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昔々……京都府は京都市、そこでは昔から和服を売り続けている老舗の店があった。
その店の名は瀬名呉服屋……瀬名さんは森の風に髪を靡かせながら、儚げな表情で自身の昔話を語り出した。
「!? 京都って……瀬名さんそんな遠い場所から新宿までいらしていたんですかっ……!?」
「そっ、そうだけど! その話はもっと後なのぜ!」
「あぁ、すみません……」
俺が話を脱線させてしまうも、瀬名さんは話に戻り、とにかくその店が京都にあるという事で話を続けた……
「……そしてそこで生まれたのがあたいだったのぜ」
「瀬名、呉服屋ですからね……瀬名さん、そのような名家な感じのあるお家の生まれだったのですね」
「えへへ……でも全然そんなイメージ無いでしょ?」
「……まぁ、確かに」
ここで変に気を遣うのも変だと思った。
その俺からの正直な気持ちを、瀬名さんは仕方なさそうに笑って受け止めてくれて、彼女は話を続ける。
「あたいの実家のお店は……さっきも言ったけど、代々昔から受け継がれている老舗なお店なのぜ」
「だからそこで生まれたあたいは、呉服屋の次の店長として立派にやっていけるように、小さい時から厳しく育てられてきたのぜ」
「立ってる時の姿勢、座ってる時の姿勢、歩いている時の姿勢……言葉遣いやら、お勉強やら」
「……店長としてだけじゃなくて、一人前の女の人になれるような事なら、何でも教えられたのぜ」
「……あたいのお父様とお母様、物凄く怖い人だったのぜ」
「お父様とお母様……ですか」
その呼び方では違和感がある……瀬名さんのような性格であれば、両親の事をパパやママと呼んでいそうなものだが、そのように呼ぶ事さえも許されていなかった教育方針だったというのか。
「でもあたい……昔からバカだったからさ」
「飲み込みが悪いというか……一度に二つの事をまとめて考えられないというか……同じ失敗を何回もするというか……」
「どんなにお稽古とかしても全然上達しないし……いつも二人を怒らせてばっかりだったのぜ……」
「……」
幼き日の瀬名さんが何かを失敗する度に、涙目で慌てながら両親に何度も謝っている情景が、頭の中でぼんやりと浮かんでくる……
当時の瀬名さんは、その両親を単純に厳しい人達とだけ思っていたかもしれない……しかし両親側は、瀬名さんを一人前の大人に育てようとした点に関しては、与え方が間違えていてもそれは一種の愛だと思う。
何も教えてくれない、何も叱ってくれなかった俺の両親に比べれば……瀬名さんには気の毒だが、彼女の両親の方がちゃんとした親を務めていた事だろう。
「……でも、あたいには妹がいたのぜ」
「!……妹さんがいらしたのですね」
「うん……妹の方は、あたいに比べて頭が良くて、両親が言った事は何でも出来る天才だったのぜ……」
「それなのに……歳上でお姉ちゃんであるあたいは、何にも出来ない……」
「……それからお父様とお母様は、あたいじゃなくて妹の方の面倒を見るようになったのぜ」
「……えこひいき、ですか」
「最初の方は怒ってばかりだった二人も……その内あたいの事を無視するようになっちゃったのぜ……」
「まるで最初から……あたいがその家に生まれてこなかったかのように」
「……」
「あたいにとって苦しい事が無くなったのは嬉しくても、無視されるのはやっぱり寂しいし……あたい、何の為にそのお家に住んでるのか分からなくなってきちゃったのぜ」
「勿論お父様とお母様に振り向いて貰えるように努力もしたけど……いつも褒められるのはあたいよりも優秀な妹の方ばかり」
「それから何だか、あたいがいない三人が一緒にいる時の方が幸せそうに見えてきちゃって……」
「あたいがいなくても両親は困らないだろうし、あのお家にとってあたいはいらない存在だろうから……逃げてきちゃった」
「……そんな事が」
最後にこくりと頷き、話を終えたであろう下を俯く瀬名さん。
結構重い話ではあるが……本人は別に涙は流しておらず、ただ悲しそうに微笑んでいた。
京都から東京まで逃げ出してきた覚悟があるぐらいなのだ……その悲しい気持ちは、とっくに捨て去ったという事か。
「ごめんねやまちゃん……こういう事、話せば話すほどに言い訳にしか聞こえなくなってくるよね」
