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「だからさ、志乃ちゃんは何をすることが好き?」  顔を覗かれて思わず、一歩後ずさる。  わたしは何が好きなのだろうか。  何に心が動かされるのだろうか。 「って聞かれても難しいよね。私も好きなもの何っていきなり聞かれたうまくこたえられないのにごめんね」 「みっちゃん! これ見て」  髪を三つ編みにした白いワンピースのかわいらしい子がこちらに駆け寄ってくる。  A4サイズの紙を隣にいた女性に渡した。  さぞかし、可愛らしい絵でも描いたのだろうとちらりと覗く。  思わず声が出そうだった。  黒いクレヨンでぐるぐると描いたものが、紙のあちらこちらにあり、そしてその黒いものの周りに赤いクレヨンがまるで血しぶきのように飛び散っている。 「さっちゃん上手だねー。これはなにかな?」  女性は膝をタイルカーペットにつけて微笑む。 「これね、さっちゃんがね、よく夢で見るやつなんだ。これが悪い奴で、やっつけてるの。あっ、新しいお姉ちゃん名前なんて言うの?」  愛らしい表情とは相反する絵を見た後だっただけに、少したじろいでしまうが、どうにか自分の名前を伝えられた。 「じゃあ、しっちゃんだね!」  自然と右手を掴まれる。  とてもひんやりとしている。  圧倒されるがままに、わたしはその手を引かれて、真ん中のテーブルに連れていかれる。 「あら、もうさっちゃんのお友達だね。でもさ、さっちゃん、しっちゃんはもう別にいるんじゃななかったけ?」  女性の言葉にさっちゃんと呼ばれる子は立ち止まって、わたしの手を放し、目をきょろきょろとさせた。  そして、頭にビックリマークが出たように顔がはれる。 「しっちゃんお兄ちゃんがいたんだった。でも、じゃあどうしよう」  名前なんてどうでもよかったわたしは、その純粋な視線に思わず目を背けた。 「じゃあさ、志乃ちゃんだから、のっちゃんてのはどう?」 「さすが、みっちゃん!」  表情が困ったり、笑顔になったりと忙しいなと思っていると、わたしの体にさっちゃんが巻き付いてきて、わたしを見上げた。 「のっちゃん!」  懐かしい音がした。  その声がわたしの鼓膜を震わせると心までもが踊りだした気がした。  心の感触を確かめているともうさっちゃんはわたしから離れていた。 「あートイレ行ってくる! またね、のっちゃん!」  まさに嵐だ。  散々わたしの心を揺さぶったさっちゃんは言葉だけを残して姿を消した。 「子どもってすごいよね。なんかどこまでも真っすぐというか、純粋というか、本能のままというのかな。で、のっちゃんはそんなさっちゃんに圧倒されちゃったね」  わたしも、子どもなんだけどという言葉は喉元まで出かかったが、どうにか呑み込んだ。子どもという言葉は、また檻の中に閉じ込められてしまうような気がして、言葉にするのを憚った。  代わりに別の言葉がわたしの喉から飛び出す。 「その絵って……?」  女性は「ああ」と言って、目を細めた。 「のっちゃんは絵をかいたりする?」 「昔はちょっと描いていましたけど、今はあんまり描かないですね」 「絵ってね。不思議なもので、その人の内面……なんていうのかな。その人の心の叫びみたいなものなんだよね。のっちゃんはここにいる子たちがどんな風に見えているのかわからないけど、少なからず学校という社会から追い出されてしまった子たちなのよ」  心の叫びか。  頭の中で雑音が鳴る。  そういえば、あの子も絵が好きだった。
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