第六章『聖宴』

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第六章『聖宴』

……十二月二十四日。 それぞれの学校に通っている十代の子供達は、この頃から冬休みに突入するのでは無いだろうか。 そしてその日はクリスマスイブ…… クリスマス本番では無いが、街はにぎやかお祭り騒ぎと言うように……その日の新宿は様々な建物にイルミネーションが飾られ、区全体が歌舞伎町のように眩しく光り、冬になってから一番と言ってもいいぐらいに混雑していた。 クリスマスだからと言って、渋谷のハロウィンの時と同じような気分で浮かれている若者達。 クリスマスといえばプレゼントという事で、パルコや高島屋といったデパートでお互いにプレゼントを買っているカップル達。 東京電力から通る電気を派手に使った都会のイルミネーションを、冬休み中の子供達を連れて見に来た大人達。 ただでさえ新宿駅付近はお祭り騒ぎであるのに、日頃から毎日お祭り状態である歌舞伎町は更に物凄い事になる。 キャバクラで働く飯田さんのようなキャバ嬢、ガールズバーで働いているキャストの女性は……十度以下の気温にも関わらず、胸と背中を大胆に露出したサンタクロースの格好で、歌舞伎町にやって来る客達の気を引いている。 何処も彼処からも、酔っ払った大人達の陽気な笑い声が聞こえてくる。 今現在、この歌舞伎町に遊びに来ている半数以上の大人達が酔っ払っているのでは無いだろうか。 ……挙句の果てには肩でもぶつかり合ったのか、酔っ払い同士の小競り合いが起きて警察が出動する始末である。 「ふぅ……」 その光景を横目に、小競り合いを見ようと周囲で集まっている野次馬達を掻い潜りながら、俺は一番街を通ってとある場所に向かっていた。 ……現在、新宿にいるのはその者達のようなクリスマスを楽しんでいる者達だけでは無い。 一番街付近のコンビニで、大量にやって来る客達を流れ作業のように対応していく者。 クリスマスセールと扮して、それぞれの店で服や靴、その他雑貨を客達に売ろうと、店外にて大声で宣伝をしている者達。 人が溢れているのと同時に、各地でゴミも溢れ、それを掃除しようと拾ってゴミ袋に入れるの作業を繰り返している者達。 ……そのようなクリスマスにも関わらず、遊ぶのを我慢して働いている者達もいるという事を忘れてはならない。 この歌舞伎町でオフの人が遊んでいられるのは、その店員達がサービスや商品、そして居場所を提供しているからである。 午後七時……早朝から始まった工事現場の日雇いの仕事を終えた帰り道。 そんな俺も、先程までどこかへと遊びに行こうと歩道のあちこちを歩いている通行人達に対して指を加えながら、道路工事の仕事をしていた社会人の一人である。 「ああ……」 幼稚園生の頃はサンタさんがいると信じ、十二月になるとクリスマスプレゼントは何にしようか毎年のように迷っていた頃が懐かしい。 今では俺自身がサンタさんとなり、クリスマスプレゼントは自分で買う物となり、他人から貰った物といえば、斬江から貰った日雇いの仕事ぐらいである。 ……だが俺にとって、この後すぐから本当のクリスマスの幕が開けようとしていた。 今日もその時の為に、昼飯を買うのを我慢して腹を空かせながらも金を取っておいたのだ。 「……!」 ……そうして俺は、これから黒百合で開催されようとしているクリスマスパーティーに出席する為に、仕事中に喰らった腰と足の痛みに耐えながら、その会場へと向かったのである。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ クリスマスで歌舞伎町内ある様々な風俗店、居酒屋が賑わっている中…… クリスマスに限らず、年末年始で飲食店にとっては絶好の稼ぎ時となる今の時期、黒百合だけは五日ほど早い年末休みで休業中に入っていた。 と言っても黒百合は週に木曜日と日曜日の一日しか定休日が無いので、その分早い日から年末休みへと入るのである。 ……そのような休業日で、客などいない筈の黒百合に、俺よりも先に二人の少女達が来店しており、営業などして居ないはずの店内は賑やかとなっていた。 「すみません、今日は休……あらやまちゃんいらっしゃ〜い」 「……こんばんは」 扉上部にあるベルを鳴らしながら店内に入ると、その音に気づいた皆がこちらの方を向く。 真っ先に俺が入ってきた事に気がついていたブルヘッドさんは、一瞬だけ一般客と勘違いするも、すぐ様俺だと認識し皆が座っているカウンターに誘い込むように手招いていた。 「やまちゃん! メリクリなのぜーっ!」 ガンショップのような雰囲気の店内は至る所で赤と緑のリボンで装飾され、中央には大きなテーブルが設置されており、そこには様々な料理が並べられており、既にパーティーを開催する準備が整っていた。 