰うのぜ!」 「そしたら今度は、俺がバイクの免許を取れるようになるまで待ってください……」 「えへへっ、勿論今すぐじゃなくても大丈夫なのぜ〜」 ……やはり現実を見て諦めるよりも、夢は大きく膨らましていく方が楽しい。 その事で瀬名さんとお話をしているだけで……空腹と共に、この後に控えている後半戦分のエネルギーも満たされていく。 ……しかしバイクの免許を取るなど、斬江が許してくれる筈も無いだろう。 お金が無いからなどでは無く、絶対に言う事を聞くしかない組長(おや)がダメと言ったらダメという……組の中での、ワガママを言う資格すらない俺の身分的な理由で、今はその願望を諦めるしか無かったのである。 「……そろそろお仕事再開ですね」 「えーっ、もうお仕事なのぜ? 早いのぜな〜」 「しかし昼休みが終わらなければ、お仕事も一生終わりませんよ」 「じゃあ頑張るのぜ!」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「んーっ……んーっ……!」 最初は元気にやれていても、疲労というのは徐々に蓄積されていくもの。 今までは重い荷物でもひょいひょいと持ち上げられていたが、もうすぐ終わるからと気が抜けている事もあり、午前中の物よりもより一層重く感じる。 「瀬名さん、手伝いますよ」 「おっ、ありがとうなのぜ〜」 そういう時は迷わず瀬名さんの荷物に手を差し伸べて、二人で協力して運んでいく。 三時間前、二時間前、一時間前……ここまで来ると制限時間に追いつかれる前に、全て荷物を運び終わらなければいけない焦りが生まれてくる。 それでも俺達は最後の十分まで諦めずに、足や腰を酷使して荷物運びに挑み続けたのであった…… そして…… 「……ふぅ、何とか間に合ったのぜなぁ」 「はい、お疲れ様でした」 何とか全ての荷物を仕分けられて、無事に仕事終了の時間を迎える事が出来た。 腰と足が熱を帯びているような感覚に蝕まれる中、瀬名さんは身軽そうに身体を動かして俺の前を歩いている。 「いい運動になったのぜ! でも力を使うお仕事は、また来週ぐらいまでやらなくていいかな」 「瀬名さん……足と腰の方は大丈夫なのですか?」 「足の方がちょっと痛いかな……でもこういうお仕事は何回もしてきてるから、もう慣れちゃったのぜ!」 「凄いですね……」 俺と同じく足が痛いと告白した瀬名さん……しかし弱っている様子を見せる事も無く、仕事が始まる前と同じように八重歯を見せて笑っていた。 これまで仕事を終えた後は、体を引きずるようにして黒百合に向かっていた……瀬名さんがそれだけ元気な姿を見せているのに、俺が疲れてますアピールをする訳にはいかない。 ……むしろ瀬名さんは、俺がそばにいるから溜息一つ付かずに元気に振舞っているのかもしれない。 「やまちゃんは、足腰痛い感じなのぜ?」 「あぁいえ、大丈夫です……」 「おっと無理は禁物なのぜやまちゃん、そういうのは早めに処置しておかないと、明日のお仕事に響いちゃうのぜ!」 「は、はぁ……」 「汗もかいちゃったし……やまちゃん、黒百合に行く前にお風呂でもどうなのぜ?」 「えっ……」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「……」 その後……俺と瀬名さんは、かつて飯田さんが真緒さんの家に泊まる際に皆で行った銭湯へと向かった。 ここは普段から瀬名さんが利用しているらしく、毎日は行かずとも週四のペースで行っているらしい。 その銭湯は歌舞伎町内の目立たない場所にある為か、俺達以外の客が利用をしている所を見た事が無い……男風呂の扉を開けると、今日も誰もおらず貸切状態だ。 