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「結婚することにした」
「はい?」
「だから、俺結婚するわ」
そんな友人の告白から始まった、飲み会。
*
時計を見ながら足早に目的の場所へと急ぐ。
今日は久しぶりに中学時代からの友人と飲みに行く約束をした。高校、大学とも一緒の学校、つまりは腐れ縁の友達だ。そして社会人になった今でもこの友情関係は変わっていない。
待ち合わせ場所である行きつけの飲み屋の戸を開けると、店長の威勢の良い声と笑顔で迎えられ、いつもの定位置に目を向ける。そこにはやはりと言うか、1人ビールを片手に持ちこちらを見る不機嫌そうな人物がいた。
「遅い」
「ごめんっ。思った以上に仕事が終わらなくてさ」
友人が座る向かいに腰掛け、とりあえずビールを注文する。まもなくやってきたビールジョッキを持ち、まだ少し不機嫌な相方を宥めた。
「まま、とりあえず乾杯しよ。ね?」
わたしは無理矢理「乾杯!」と音頭を取り、ガツンとジョッキ同士を合わせる。相方も少し機嫌が直ったようで、ぶつぶつ文句は言いながらもどこか顔は笑っている。
「環ちゃん、仕事はいいの? 忙しいみたいじゃん」
お通しを摘みながら、目の前に座る『かんちゃん』——正確には『たまき』なんだけど ——に声をかける。環は思い出したようで面倒くさそうな顔になった。
「……明日やるからいいんだよ」
「そっか、がんばれ」
ケラケラと笑うわたしに対して、環は呆れたようにビールを口に運ぶ。
「それにしても珍しいね」
「なにが」
「環ちゃんから飲みに誘うなんて」
注文したものが揃いつつある中、わたしは枝豆を頬張りながら環の顔を覗く。どこかはっきりしない表情を見て首を傾げる。
「何かあった?」
「……お前鈍い割には変なところで勘がいいな」
環は話の前にビールを注文し、タバコに火を点け煙を肺に溜める。ゆっくりと吐き出された煙を目で追いながら続きを待った。
「結婚することにした」
環の言葉が頭を駆け巡っているけれど、なかなか理解出来ない。
なに……結婚?
「ごめん、今結婚て言った?」
わたしを見る環の目はどこか冷ややかだ。いやいや、そんな目を向けないでよ。仕方ないでしょう、話題が話題だけに。
「言った」
「ほんとに、環が結婚? ほんとのほんとに?」
「そう、俺。ほんとのほんとに」
環は今までそんな素振りを見せてきたことはなかった。
お互いどんな人と付き合ってきたとか、今彼氏彼女がいるとか、大体ながら把握してきている。だからというのもおかしいけど、今環には彼女はいない、はず。
「相手は? 会社の人?」
わたしの質問には答えず、視線を外して黙々と出された料理を食べ続ける。
それにしても環も環だ。今までそれとなく彼女が出来たら教えてくれていたのに、今回に限って、それも結婚相手のことなんて一切教えてくれなかった。
……友人やめようかな、と思うほどに切なくもなる。
あ、だからさっき視線を外したのかもしれない。わたしに黙っていたから申し訳ないって感じなのかもしれない。わたしは枝豆をつまみながら思う。
そんなわたしの心中なんて知ってか知らずか、環は自分の結婚話なのに興味なさげにビールを呷る。そんな環の姿を見て、わたしは大きくため息をついた。
「……なに」
「いえ、別に。まさか環に先越されるとは思わなかったから」
それも全然教えてくれなかったし、ちびりちびりとビールを口にしながら、ため息混じりに呟く。
「出会って13年、まさか環の口から結婚とはね」
感慨深く、わたしは遠い昔を思い出しながら呟いた。色々あったよねと同意を求めると、環はこちらをちらりと見て視線を外す。
「……13年目だからな、人生の半分まできたし記念にね」
「ふうん?」
言っている意味がわからず、とりあえず相槌をうってみる。環はそれに対して気にする様子もなく、相変わらず淡々とビールを呷る。
「いい加減、今の関係を打破しようと思ってさ」
煙草をもみ消し、どこか神妙な面持ちの環にどきりと胸が鳴る。
「酒飲むなら毎日一緒に飲みたいし」
なぜか高校の時、みんなで一緒に行った夏の海を思い出した。太陽の暑さが、どこか懐かしい。
「……まあ、俺から言わないと絶対気づかないだろうしな。お前鈍いし」
ビールジョッキ片手に呆けるわたしに対して、環はため息をつく。「手、出して」と言ってきたのでそろそろと左手を差し出すと、環は徐にポケットから取り出した物を渡してきた。
「だから、するか、結婚」
コロンとわたしの掌に転がった指輪を見て瞬きを繰り返す。結婚? わたしが? 環と?
「ほんとに?」
「ほんとに」
「マジに?」
「嘘に見えるか」
見えないから聞いてるんじゃない。掌に転がる指輪をよく見ると、わたしの誕生石が内側に埋め込まれている。ただ呆然と指輪を見つめることしか出来なかった。
「——いつから、考えてた?」
自分の声じゃないみたいに震え、喉がきりきりと痛む。環は新しい煙草に火を点け、ビールを注文する。もちろん2人分。
「結構前。お前が二股かけられてたあたり」
「二股……ああ、大学の頃の」
懐かしいと思うくらい昔のことな気がする。泣きながら飲み明かした夜。最後まで付き合ってくれたのは環だった。そのあとカラオケにまで行って、そのお金まで出してもらった。
「それに」
顔を上げると、そこには中学の頃から変わらない、いたずらっ子の顔があった。
「名前変えるなら『さくらさくら』になればいいんじゃね? と幼心から思っていた時もあったな」
ビールが届くと、環は勢いよく半分近くまで飲み干した。そんな姿と、さっきの環の発言にわたしは苦笑いを浮かべるしかない。ついでに重々しいため息まで漏れる始末だ。
「目の前でため息つくなよ、酒がまずくなる」
「ため息つかせたのはどこの誰よ。まったく……名前のこともあるから、環と付き合うとか結婚とか考えられなかったんだよね」
微妙な笑いを顔に張り付けながら環を見ると、ふんぞり返りながらこちらを見つめる瞳とぶつかった。
「いいじゃん、『春山桜』から『佐倉桜』に変わるだけだろ」
「だけってなによ、まったく……」
ビールを一気に飲み干し、追加でビールを頼む。環は変わらず気分良さげにビールを飲み続ける。
「とりあえずさ」
「……なに」
「返事聞かせてくれる? 一応プロポーズしたわけなんだから」
わたしはちらりと環を伺い見て、指輪を見つめる。
「今のがプロポーズ?」
「十分だろ?」
自然とため息が漏れる。どうしてわたしはこんなやつと13年も友人をやってきたんだろうか——いや、こんなやつだから友人をやってきたんだろう。
掌に転がる指輪をそっと自分の左手の薬指につけて、環を真っ直ぐ見つめた。
環の似合わない——といったら失礼だから、見慣れない真剣な顔つきに、少し吹き出して笑ったら怒られた。
「とりあえず」
キラキラと光る指輪を見つめながら環に囁く。少しだけ可愛らしく、小首を傾げてみる。
「友人から恋人ってことで、いいかしら?」
ふと、初夏のよく晴れた日差しの下、友人たちに囲まれながら幸せそうに笑うわたしと環の姿が思い浮かんだ。
いつかの、未来の2人。
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