その場所へと向かう途中、瀬名さんはそう口にしながら挨拶代わりにハグをしようとしているのか、両手を広げながらこちらへと突撃してくる。 このまま突っ込まれると、現在も痛めている俺の腰がご臨終になってしまう。 なので前方から飛んでくる弾丸を、俺は反射的に横へと逸れて回避してしまった。 「えっ」 避けられた瀬名さんは勢い余って、俺の後ろにあったテーブル席へと、ドンガラガッシャーンというマンガや効果音で表現が出来そうな凄い音と共に着弾した。 「とみーっ!?」 「うう、避けるなんてひどいのぜよ〜」 瀬名さんは倒れたテーブルを元に戻しながら、自身の頭を撫でてうるうるとした目でこちらを見つめてきた。 「すみません……つい反射的に、相変わらずお元気そうですね」 「あははっ、元気元気なのぜよ〜!」 瀬名さんは俺からの返事を、褒め言葉として受け取ったのか嬉しそうにしながらにっと笑って、曲げた両肘を上げて力強いポーズを取った。 「今日はクリスマスだし、この子も機嫌が良いのよ」 「こんばんは飯田さん……真緒さんに、長内さんも」 「ふん、ついでのように名を呼んでくれるな」 「こんばんは仁藤くん……」 それから瀬名さんの隣に立ち、彼女の頭にぽんと手を置いた飯田さん。 相変わらず言葉の前にふっと笑う仕草をした後、テーブルに置かれていたシャンパンらしきボトルとグラスを手に取った真緒さん。 ……そしてカウンターからテーブルへと料理を運んでいた長内さん達とも挨拶を交わした。 「お疲れ様仁藤くん、仕事はもう終わったの?」 「はい、飯田さん….…今日はお早いですね?」 ロイヤルメイデンでの仕事を終えた後、いつもであれば二十一時ぐらいに黒百合へとやって来る飯田さん。 だが二十時になってもいないのに、彼女が黒百合にいるのは中々に珍しい。 その新鮮さを感じながら、俺は飯田さんの隣に立って、テーブルの上にはどのような料理が並べられているのかを確認した。 「大学が冬休みに入ったの。 だから仕事が始まる分、終わるのも早くなってるって訳」 「なるほど」 「いつも週一でしか休んでない分、年末年始のお休みも貰ったし、これで一月三日まではうんと遊べるわ」 そう言うと飯田さんは手を組みながら伸びをして、んーという喘いでいるような声を漏らした。 「じゃあ皆で温泉旅行でも行くのぜ〜!」 「うーん……私は別にいいけど、なるべく近場で頼むわ」 「いいな。 露天風呂に浸かりながら酒でも飲んでみたいものだ」 「私もいいけど、皆でお風呂に入るの……少し恥ずかしいかも……」 瀬名さんが出した提案を皆が呑むと同時に、提案した本人は嬉しそうにぱぁっとした感じで目を見開いた。 「それにしても沢山作りましたね……これ全部、俺達だけで食べきれるでしょうか……」 テーブルの上には、クリスマスといえば定番となるローストチキンを主張とし、唐揚げ、エビフライといった揚げ物。 態々手作りで作ってくれたのか、一等分しただけでもかなりの量になりそうなクリスマスケーキ。 その他にもパスタ、ピザ、ハムやチーズなどが乗っているクラッカー等が並べられていた。 「大丈夫……」 「いざという時は私が全部食べちゃうから大丈夫よ〜」 今回のパーティーの主催者である黒百合の従業員の二人……こくりとゆっくりと頷いた長内さんと、手を腰に当て、もう片方の握り拳を自身の胸に叩きつけたブルヘッドさんは、俺の不安をそうして打ち消した。 どうやら二人は、アメリカにいた頃にやっていたクリスマスパーティーを、日本でそのまま再現をしようとしているらしい。 「それに参加するのは私達だけじゃないしね〜」 「ん?」 「……そろそろ帰って来る頃かしら」 そして飯田さんがそう言って、扉の方を向くと…… 窓に走っている二人の姿が外から映り込み、もうこれ以上来る事は無いと思っていた双子の少女達が、黒百合の扉を開けて中へと入ってきた。 「ただいまー!」 「あー寒かった」 「おかえりなさいなのぜーっ!」 その双子……上半身はコートインパーカーにマフラーを巻いている暖かそうな格好をしている一方、下半身はミニスカートで足を露出させていて寒そうな格好をしていた者達は、飯田さんの妹達である芽依さんと舞依さんであった。 「紙コップ買ってきたよ」 「危ないじゃない! 女の子だけで外を出歩いたら!」 お使いに行っていたらしき芽依さんと舞依さん……出迎えた瀬名さんと抱き合っている舞依さんとは別に、芽依さんが品物を前へと突き出すと同時に、飯田さんは二人に向かって叱りつけた。 「ナンパでもされたら、あんた達そのまま着いて行っちゃってたでしょう!」 