「そんな事は……」
「あっ、別に慰めて欲しいとかじゃないのぜな!? ただ、あたいの事を知って欲しかっただけで……両親の期待に応えられなかった、あたいが一番悪いのは事実だし」
「……俺も、瀬名さんと同じような生い立ちかもしれません」
「えっ……?」
……それから今度は俺の過去を、瀬名さんに話す番となった。
実は俺も最初から歌舞伎町に住んでいた訳ではなく、故郷から家出してきた身である事。
その原因は母親がアルコール中毒者で、家事はせず料理も作ってくれずに、俺は親から愛を与えられない家庭環境で育ってきたのだという事。
それが原因で嫌になってしまい、本来なら母親を病院に連れていくような自分の使命を放棄して、俺も故郷から逃げ出して来てしまった事など……瀬名さんはそんな俺の話を、随時頷きながら最後まで静かに聞いてくれた。
「……なるほど、つまりやまちゃんの両親は、あたいの両親の逆パターンなのぜな?」
「はい……瀬名さんのご両親程厳しい人では無かったのですが、逆に厳しくないどころか、俺の事もじゃなくて自分の事だけしか考えていなかったような人だったので……」
「お家によって、それぞれ事情があるのぜな……」
「はい……なので家庭環境が嫌になって逃げ出しつつも、後々申し訳なくなってくる瀬名さんのお気持ちは……俺にも分かるような気がします」
「そうなのぜな……やまちゃん、確かにあたいと同じなのぜ」
「……ですので、瀬名さんのご希望通り慰めはしないですが」
「……?」
「代わりに同情……という形で、お返事をしても宜しかったですか?」
「……」
優しい感じで言葉を絞り出したのはいい……しかし少し緊張気味の為に、少し回りくどいような言い方の提案をしてしまった。
瀬名さんは俺の言葉を耳にしてこちらを向くも……ん?といった違和感を感じているような顔をして首を傾げていた。
「あっ、すみません……つまり……」
「……」
「慰めるというよりは……お互いの過去が似ているからという理由で、瀬名さんと今よりももっとお友達としての関係を深めたい……という事です」
「……ああ! それならむしろこちらこそなのぜ!」
「!……本当ですか?」
「うん! お互いに相手の事を知れて、もっと仲良しになれるのは……いい事だと思うのぜ!」
そう言うと瀬名さんは俺の握り合っている両手を持ち上げて、久しぶりに見た気がする満面の笑みを浮かべた。
最後まで俺は自分の言いたい事を上手く瀬名さんに伝えられなかった気もするが……彼女は彼女なりに解釈をして、理解をしてくれたようで良かった。
「前にあたいらって、結構そっくりな所があるみたいなお話をしたと思うけど……まさか過去まで似たような感じだとは思って無かったのぜ!」
「はい……そういうお話って、皆さんの前では中々打ち明けられづらいですよね」
「うん……今日はやまちゃんがじっくり聞いてくれたから助かったけど、皆の前でどうやって伝えればいいか分からないのぜ……」
「そんなに急いでお伝えをしなくてもいいと思いますよ」
「そうだよね……今日はやまちゃんに知って貰えただけでも、いい成果なのぜ!」
「はい……良かったです」
「お互い……色々あって大変だったのぜな……」
「……そうですね」
「でも……結局は今が楽しければ、それで良いと思うのぜ!」
俺に過去を話すのが出来た事により、瀬名さんも楽になったのだろう。
悩みという鎖に解放されるが如く……瀬名さんは伸びをしながら立ち上がると、そのままフェンスの方に移動して寄りかかり、滝を眺め始めた。
「過去にどんな事があろうが関係ない……大事なのは、それからどうするかって事だと思うのぜ」
「時には反省をする事も大事……って言われたら何も言い返さないけど、あたい過去に未練を持つよりは、わくわくした気持ちで未来を生きたいのぜ」
「これからあのジョルノと一緒に色んな所に行って……いっぱいわくわくしたいのぜ……」
「辛くても……仕事中でも、そのわくわくする気持ちを忘れなければ、きっとこれからも生きていける気がするのぜ」
「……勿論これから、まおまお、なーな、ちーちー……やまちゃん達と一緒に遊べるって思う事もわくわくなのぜ!」
「俺も同じです」
「それでも……やっぱり一人の時は、昔を思い出しちゃうのぜな……」
