婆さんが暮らしてた家

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婆さんが暮らしてた家

 爺さんと婆さんが暮らしてた家は戦後すぐに建てた古い平屋の木造家屋で、冬はすきま風が酷かった。 「すきま風があるから、火鉢を使っても一酸化炭素中毒になるってェ心配はまずねぇんだ。こいつぁ信楽(しがらき)焼なんだぜィ。つやッつやで綺麗な瑠璃色だろう?」  ごま塩頭で角刈りの爺さんは生前、鉄瓶乗っけたお気に入りの丸火鉢にあたりながら言ってたんだけどさ。火鉢の一酸化炭素中毒で命は落とさなかったものの、風呂上がりにすきま風で命落としちまったらしょうがねえよ。 『ヒートショック』って言うらしい。特に年寄りが冬場、大きな寒暖差でやられっちまうんだ。  だから婆さんを一旦うちに引き取ると、父さんは爺さん婆さん()の改築を町大工の棟梁に依頼した。「冬でも(あった)けぇ家を建ててくれ」って。  父さんは宮大工だから、家の建て替えは町大工に頼んだんだ。「『餅は餅屋』だからな」って。「あの棟梁は岩手出身だから、冬でも(あった)けぇ家が得意だ」って評判を聞きつけてさ。 「うちのご先祖は岩手出身だし、これも何かの縁だろう」ってんで、父さんと棟梁はすっかり意気投合した。棟梁が「家造りには宮大工の原さんの意見も聞きたいし、宮大工の技も教えてもらいたい」って言うもんだから、父さんは大乗り気。  家が完成するまで宮大工の仕事は引き受けず、改築工事にかかりっきりだった。  俺は毎日学校が終わると工事を見に行き、毎日父さんと一緒にうちに帰った。棟梁と真剣に打ち合わせをしてる父さんはカッコよかった。若い衆に指示を出す棟梁もカッコよかった。  棟梁と若い衆に宮大工の技を見せてやってる父さんの姿を見て、俺は鼻が高かった。うちの父さん、すげぇだろ?って。
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