「そういう問題でしょうか……」 「あはは……」 「大丈夫だよ、走って帰ってきたから誰にも捕まらなかったし……あっ、ニトークンも来たんだね」 「はい、こんばんは」 ブルヘッドさんが苦笑いを浮かべている中、芽依さんはテーブルに近づいて袋から紙コップの束を取り出すと、それをテーブルの上に置いた。 「芽依さんと舞依さんもお連れして来たのですね」 「何それー、まるであたし達が邪魔者みたいじゃーん」 「別にそうだとは言ったつもりは……」 「黒百合でクリパするって言ったら、この二人が着いてくって聞かなくてね、うるさいから連れて来たの」 「二人ともよく来てくれたわ〜、今日は沢山楽しんで行ってね〜」 「「はーい!」」 ブルヘッドからの言葉に、手を挙げて元気よく返事をする双子。 その姉は妹達を見て軽く溜息をついた後、紙コップを開封した後に、俺達が立っていた場所へと一つずつ分配していた。 「ありがとう……凪奈子ちゃん……」 「いいのよ。 仁藤くんは何飲む?」 「俺は……」 食べ物のメニューも多ければ、飲み物のメニューも多い。 だがこの場には未成年が多い為に、コーラやファンタといったソフトドリンクが殆どである。 そうして俺は目の前にあったカルピスを手に取った。 「とりあえずこれで……」 「酒を飲むのは私一人だけという事か……つまらんな」 すると未だにシャンパンを持ち続けている真緒さんは、ボトルのラベルと睨めっこをしながら残念そうに溜息をついた。 「大丈夫よ真緒、私も飲むわ〜」 そして真緒さんの側にいたブルヘッドさんは、手に握られていたプレミアムモルツを彼女にチラつかせながら、真緒さんの肩に手を置いた。 「まぁ独りで飲むよりはマシか……ありがとう、宜しく頼む」 「大丈夫っすよ姐さん、あたしも一緒に飲むっす」 「あたしもー!」 「ダメに決まってるでしょう!?」 ブルヘッドさんに便乗して、現役女子高生のバリバリの未成年である芽依さん舞依さんもそのように宣言し、すぐ様姉によるストップコールが入った。 ……そしていつの間にか、双子は真緒さんの事を"姐さん"と慕っていた。 「あんた達みたいなお子様にはファンタとかで充分なのよ」 「姉ちゃんだってまだ子供の癖にー!」 「あはは……じゃあそろそろ乾杯しましょうか!」 「んっ……」 ブルヘッドさんの司会により、真緒さんとブルヘッドさんを除いた皆は、配布された紙コップにそれぞれが飲みたい飲み物を入れてテーブルを囲んだ。 「それじゃあかんぱ〜い!」 「乾杯〜!」 号令と同時に、それを前へと掲げ、それぞれのコップから数滴の飲み物が飛び散る。 ……こうして歌舞伎町での見慣れた面子で集まった、黒百合を貸し切った状態での、初めてのクリスマスパーティーの幕が開けたのであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「ん〜! 唐揚げもフライドポテトも美味しいのぜ〜!」 「そうね〜、でも全然減らないわね……やっぱり作りすぎたんじゃない?」 「そうかしら……」 山盛りの料理を次々と皿に移し、そのまま口にぱくぱくと運んでいく瀬名さん。 瀬名さんの流れ作業のような食べ方とは別に、一つ一つのメニューをゆっくりと味わって食べている飯田さん。 頬を動かしながら口に手を当て、自身が作った料理の味を確認している長内さん。 「うぐ……」 「うっわ、姐さん顔真っ赤っすよ〜」 「そうなのよ、この人結構お酒に弱いのよね〜」 ……酒を飲み始めて早三十分、早速酔いが回り始めている真緒さん。 その様を見てケラケラと笑っている双子とブルヘッドさん。 「んー! これ千夜ちゃんが作ったの? 凄い美味しいね!」 「ありがとう、相楽くん……」 ……そしていつの間にか店内に潜り込み、ピザを咥えた状態でそれを引っ張り、チーズを伸ばしていた武蔵さん。 皆一夜限りの宴を楽しみ、それぞれが今年中に溜めていたストレスをこの場にて一気に発散させているように見えた。 小学生の時は学校や近所の友達とクリスマスパーティーをやった事が無かったが……まさか歌舞伎町に来てからそれに参加する事になるとは、借金返済を斬江から宣告された時の俺は思ってもいなかったであろう。 ……思えば日雇いを始め、真緒さん達と出会ってからもうすぐ一年が経過する。 冬は斬江の命令で、この歌舞伎町で暗躍しているという半グレ集団怒零紅が営業をしている会社に、真緒さんと共に入社して調査を行った。 春にはロイヤルメイデンでマネージャー兼ボーイとして……飯田さんと共に働きながら、皆で飯田さんの期末テストの手助けを行った。 夏には長内さん達と共に、伊豆にあるブルヘッドさんの実家である旅館に住み込みで働きながら、皆で夏の海を謳歌した。 秋には今まで娯楽無しで生活をしていた瀬名さんの為に……皆で趣味を見つけたりして、結果ツーリングという答えに辿り着き、二人だけで県内から出る冒険に出た。 ……色々な出来事があったが、実にあっという間の一年だった。 