「……分かります」
夜の静かな時間は、何を考えてもいいという自由さを代償に……時にトラウマや黒歴史など、余計な事まで思い出してしまう時がある。
瀬名さんも睡眠直前の思考のコントロールが上手くいっていないのか、溜息をつきながら俺の隣に戻ってきてベンチに腰掛けた。
「……心の傷はいつまで経っても、そう簡単には消えない物です」
「うん……」
「そういう時は、瀬名さんの仰るわくわくするような気持ちで、上書きをしていくしかないと思います」
「そうなのぜな……って、えへへっ……あたい結局やまちゃんに慰めて貰っちゃってるのぜな」
「俺の方も、瀬名さんに慰めて頂いているので大丈夫ですよ」
「えっ、そうなのぜかっ!?」
「はい……俺と同じ境遇かつ、苦しくても頑張ろうとしている瀬名さんを見ていると、俺も頑張ろうという気持ちになれます」
「……本当に?」
「これが……俺が瀬名さんにお伝えしたかった、返事は同情でという言葉の答え……だと思います」
「なるほどなのぜな……」
元気が無さそうに下を俯いていた時とは一変……何かに気がついた様子の瀬名さんは正面に向かって顔を上げた。
「……確かに、やまちゃんも辛いハズなのに、頑張ろうとしてるって事を思うと、あたいも頑張れるような気がしてきたのぜ」
「そうですよね……」
「……うん」
その確認をお互いに取った時……正面顔でこちらを向いていた瀬名さんと不意に目が合った。
目が据わり、こちらをじっと見つめている瀬名さん……いつもは元気で無邪気な瀬名さんを見ている手前、このように弱々しい瀬名さんを見るのは初めてだ。
その新鮮な姿に、俺は無意識に瀬名さんの事を見つめてしまい……瀬名さんの方もまた、ぼーっと俺の事を見つめ続けている。
「……あっ、ごっ……ごめん」
「……いえ、こちらこそ」
そして先に頬を染めて、目を見開いて表情を変えながら、俺から目を逸らしたのは瀬名さんの方。
彼女は俺からは顔を背けつつも、少しだけ座ったままずれて、体を俺の方へと近付かせてきた。
「……ねぇやまちゃん」
「何でしょう」
「さっきやまちゃんが言いたかったのは、あたいだけじゃなくてやまちゃんも慰められてるからおっけー……って事で良いのぜな?」
「はい……ウィンウィンの関係、というやつです」
「それ……言葉だけじゃなくて、甘えたりして慰めて貰ったりするのって出来るのぜ?」
「……それって、つまり」
すると瀬名さんは……俺の腕に両腕を絡めると、そのまま自身の身体を俺の胸と密着させた。
「こういう……事なのぜ」
「……!」
あの犬のような瀬名さんが……他の歳上組の女子達には構わず抱き着いていた瀬名さんが、俺に対しては恥ずかしそうに、猫のように控え目に甘えていた。
……どうやら瀬名さんは、言葉よりは行動で心を癒したいタイプらしい。
「……あたい、抱っこが好きなのぜ」
「抱っこするのも……抱っこされるのも、どっちも好きなのぜ」
「……」
「その、やまちゃんが……あたいの事を抱っこ出来るぐらいには好きでいてくれてるなら……」
「あたいの事……抱っこして欲しいのぜな……」
「瀬名さん……」
本当は自分の欲望に正直でいたいのに、少し遠慮をしているような……本能を理性で抑え込んでいるような頼み方であった。
瀬名さんの歌舞伎町での過酷な生活状況にも関わらず、八重歯を見せながら笑う瀬名さんの生き様には……これまでに何度も元気を頂いてきていた。
抱っこ出来るぐらいに、瀬名さんの事が好きでいるのは……靴磨きをしてくれた初対面時、過酷さと笑顔のギャップを感じて以来、ずっと変わらない。
「……失礼します」
「あっ……」
それから一度、瀬名さんに腕を解除させて……俺は瀬名さんの両腰から手を入れて、彼女を優しく抱き寄せた。
「あっ……」
少し抱き寄せすぎてしまったか……瀬名さんの胸の感触が、モロに俺の胸の方に伝わってしまう。
少し潰してしまった瀬名さんの胸を元に戻す為……一刻も早く、俺は瀬名さんとの胸の隙間だけを微かに開けようとする……
「……!」
……しかし瀬名さんも俺の身体に腕を回し、そうなってしまっても構わないと言わんばかりに、強く抱き返してきた。
勿論胸も再度当たってしまっているが……すっぽりと俺の腕の中に収まった瀬名さん。