「……」 本来なら髪体を洗ってから風呂に入りたい所だが、今はそんな気力は無い……ここは後回しにして、さっさと温泉に疲れを癒して貰おう。 洗い場を抜けて浴槽へと近付く……そして簡単に掛け湯をして体を洗った後に、膝をゆっくりと曲げながら湯船に浸かった。 「あぁ……っ」 四十二度と少し熱めの温度が、足腰の芯まで届いて疲れを分解していく。 そのまま疲れが表面に出てきて、ペリペリと剥がれ落ちていくような感覚だ……。 その効能が、やがて全身にジワジワと巡っていく感じ……その快感に、思わず声が漏れてしまった。 「へへっ、やまちゃん気持ちよさそうなのぜな」 「せ、瀬名さん……」 肩から首へと深く浸かろうとした瞬間、壁越しから聞こえてきた瀬名さんの声にはっとする。 どうやらその情けない声は、瀬名さんに聞かれてしまっていたようだ。 「やっぱりお仕事が終わった直後に入る温泉は気持ちいいよねっ、夜寝る前にお風呂に入った時と違って格別なのぜ!」 「力仕事を終えた時などは、正にそうでしょう……黒百合に行く前も、よくここに通っていたりしていたのですか?」 「うん! 疲れが取れるのもそうだけど、やっぱり汗クサいからその状態で皆に会いたく無かったのぜな〜」 今思えば瀬名さんが黒百合にやって来る時 毎回彼女から香水などでは無い、シャンプーのような良い香りがしていた。 おまけに髪もサラサラであったが、そういう事だったのか……疲れているので判断力が鈍くなり、つい褒め言葉としてそれらの事を話しそうになってしまう。 「しかし汗をかく事も徐々に減っていきますよ……これからもっと寒くなっていきますから」 「そうなのぜなぁ、ホームレスには辛い時期なのぜ……でも逆に今日みたいな仕事を毎日続けていれば、暖房いらずで毎日ポカポカでいられるのぜ?」 「瀬名さん……筋肉付くのが嫌では無かったのですか?」 「えへへっ、荷物運びは毎日しないのぜ……でもこの東京には、それ以外でも運動になるお仕事が沢山あるのぜ!」 「確かにそうですね……」 「じっとしてると直ぐに飽きちゃうのぜ……ですくわーく?ってのは、あたいには向いてないかも」 「疲れないけど飽きるか、飽きないけど疲れるかですね……疲れなくて飽きないみたいな、都合の良い仕事があればいいのですが」 「皆そう思ってるのぜ……でも、この世に楽じゃない仕事なんか無いのぜよ……」 「瀬名さん……良い事を仰いますね」 「えへへ……今まで沢山のお仕事をして来たからこそ分かるのぜ」 瀬名さん……歳下らしく天真爛漫である彼女、しかし実は俺よりもずっと前から色々なアルバイトをしてきた大ベテランなのかもしれない。 その彼女の言葉から、これまでに俺よりも色々な物を見てきて感じたのだという、歴戦の戦士のような貫禄さを感じた。 ……しかしその台詞には、同時に冷たい社会に瀬名さんが漏らした嘆きであるようにも聞こえたのだった。 この身を包む温泉の湯は温かい筈なのに……その瀬名さんの気持ちを想うと、心が内側から冷えていくような感覚に見舞われる。 そんな瀬名さんを後ろから抱きしめて、頭を撫でてやりたい気持ちに駆られるが……今のお互いの格好と、男女は別々で入浴しなければならないという社会の(ルール)が立ちはだかる。 「……なんか逆上せてきちゃったのぜ、そろそろ身体だけ洗って出ようかな」 「そうですね……もうすぐ黒百合も開店する頃ですし」 「その前にあたいやりたい事があるのぜ!」 「何ですか?」 それから俺は風呂から上がり、瀬名さんと脱衣所前の休憩広場で待ち合わせる事にした。 「お待たせなのぜ〜!」 暫くしてミックスオレを手にした瀬名さんが、赤い暖簾を潜って俺の所に戻ってきた。 