今の俺は、一年前の俺よりも成長する事が出来たのだろうか…… そのような事を思っていると室内の暖房が効いているのか、頭がぼーっとすると共に、仕事疲れの影響による眠気が襲ってきた。 「やまちゃんどこ行くの?」 「……すみません。 少し身体が火照ってしまったので、外で頭を冷やしてきます」 「そう、あまり無理しちゃだめよ〜」 ブルヘッドさんにそのように伝えた後、黒百合から出て、どんちゃん騒ぎの空気から一時離脱する。 外で吹いている、秋から冬へと突入した十二月の風が、スーツにコートとという中々の厚着である防風壁を貫通し、体が震えて目を覚まさせる。 口から吐かれた白息が、夜空へと昇っていくのを見ていると、黒百合の入口から扉の開閉音が聞こえてきた。 「ふぅ……ん? 仁藤、ここにいたのか」 「……真緒さん、どうかしましたか?」 「酒を飲みすぎてしまってな……こうして頭を冷やしに来たのだ」 「真緒さん、お顔が真っ赤ですもんね……大丈夫ですか?」 「問題無いさ。 いつものように酔い潰れる前には、今回は飲まないつもりさ」 ふふっと笑った後、外に出てきた真緒さんは胸ポケットからピアニッシモアリアの箱を出し、煙草を一本口に咥えた。 ……続いてライターを取り出そうとする前に、俺は自身のライターを真緒さんの前に差し出して火をつけた。 「……ああ、悪いな」 「……はい」 「ふぅ……お前、未成年の癖にライターなど持ち歩いているのか?」 「組長や兄貴達が煙草を吸おうとしてる時、いつも俺が火をつける係なので」 「……成程な」 言葉を話す事で白息が出て、真緒さんの口から出る主流煙と混ざって夜空へと消えていく。 「仁藤よ……調子はどうだ? 皇組の中で、少しは出世できたか?」 煙草を吸い始めて先端に溜まった灰を地面に捨てた後……ふと真緒さんはそのような質問をしてきた。 「いえ全然……一応ヤクザなのですが、相変わらずアルバイトばかりでフリーターみたいな生活を送っています」 「ふっ、例え出世が出来なくても下っ端は下っ端のままで、物騒な事などは任せられないだろうから安心なのではないか?」 「そうですね……そこら辺りは、少し安心している箇所があるかもしれません」 ふとケーキを食べて、瀬名さんと一緒に口の周りをクリームまみれにしている武蔵さんが目に入る。 一見ふざけているように見える武蔵さんだが、随時こちらの方に目を向けて、俺達の会話の様子を伺っている。 ……皇組の情報を漏らすような、余計な発言をする事は許されない。 「……しかし、やはり今のアルバイトのままでは稼げる金も少なかろう。 組の中で出世を目指すよりは、お前が今働いている企業の中のどれかで、正社員として腰を据えてもよいのでは無いか?」 「それもそうですが、今の俺には正社員として雇って貰えるだけの学歴や資格……肩書きがありません」 「肩書きか……そんなものはこれからでも勉強すればいくらでも取れるさ」 「そうでしょうか……」 「お前はまだ若い……何も出来ないからと言って、諦めるには早すぎる歳だと思うぞ」 「……ありがとうございます」 「凄い年長者が言う台詞みたいになってしまったが……まぁそういう事だ」 「そんな事は……この新宿で生活をしている先輩として、真緒さんの事はかなり頼りにさせて頂いていますよ?」 「ふっ……大した事はしていないつもりだが」 俺から発した言葉に、真緒さんは下を俯きながら笑った。 勉強をすると言っても時間が無い……その事は敢えて言わなかった。 折角真緒さんが俺の為に意見を出してくれていたのに……何回も彼女の考えを否定したくなかったからだ。 そして組の中で出世をするという事はつまり、いつかは法に触れるようなシノギもするかもしれないという事……そうなれば警察である真緒さんと、敵になるような展開だけは避けたい所である。 「……んんっ、そろそろ冷えてきたな。 私は中に戻るぞ」 「……ああ、俺も入ります」 それから会場へと戻り、再びシャンパンを手に取ってブルヘッドさんと酒の席を共にしている真緒さん。 「仁藤くん、どこ行ってたの?」 暖房と外の乾燥気候に喉が乾き、真っ先に目に飛び込んできたシャーリーテンプルを手に取ると……傍にいた飯田さんはそう質問しながら近づいてきた。 「眠気覚ましです。 さっきまで凄く眠たかったので」 「あんた働きすぎなのよ。 体を休めれる今の内に家に帰って、とっとと寝ちゃいなさい」 「もう眠くないので大丈夫です……それよりも飯田さんの方こそ働きすぎなのでは?」 「私はいいの。 こうして今もロイヤルメイデンからお休みを貰ってるんだし」 飯田さんはそう言いながら、オレンジジュースとパイナップルジュースを混ぜたものにレモン汁を加えて、彼女がいつも黒百合に来た時に飲んでいるシンデレラを作っていた。 