胸が当たってしまっている事は、当然本人も意識をしている事であろう……顔は焦っているように真っ赤だが、瞬時落ち着きを取り戻しながら、徐々に抱き着く力が強くなっていく……
「やまちゃん……」
「……はい」
「……苦しくないのぜ?」
「大丈夫ですよ……」
その強さは、瀬名さんがこれまでの人生で蓄積してきた痛みを意味しているような気がした。
その痛みを、俺も強く抱き締められている事で味わっている……こんな華奢でか弱い身体つきの女の子が、小さい頃から痛みしか経験をせずに育ってきている。
「えっ……?」
……そう思っていると、俺は自然に瀬名さんの頭に手を乗せていた。
身体だけで無く頭も包み込み……瀬名さんを撫でる。
そうする事で瀬名さんの力が少しだけ緩まった代わりに……何だか首元が湿っているような感覚がやってきた。
「う……うぅ……」
「せっ、瀬名さん……!?」
「ごめんね……やまちゃん、泣くつもりまでは無かったんだけど……」
「あたいの事を……初めて知って貰えた人に優しくされたら……何だか涙が出てきちゃって……」
「おかしいな……嬉しいハズなのに、涙が止まらないのぜ……」
これまでに見た中で、二度目となる瀬名さんの泣き顔。
しかしその正直な気持ちからなる表情は……今まで真緒さん達の前では見せた事が無かったものであろう。
「きっと……今まで我慢をしてきた分に、ここに来て一気に溢れ出てきたんですよ」
「そうなのぜ……?」
「そういう時は、もう出なくなるまで泣いて……スッキリするまで出してしまった方が、楽になると思います」
「……分かったのぜ、ありがとなのぜ」
「はい……どうぞ」
「うう……うぅ……」
それから瀬名さんは俺に涙が溢れ続けてくる様を見せないよう、額を当てて下を俯いた状態で本泣きに入り始めた。
同時にプルプルと震える瀬名さん……そんな彼女を、俺も余計な事は言わずに黙って抱きしめて、ひたすらに撫で続けたのであった……。
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「ふぅ……スッキリしたのぜ」
それから落ち着いたのか、涙目で目や鼻の周りを赤くしている状態で、相変わらず抱き合ったままで瀬名さんは顔を上げた。
「あたいばかり慰めて貰ってごめんなのぜ……今度はやまちゃんの番なのぜな!」
「俺の番……ですか」
「うん! 良かったら頭を撫でてあげるのぜ〜」
「……お願いします」
「今まで……本当によく頑張って来たのぜな……」
「……!」
そうして今度は、瀬名さんが俺の頭を撫で始めた。
家族では無い、違う女の人に頭を撫でられたのは初めてだ。
歳下の女性に男が抱き着くという、本来ならば犯罪の香りがする行為……だが瀬名さんの優しい包容力に安心して身を委ね、俺は瀬名さんに頭を撫でられる事で甘えられ続けた。
……変なプライドや羞恥心が邪魔をして、流石に泣くまではしなかったが。
「……」
「えへへっ……やまちゃん、スリスリするのはくすぐったいのぜ〜」
「あっ、すみません……」
「やまちゃん……何だか猫ちゃんみたいなのぜ」
「恥ずかしい、ですが……抱きしめられるのって、結構安心しますね」
「そうでしょ? やまちゃんって背が高いし、あったかいから……あたいも抱っこしてて、凄い安心するのぜ」
「……瀬名さんも温かいです」
それから数分後……他の観光客達が滝を見に現れた事で、俺達はハグを慌てて中断させた。
「えへへっ……急に来たからびっくりしたのぜ」
「抱き合っていた所までは……見られていない筈です」
「でもありがとうやまちゃん……おかげで凄い元気になったのぜ!」
ここにやって来たのも男女二人組、カップルのような人達であった……彼等を気にしつつも瀬名さんの方を見ると、彼女はいつもの元気な瀬名さんへと戻っていた。
「こちらこそ、元気になれました……ありがとうございます」
「うんうん! あたい、言葉だけじゃなくてこうして抱っことかされる方が、元気になれるのぜ!」
「……本当にありがとう、やまちゃん」
「……はい」
「でも緊張したまま抱っことかしてたから、汗かいちゃったのぜ……あたいクサくなかったのぜ?」
「大丈夫ですよ……そろそろ温泉に行って、その汗を流しに行きますか?」
「うん!」