「俺も飲み物買っておきましたよ」 「おっ、じゃあ早速乾杯するのぜな!」 そうして俺もコーヒー牛乳の蓋を開けて、瀬名さんとの乾杯の待機状態に入る。 「……それでは乾杯ですね」 「うん! かんぱ〜いっ」 黒百合にあるジョッキとは違い、瓶同士がぶつかる鈍い音を響かせた後……俺達は互いに一気飲みでその中身を空にさせた。 「ぷは〜っ、やっぱりお風呂上がりのミックスオレは最高なのぜ!」 「逆上せるぐらいに長く入っていましたし、より一層美味しく感じるでしょう」 「こうやって仕事終わりに誰かと一緒にお風呂に入って、その後に飲み物を乾杯するの一度やってみたかったのぜ!」 「なるほど……その願いを叶えるのにお手伝いが出来て良かったです」 「えへへ……」 まだ湿っている桜色の髪を、下ろす事で靡かせていた瀬名さん……その彼女を纏う香りは、正しく黒百合に瀬名さんが来る度に感じていた香りそのものであった。 先程は元気が無さそうに言葉を漏らしていたが……身体が綺麗になった事で、心にも元気を取り戻したのだろうか。 頬を染めた瀬名さんの笑顔が、より一層そう思える。 「じゃあそろそろ行くのぜ!」 「はい、皆さん既にお店の方にいらっしゃると思います」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「あんた達二人揃ってでの入店なんて珍しいじゃない」 「はい、今回は同じ職場で働いていたので……」 「ほう、遂に遭遇したか」 何はともあれ……今回も黒百合にやって来れた俺達。 飯田さん達とも合流し……今は俺が黒百合に来る前から、今日は瀬名さんと一日を過ごしていた事についての話題が繰り広げられていた。 「何のお仕事を、していたの……?」 「今日は荷物運びだったのぜ!」 「あら大変だったでしょ?」 「やまちゃんと一緒に働いてたから楽しかったのぜ!」 現在瀬名さんは皆に仕事の報告をしながら、飯田さんにいつものツインテールで髪を結って貰っていた。 「足や腰は大丈夫なのか?」 「平気なのぜ! 痛みは温泉で取ってきたのぜな〜」 「タフねぇ……ほら出来たわよ」 「おお〜可愛いのぜ! ありがとなのぜな〜」 「今日は……自分で結ばなかったの……?」 「出来るっちゃ出来るけど……あたいがやるよりなーながやった方が上手なのぜ!」 「妹達の髪も結ったりしてあげてるから慣れてるだけよ。 ツインテールは自分でやると、バランス揃えるのとか難しかったりするわよね〜」 「お前はツインテールにしないのか?」 「私はツインテールって柄じゃないわよ、このままの方が好き」 「凪奈子ちゃん……似合いそう……」 「そういうあんたの方が似合うんじゃない?」 「私は……くせっ毛だから、そもそも髪がうまく纏まらないわ……」 「えへへ……皆でお揃いとかにしてみたいのぜな〜」 ……皆が集まった事で、瀬名さんの笑顔が更に輝く。 例えこの現代社会が冷たかろうとも……瀬名さんを癒す事が出来るだけの温かさを持つ皆と一緒にいれば、彼女はこれからも社会に立ち向かっていける事だろう。 もしその温度でさえも、瀬名さんの心が温まらなかった時……どうしてそうなってしまったのか、そういう事があったらなるべく早く気が付きたいものだ。 「やまちゃんはツインテールにしないのぜ?」 「!? 俺ですか……俺はそもそも、髪の長さが足りませんから」 「あら、否定はしないって事はやる気はあるみたいじゃない」 「お前女装でもするつもりなのか」 「仁藤くん……似合いそう……」 「いえ……今のままで充分です」 「えへへ……」
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