働きすぎである俺の心配を言葉で打ち消した飯田さんであったが、それらをマドラーでかき混ぜているのを見ていた彼女は眠たそうな目をしていた。 「こんなもんかしらね〜」 「乾杯しませんか?」 「いいわよ」 飯田さんの了承の上、彼女が完成させたシンデレラが入ったグラスに、自身のシャーリーテンプルのグラスを軽くぶつけて乾杯を交わす。 「かんぱ〜い」 「……美味しいです、長内さんが作ってくれたのでしょうか」 「私にも少し飲ませて頂戴」 「どうぞ」 俺からシャーリーテンプルを受け取ると、飯田さんは俺の飲み口を確認するようにグラスを回して、それを一口飲んだ。 「ああ……あっ、でも本当に疲れてる時に飲むと美味しいかもね」 一瞬だけ舌を出して苦そうな表情を浮かべつつも、俺がいつも飲んでいる糖分の濃いシャーリーテンプルの効能にようやく気づいたのか、飯田さんは上唇を舌で拭き取りながら俺にグラスを返却した。 「でしょう?」 「……でもやっぱりあっまい! 悪いけどもう一度飲みたいとは思わないわ……」 「そうですかね……」 そうして俺のシャリテンを批判すると、彼女はシンデレラを飲んで口直しをした。 「あんたって、本当にシャーリーテンプルしか飲まないのね……」 「……まぁコーラとかよりも好きかもしれません」 「シンデレラも美味しいわよ。 飲んでみる?」 「……ん?」 飯田さんはそう言うと、グラスに入った氷を傾けてカランと音を立てながら、こちらに差し出してきた。 「……良いのですか?」 「ええ、こんな甘いもんばっか飲んでたら、その内に舌がバカになるわ」 自分が飲んだ飲みかけの物を、他の男に飲ませる事に対して抵抗は無いのか? そう思いながらも、飯田さんから言われるがままにシンデレラを飲んだ。 三種類の果物を使用している事からミックスジュースのような味になるのかと思いきや、そもそもの果物の風味と、そこにレモン汁も加えている事から酸味がある。 「……酸っぱいですが目は覚めそうです」 「でしょ? これを飲む為に毎日頑張ってるって言っても過言じゃないわ」 「しかし飲みすぎると、今度は眠れなくなりそうですね……」 「まぁね……」 シャーリーテンプルとシンデレラ。 アルコールなど入っていないのに、俺達はいつの間にか本物の酒に対して抱くような依存感を、それぞれのノンアルカクテルに対して持っていたようだ。 「……今日は何時に帰るんですか?」 「十時くらいかしらね〜……でも今日は遅くから雪が降るみたいだし、芽依と舞依もいるから遅くまでいられないし……もっと早くから帰るかも」 それからシンデレラを飲み切り、飯田さんはグラスをテーブルに起きながら、瀬名さんと肩を組んで笑っている双子を横目に溜息をついた。 「……とにかく今はこの時を楽しむ事にするわ。 お互いに家に帰る元気だけは残しておくようにしましょ」 「……そうですね」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ……皆で乾杯をし、クリスマスパーティーが始まってから一時間後。 どれも山盛りの料理であったが、男性よりも女性の方が多いという事も関係無しに、九人も人がいるとあっという間に少なくなって行った。 フリスビーぐらいの大きさであった五枚のピザも、今では一切れずつ皆の胃袋へと入っている。 「……」 現在、長内さんは汚れて空になった皿を一枚ずつ重ねて行き、それを流しへと移動させようとしている。 「んっ……」 だが皿を重ねすぎて重いのか、運ぶ事は愚か持ち上げる事すら出来ない状態にいた。 「長内さん、分けて運びましょう……宜しければお手伝いしますよ」 長内さんが積んだ皿の内の半分を取り、長内さんの代わりに流しへと持っていく。 「仁藤くん、ありがとう……」 俺に続いて皿を流しに運んできた長内さんは、セーターの袖を二の腕まで捲りあげている。 「もう洗ってしまうのですね……俺もお手伝いします」 「えっ、でも……」 「大丈夫です。お腹もいっぱいですし、暇なので手伝わせてください」 「そう……? ありがとう……」 そうして俺も腕を捲り、片手にスポンジを持ち、長内さんと共に皆が汚した十数枚の皿を洗い始めたのである。 「う、ぐ……」 「ほらほらどうした〜、帝組組長の娘であろう人がそれぐらいしか飲めないの〜? やっぱりあんたもまだまだ子供って訳ね〜」 「きっ、きさま……」 「ブルちゃんも、真緒ちゃんも……すっかり酔っ払ってる……」 「大丈夫でしょうか……」 久しぶりに立ったカウンター内から見た景色の中で、ブルヘッドさんと真緒さんが酒の飲み比べをしている光景が目に入ってきた。 結果はブルヘッドさんの勝利。 負けた真緒さんは、ブルヘッドさんに見下ろされながら顔をタコのように真っ赤にしながらテーブルに項垂れていた。 