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その後、俺達は温泉にて汗を流しつつも、それぞれで改めて自然の長閑さを堪能し……適当な和食処で夕ご飯を食し、新宿に帰れる分だけのエネルギーを補充したのであった。
夕方の西日に我々は照らされながら……その太陽は山の中に潜り、もうすぐ日本は夜が始まろうとしていた。
「……ふぅ、今日は色々あったのぜな」
あの夕日が沈んでいくと共に、休日も終わりを迎えてしまう……瀬名さんはそう思っているかの如く、ため息をついて儚げに夕日周りの紺色の空を眺めていた。
「はい、楽しかったです」
「……あっ! 勿論あたいも楽しかったのぜよ!? ……ただ、今日は泣いたり笑ったり、沢山したから……」
「今日は……いい意味で、疲れたのぜ」
「はい……今日で瀬名さんとは、凄く仲良しになれたような気がします」
「えへへっ……あたいも一緒なのぜ」
バイクに向かう帰り際……瀬名さんはそう言うと、俺に近付いて来て自然な流れで手を握ってきた。
その様子は、まだ少しだけ恥ずかしそうだったが……最初よりは俺の事に慣れて、許可も無しに手を繋いできてくれるぐらいには信用して貰えるようになったという事だろう。
「やっぱり、やまちゃん以外にも……あたいの事、まおまお達にも知ってもらいたいのぜな」
「……」
今日、瀬名さんは俺に自身の過去を明かすという、大きな壁を乗り越えた事であろう……。
しかし瀬名さんは俺にも話せたという安心と共に、皆にも話したいという欲求を抱いて……また新たな壁を乗り越えようとしていた。
「真緒さん達なら分かってくれますよ……皆さんはゆっくりお話をしていても、真剣に聞いてくれる方達だと思うので」
「うん……」
極道の娘、学生兼キャバ嬢、小さい頃から大きくなるまでアメリカにいた少女など……真緒さんも、飯田さんも、長内さんも皆特殊な家庭環境で育ってきていそうな者達ばかりだ。
そんな彼女達だからこそ……瀬名さんの話を真剣に聞けて、尚且つ俺のように同情もしてくれる事だろう。
瀬名さんの話を聞いた後に……優しく彼女の頭を撫でている三人の姿が容易に想像出来る。
「……でも話さないは話さないで、あたいらだけの秘密って感じがしていいのぜなっ!」
「そうですね……瀬名さん、その事を最初に俺に話してくれて……ありがとうございました」
「うん……やまちゃんがこういう所に連れてきてくれたからだと思うのぜ」
「こちらこそ、ありがとうございましたなのぜな……」
「いえ……俺のリクエストに瀬名さんがお答えしてくれただけの事です」
「あとやまちゃん……優しいから、やまちゃんになら教えてもいいかなって思ったのぜ」
「俺が優しい、ですか……? そんな事無いですよ」
「優しいっていう気持ちは、自分で気づくものじゃないのぜ……」
「とにかく……やまちゃんの事は……好き、だから……」
「……えっ?」
「なっ、なんでもないのぜ! さぁ暗くなる前にお家に帰ろうなのぜな!」
自身の失言を撤回するように、それから瀬名さんは俺から手を離してバイクの元へと行ってしまった。
「あっ、瀬名さん……バイクの駐車場はこちら側ですよ」
「あっ! そうだったのぜな! ごめんごめんっ」
結構肝心な事である、瀬名さんの口癖である"なのぜ"の正体は結局聞けなかったが……それでも今日で瀬名さんの事は、半分以上は分かった気がする。
今は無理させてでも聞かないが……俺の事が好きだという事も、その内瀬名さんから話してくれるのだろうか。
……それとも俺から先に気持ちを伝えてしまう、という方法もありそうだ。
「ふぅ……ガソリンは大丈夫なのぜか?」
「はい、お互いお疲れでしょうし……帰りも安全運転でゆっくり帰りましょう」
「うん!」
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……数日後。
「……ふぅ、まさかひとみがそんなお金持ちなお家の生まれだったとはね」
「という事は、ひとみはお嬢様だったという事だな」
「ひとみちゃん……全然そんなイメージ無い……」
「……そうですか、では皆さんも瀬名さんからのお話を聞いたのですね」
いつもの黒百合の使徒にて……仕事終わりの俺は真緒さんと飯田さんと共に来店して、長内さんの作るドリンクを飲みながら雑談をしていた。
今日の瀬名さんも、黒百合に一番乗りで無いという事は、未だに仕事の最中なのであろう。
「仁藤くん……知ってたの……?」
「はい、この間のツーリングで……瀬名さんが俺にお話をしてくれたのです」
「ふむ……家出にしては随分と遠くから来ていたのだな」
「ホームレスに進んでなれるぐらいに、家出したくなる家って……どんだけ厳しい家庭環境なのよ」
「しかし……ひとみが京都っ子だったとはな、京都弁を話す姿など想像もつかないのだが」
「いきなり事実を知ってしまったので、慣れるにはまだ時間がかかりそうですね……」
瀬名さんは俺がいない間、女子達だけの時間で上手く告白が完了していたようだった。
真緒さん達は引く反応を見せる事無く、陰口を叩く事も無く……ただ瀬名さんのギャップに対して驚き続けていた。
「でもそんな辛い事、よく今日まで独りで溜め込んで生活出来てたわよね……私なら我慢できずにパンクしちゃうかも」
「……やはり色々複雑そうだと、こちらから聞くのは気を遣っていた点もありますか?」
「生活面に関して、本人は特に気にしていないと思っていたのでな。 私も気にしていなかっただけだ……まぁそれは大きな間違いであったのだが」
「やっぱり早めに聞いた方がよかったのかしら……でもどうやって聞けば良かったのかも、分からなかったからさ」
「楽にさせてあげれるか……逆にもっと苦しめちゃうか……相手の気持ちを判断して聞くのは難しい……」
「そうね……とにかくひとみの気持ちを考えて行動出来なかったのは事実よ……」
「とりあえずひとみの話を聞いた所で、その後に悪い方向には何も変わらなかったのだから良いではないか」
「……そうねぇ」
……そう、俺達が瀬名さんの闇に触れた所で何も変わる事は無い。
むしろ瀬名さんの弱さを知った事で、逆に彼女ともっと仲良くなれたと思うぐらいだ。
……その瀬名さんがここに来た時には、いつもと変わらず彼女を出迎えてやる。
「……皆お待たせなのぜなーっ!」
……扉を開けて、大人達の喧騒を抜けて陽気な少女の声が聞こえてくる。
「お疲れひとみ、今日も遅くまでお仕事してたの?」
「うん! ちょっと配達のお仕事が長引いちゃって!」
「うむ! 上手くジョルノを有効活用しているようだな……ちゃんと私の家に停めてきたか?」
「バッチリ鍵もかけてきたのぜな!」
「こんばんは、ひとみちゃん……カレードリア、食べる……?」
「おお! いただきますのぜな〜っ!」
こちらが瀬名さんの過去を気にしていないような態度で接すると……彼女の方からも元気な態度で返してくれる。
会話のやり取り自体は変わらないが……それでも確実に俺達との絆は上がっていた。
「瀬名さん……おかえりなさい」
「やまちゃん……ただいまなのぜーっ!!」
「おふっ……!?」
あれからというもの、瀬名さんは挨拶代わりに俺の上半身を狙って抱きつくようになっていた。
彼女の弾丸を受け取め切るのは困難だが……被弾した痛みよりは、瀬名さんの温もりを感じる嬉しさの方が余裕で勝る。
瀬名さんは女子三人にも過去を話してから、俺の時のように一度抱き合わせて貰ったらしい……それ以降、彼女は女子達にも構わず抱きつくようになり……
「今日もハグ魔だな、ひとみ」
「ハグ魔ね」
「ひとみちゃん……何だかワンちゃんみたい……」
「えへへっ……抱っこは好きなのぜ〜」
「あはは……」
このように渾名をつけられる程、俺達と瀬名さんの距離は縮まっていた。
もうすぐ来たる冬の二大イベント……彼女となら、退屈する事無く寒さを乗り越えていけそうだ。
「こっちにも来なさいよひとみ、私ともハグするわよ」
「あーん、それじゃあなーながハグ魔になっちゃうのぜ〜」
「では私も混ざるとしよう」
「あんたは今酒クサいんだから、こっちこないで」
「えへへ〜、でもこれはこれで暖かいのぜ〜」
「……」
「ちーちーもおいでなのぜ!」
「ありがとう……」
「……では俺も」
「やまちゃんとはさっきしたから大丈夫なのぜ〜」
「……さては貴様、よからぬ事を考えていたな」
「いい匂いしそうだとか思ったでしょ……あんた」
「仁藤くん……エッチ……」
「……冗談ですよ」
第四章『桜の飴』
完
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