「一気飲みなんてやめなさいよ。 あんたタダでさえお酒に弱いんだから危ないわ」 「うっ、うっぷ……」 「ひーっ! まおまおが吐くのぜーっ!」 「はいこれレジ袋!」 真緒さんに対して忠告をする飯田さんに、顔を青くして頬を膨らませながら口元を抑える真緒さんと、その様子を見て慌てている瀬名さん。 彼女に伝染するように皆もパニックになっていたが、傍にあったレジ袋を真緒さんに差し出してきた、武蔵さんの対応の速さが光る。 「ななこぉ〜」 「なっ、ちょっ、やめてよ! あんた本当に飲みすぎよ!?」 「皆……パーティーを楽しんでくれているようで、良かったわ……」 すっかりと出来上がった真緒さんにキスされようとしているのを、彼女の肩を抑えて全力で拒んでいる飯田さん。 その光景を見ていた長内さんはふふっと笑い、三枚目の皿を洗いながらそう呟いた。 「アメリカでもこんな感じでパーティーをしていたんですよね?」 「うん……アメリカにいた時は、ブルちゃんのお友達のおじさん達から……毎年クリスマスプレゼントを、貰っていたの……」 「毎年ですか……」 「プレゼントは、今もお部屋に大事に飾ってあるわ……」 長内さんは当時のクリスマスパーティーの光景を思い出していたのか、少し寂しそうな表情を浮かべながら皿を四枚目……五枚目と洗っていく。 「……アメリカのパーティーは楽しかったですか?」 「うん……こんな感じで料理も沢山並べられて、皆でお歌を歌ったりして……楽しかったわ……」 「勿論……今やってるクリスマスパーティーも、凄い楽しいわ……」 顔は相変わらず無表情ではあり、台詞と言葉が合っていないが、本当に楽しんでいる証拠に長内さんの頬がぽっと染まっている。 「来年も、出来るかしら……」 そして現時点で集めた全ての皿を洗い終わり、長内さんは捲っていた袖を元に戻しながらその不安を口から零した。 「俺もそうですが、またパーティーをやりたいって気持ちは皆同じだと思います……なので出来ますよ」 「本当……?」 「はい」 「良かった……」 今の楽しい時間を、来年になった時に過ごせなくなるのがそんなに嫌だったのか、不安をかき消すと長内さんは胸を撫でてほっと静かに息を吐いた。 「やまちゃん、ちーちー、こんな所にいたのね〜、もうお料理無くなっちゃうわよ〜?」 突如、真緒さんと同じく酔っ払っていたブルヘッドさんは、俺達の間に割り込みながら肩を組んできた。 「……ブルヘッドさん、少しお酒くさいです」 「……あらあん、お皿洗いしてくれてたのね〜、偉いじゃな〜い」 「うん……」 次にブルヘッドさんは俺達の頭をくしゃくしゃと撫で回してきた。 髪がボサボサになるのは嫌だが、長内さんの方は満更でも無さそうな感じで、ブルヘッドさんから頭を撫で続けられている。 「さぁ二人共行った行った。 皿洗いは後が私がやっておくわ〜」 それからブルヘッドさんは俺達の背中を押してカウンターから出した後、俺達が洗った皿を拭いて食器棚へと戻していた。 「ブルヘッドさん、お酒を飲んでいるのに大丈夫でしょうか……」 「お皿……割らないように、気をつけてね……」 「大丈夫よ〜、任せて〜」 そうして俺達は、ブルヘッドさんの言葉に対して半信半疑になりながら向かい合った後、ぐーすかと寝ている真緒さんに悪戯をしている皆の所へと戻ったのであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ パーティーが始まってから二時間が経過した。 「〜♪」 現在のプログラムは食事会からカラオケ大会へと移行し、モニターの前では飯田さんが体をゆっくりと揺らしながら『チキンライス』を歌っている。 他の皆も、彼女と同じ動きに合わせて歌を聴いている。 この日の為や、今後商売道具に使うからという理由で……カラオケマシンの方はいつの間にか入荷していたらしい。 ……ふと食事が並べられているテーブルを見ると、大きな皿の真ん中に一つだけ置いてあったカップケーキが目に入ってきた。 元々は沢山あった物で、最後に残った一つなのだろうか。 腹が減っている訳では無いが、残すのは勿体無いし俺が食べなければという謎の使命感に、無意識にカップケーキに手が伸びる。 それを口に入れようと、大きく口を開けた瞬間…… 右の方から誰かの物による強い視線を感じた。 「……」 俺の右隣にいたのは瀬名さん。 彼女は手にしたカップケーキが俺の口に放り込まれようとしていく様子を、指を咥えながらまじまじと見つめてきていた。 「……これ、食べますか?」 明らかにカップケーキを食べたそうにしていた瀬名さんにそれを差し出す。 「えっ!? だ、大丈夫なのぜ! それはやまちゃんの物なのぜよ!」 すると瀬名さんは、我に帰るようにして体をぴくっとされると、両手を振って一歩下がりながら遠慮の仕草をした。 しかし彼女の目は、俺が持っているカップケーキをしっかりとロックオンしていた。 「では……半分差し上げます」 一人で食べた場合、俺の物だと言った瀬名さんが悲しい顔をするのは明らかだ。 だが全部を瀬名さんに与えようとした場合、彼女は先程のように遠慮をするだろう。 ならば半分ずつに分けて、互いに文字通り美味しい思いをすればいいだけだ。 「ありがとなのぜ〜」 カップケーキを両手で受け取り、むしゃむしゃと食べ始める瀬名さん。 口元にカップケーキの破片をつけながら、嬉しそうに食べている瀬名さんを肴にし、俺もカップケーキに齧り付く。 「瀬名さん、今日だけで色々なご飯を召し上がったのではないですか?」 「うん! もうお腹いっぱいなのぜ!」 「しかしカップケーキは食べれるのですね」 「デザートは別腹なのぜな〜!」 そう言って瀬名さんは、ぽんと自身のお腹に手を当てた。 「こんなにいっぱいご飯を食べれるなんて……クリスマスパーティーは最高なのぜな!」 「またやりたいですか?」 「勿論なのぜ!」 「そうですか……」 長内さんと同様に、瀬名さんもまた再度クリスマスパーティーを開催したいという希望者の一人だ。 その理由の半分は真緒さん達と過ごせる事。 残りの半分は恐らく、とにかく沢山の料理を食べれるからであろう。 「クッキーも結構残ってるのぜな」 瀬名さんはバスケットに入ったクッキーを一枚手に取り、頬を膨らませながらそれを味わっている。 「ま、まだ食べれるのですか……お腹だけは壊さないようにお気を付けて」 「分かってるのぜ〜」 初めて会った当時は、ボロボロのコートを身にまといながら、あまりの空腹で倒れてしまった事があった瀬名さん。 その当時に食事を取らなければならなかった推定量が溜まるに溜まって、今になって一気にやって来た所だろうか。 そこに食べ物があり、それを食べられる事ができるという、一般人にとっては何でも無いような当たり前の行為。 ……瀬名さんはその当たり前を、まともな食事を取ってきていなかった事で、久しぶりに感じていたのであろう。 その時の瀬名さんは、ここにいる誰よりも幸せな表情を浮かべていたような気がした。 「……ちゃんとしたご飯は、毎日食べれていますか?」 「ふん! ふぃーふぃーふぉふふふ……」 「……食べ終わった後からでも大丈夫ですよ?」 俺からの指摘に、瀬名さんは口に含んでいた物をよく噛んで飲み込んだ後、ぷはぁ口を開いて俺からの質問にこのように答えた。 「……うん。 お肉だけじゃなくて、野菜もしっかり食べてるのぜ」 「ちーちーとブルちゃん……お昼にここに来ると、いつもお昼ご飯をタダでご馳走してくれるからそれでも助かってるのぜ」 瀬名さんはそう言いながら、飯田さんの歌が終わって拍手をしている長内さんと、ブルヘッドさんが消えたトイレがある方向へと交互に向いた。 「今のあたいは……あの二人のおかげで生きてるのぜ」 「……そうですね」 「でも、その前に……」 「?」 手を組みながら胸に手を当て、瀬名さんはこちらの方に体を向ける。 「その二人に会えたのは、やまちゃんのおかげなのぜ……」 「あの時、やまちゃんが黒百合に連れて行ってくれなかったら……そこでお仕事も見つからずに、あたい今頃生きてるか分かんないのぜ」 「最初に黒百合で働かせて貰って、そこでお金を作れたから……いまのあたいは色んなお仕事が出来るようになったのぜ」 「まおまおもなーなも優しいし……東京の人は皆冷たいって言うけど、全然そんな事無かったのぜな」 いつもの口を大きく開ける笑い方とは違い、目を細め、口を少しだけ開けて優しく微笑む瀬名さん。 彼女が言った事が事実なのかどうかは俺では判断出来ないが、俺のおかげだと言われて嬉しくない筈が無い。 気がついた時には、俺の手は瀬名さんの頭に触れていた。 「えへへ〜、やまちゃんのおてて大きいのぜ〜」 自分の頭に乗せられている俺の手に両手で触れる瀬名さん。 その彼女の手は小さく、暖かく、そして室内の空気の影響で乾燥していた。 「次は〜……ひとみ? 歌わないの〜?」 その頃、皆は次にカラオケ大会で誰が歌うかについて話し合っていた。 飯田さんはマイクを振りながら、瀬名さんに向かってそのように質問をしてきた。 「あっ、歌うのぜ〜!」 瀬名さんはにひっと八重歯を見せて笑った後、皆のいるモニター前へと駆けて行った。 今夜は客がいない。 なので飯田さんによる物も、瀬名さんによる物も……ライブは俺達だけの物となる。 「〜♪」 そうして瀬名さんは飯田さんからマイクを受け取って、激し目な曲を歌い始め……飯田さんが歌で作り出した和やかな雰囲気をがらっと変えていくのであった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「……それじゃあそろそろお開きにしようかしらねぇ」 黒百合の壁に掛けられている時計が二十三時の報せの鐘を鳴らした。 その時間を迎えた事によって、飯田さんは本厚木駅へと向かう為の終電に間に合わせる為に帰らなければいけなくなる。 「んぅ……すー……」 テーブルに項垂れて、声を漏らして寝息を立てながらすーすーと寝ている真緒さん。 「よし、帰るわよ」 「えぇ、もう帰んの〜」 「そうよ。 とっとと帰んなきゃ警察に補導されちゃうわ」 「ゲーセン寄ってこうよ」 「あのねぇ、帰るって言葉が聞こえなかったのかしら?」 家に帰れたくないと強請る双子を、強制的に家に連れ帰ろうてしている飯田さん。 「あー……流石に飲みすぎたかしら」 「大丈夫……?」 「うん、平気よ……寝れば治るわ」 頭を抱えているブルヘッドさんの背中を摩っている長内さん。 「ほっ、はっ」 そして瀬名さんはただの好意で、テーブルに並べられていた皿をシンクに運んだり、四方にずらしていたテーブル席を中央に寄せたりと、パーティー会場から元の黒百合の使徒の店内の状態へと戻そうとしていた。 真緒さんを起こすか、飯田さん達を送っていくか…… 長内さんと一緒にブルヘッドを寝室まで搬送するか、瀬名さんの片付けの手伝いをするか…… どの選択肢を取るか迷っていると、スラックスのポケットの中に入れているアイフォンが、一定のリズムで震えている事に気がついた。 電話番号の下四桁は五九一〇。 ……斬江からのいつもの電話の着信だ。 どのような要件でかけてきたのか怯えつつ、急いで外の寒い空間に身を出し、画面に表示された緑色の受話器のボタンをタップする。 「……もしもし」 『は〜い大和、メリークリスマ〜ス』 「……はい」 電話に出た斬江の声は、真緒さん達のように酒を飲んでいたのか、とても上機嫌だ。 『パーティーはどう……? ん、楽しんでる……? ふぅ』 上機嫌ではあるが、その時の斬江は同時に苦しそうな声を出していた。 よく耳を済ますと、何かと何かがぶつかり合うような音も聞こえてくる。 斬江の声、電話から聞こえてくる音で……今の彼女は何をしているのかが容易に想像出来た。 「はい……ですが今終わった所です」 まさか行為中に電話を掛けてくるとは思ってもいなかったが、なるべく平然を装って彼女からの質問に答える。 『そう……ふふっ……あんっ、じゃあこれから帰るの?』 「はい、帰ったら直ぐにお風呂に入って寝るつもりです」 『今日は……んぅ、帰って来なくても……いいわよ?』 「え……?」 驚いている感情の上から、更に驚愕の衝撃がのしかかって来る。 『はぁ、はぁ……私からのクリスマスプレゼントって奴よ、日頃大和が頑張ってるご褒美』 『今日一日だけ、好きな場所に行って遊んで来てもいいわ』 『どこに行ったっていいし、誰と過ごしてもいいし、何をしたっていいわ……ふぅ、でも明日には絶対に帰って来るようにするのよ?』 その言葉を聞き、一日限りではあるものの、斬江につけられた首輪が音を立てて解除されたのを感じた。 「そうですか……えっと、ありがとうございます」 『ふふっ、じゃあ楽しんでね〜』 その言葉を最後に、斬江は電話を切って、今していると思われる行為の続きに励み始めた。 「……」 アイフォンのスリープボタンを押し、ポケットに入れた後、俺はその場で十秒程立ち尽くしていた。 自由になって嬉しい筈なのだが……誰かの指示でこれまでやっていた事をしなくてもいいと言われると、いざ自由になって自立行動を取ろうとすると、何をすればいいのか自分で判断が出来なくなってしまう。 何をしてもいいとはいえ、絶対に限度がある筈だ。 組から逃げて遠くに行く準備をするような行為は、当然ながら許される物では無い。 「……」 ふと黒百合の店内でそれぞれの時間を過ごしている皆の事を見る。 ……逃げる事は絶対にしないが、どうせなら誰かと一緒にクリスマスの夜を過ごしてみるか? 別に変な意味で思った訳では無い。 このまま独りでいても余計な自問自答ばかりして不安になっていき、そして何よりも、折角の聖夜という名の自由期間を独りで過ごすのは寂しすぎると思ったからだ。 ……深呼吸をした後、扉を開けて黒百合の中に入る。 「……」 ……では誰と一緒にこの後を過ごそうか。 当たり前だが……誰か一人と過ごすと言う事は、残りの三人とは過ごせなくなるという事である。 今後にその者と過ごす事で起きるイベントを事前に予測し、慎重に展開を読んでいきながら、誰に話しかけようかと思い悩む。 ……決まった。 そうして俺は再度深呼吸をすると、選んだ対象の元へと行き、若干噛みそうになりながらも勇気を出して声を掛けたのであった。
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